婚外子、無国籍、義父からの暴力、そして最愛の母の死…虐待被害者だった僕が「過去」と決別するまで

文芸・カルチャー

更新日:2021/12/14

虐待の子だった僕
『虐待の子だった僕 実父義父と母の消えない記憶』(ブローハン聡/さくら舎)

 ノンフィクション作の醍醐味は誰かの人生を通して、自分の生き方を見つめ直せるところにあると思う。『虐待の子だった僕 実父義父と母の消えない記憶』(ブローハン聡/さくら舎)は、まさにそんな1冊だ。

 著者のブローハン聡さんは、フリーのモデル・タレントとして活動する傍ら、埼玉県の一般社団法人コンパスナビにて社会的養護出身者の居場所を作る「児童養護施設退所者等アフターケア事業」に携わっている。

 こうした活動を行うのは、著者自身が児童養護施設出身者であるから。本書には、これまで歩んできた壮絶な半生が赤裸々に綴られている。


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経験してきたことすべてに意味があった 虐待の子だった僕の半生

 1992年2月29日。著者は、フィリピン人の母と日本人の父との間に「婚外子」として誕生。別の家庭がある実父に認知してもらえなかったため、国籍や戸籍は持てず。実父から生活費を貰えたのは著者が生後数カ月の間だけだった。

 4歳の頃、母は別の日本人男性と結婚。義父は著者を息子として迎え入れてくれたが、虐待を行った。虐待は著者の母が仕事へ行っている間に行われ、日増しにエスカレート。包丁を投げつけられる、水風呂に顔を沈められるなどされ、命の危機を感じるようになっていく。

 けれど、母に「虐待されている」とは言えなかった。自分の告白によって両親が喧嘩をし、母が危ない目にあうのでは…。そう考え、心と体を切り離し、繰り返される暴力に耐えていた。

 地獄のような日々は11歳の頃、ようやく終わる。担任の教師が虐待に気づき、著者は児童養護施設へ行くことになったからだ。自分は存在しちゃいけない人間…。義父からの虐待で自尊心を折られた著者は長年そう思い生きていたが、施設で褒められ、安全な生活を送るうちに生まれて初めて「自分が存在していること」を実感でき、自己承認欲求も芽生えてきたという。

 ところが、そんな中ショッキングな出来事が起こる。最愛の母が乳がんで逝去してしまったのだ。心の軸でもあった母を失ったことにより、著者の中でこれまでおさえてきた負の感情が爆発。なぜ自分だけがこんな人生を歩まねばならないのかと思い、認知してくれなかった実父や心身を傷つけた義父に対する怒り、恨みがこみ上げてきた。

 だが、偶然目にした、ある1枚の写真との出会いにより、考え方が変化する。その写真とは「ハゲワシと少女」。地球上には紛争や難民、人身売買など、自分の知らない出来事が数多くあり、自分がどれほど限定された世界で生きてきたのかと気づかされ、これまでの経験にはすべて意味があったのだと思えるようになった。

 そして、高校進学や国籍の取得、就職先での挫折などさまざまな紆余曲折を経験する中で、自分を支えようとしてくれる人の優しさに触れたり、尊敬できる大人と出会ったりし、より前向きに生きられるように。自分の過去に折り合いをつけ、社会的養護当事者として自身の経験を伝え、似た境遇の人を支援するようになった。

 言葉では語り尽くせない経験を糧にし、今を生きる著者。彼の言葉には、心動かされるものが多い。例えば、自身のような虐待被害者を減らすには「虐待をなくすこと」だけでなく、「してしまった時のアフターケア」を考えていくことも必要だと訴えている。

何かにつまずくことがあっても、いっしょに考えて手を差し伸べてくれる社会であれば、大人は安心して暮らすことができる。そして、大人が心豊かでいられたら、子どもたちも幸せでいられる。

 この視点は、あらゆる社会問題を解決するためにも大切だ。今の社会には、自分の経験で得た「当たり前」を基準にして苦しんでいる人を判断し、「自己責任」という言葉で突き放す人が多いように感じる。

 だが、ひとつの問題にはさまざまな側面や原因があるもの。それを理解し、「今を変えるため、一緒に考えよう」と他者に手を差し伸べられる人が増えたなら、社会はもっと優しく、生きやすいものになるはず。

 ほんの少し勇気を振り絞って起こしたアクションが誰かの幸せに繋がることは多いにある。そう気づかせてくれる本書が、より多くの人に届くことを願う。

文=古川諭香

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