過剰な自意識が「3人目のバナナマン」を生んだ!? コント漬けの日々を綴った放送作家オークラ初エッセイ

エンタメ

公開日:2022/2/7

自意識とコメディの日々
『自意識とコメディの日々』(オークラ/太田出版)

「放送作家のオークラさん」。お笑い好き、カルチャー好きならこの名前を聞いてピンとくる方が多いのではないか。お笑い界では3人目のバナナマン、東京03の立役者として知られ、テレビの世界では『ドラゴン桜2』脚本、オールナイトニッポンでもおなじみ『ゴッドタン』プロデューサー佐久間宣行氏の右腕として活躍。さらには星野源率いる「SAKEROCK」、「ももいろクローバーZ」ら音楽やアイドルなどさまざまなカルチャーを融合させたコントライブのパイオニアだ。

 今ではカリスマ的存在として多くの人から崇められているオークラさん。だけど上京当時は自意識をこじらせたよくいる若者のひとりだったそうだ。今の成功を掴むまでに一体何があったのか。その秘密が綴られているのが本書『自意識とコメディの日々』(オークラ/太田出版)だ。

 この本はオークラさんがお笑いを志した上京当時の話、お笑いコンビ結成・解散、芸人から作家への転身、コントづくりに明け暮れる日々、バナナマン、おぎやはぎ、東京03、バカリズム、アンタッチャブル山崎、ラーメンズなどの同志たちとの出会い…などが赤裸々に綴られた、オークラさんの歴史がまとめられた1冊だ。

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 時は1993年。『ごっつええ感じ』『ガキの使い』など日本中でダウンタウン旋風が吹き荒れていた。「全エンターテインメントの頂点に立つのがお笑いで、面白くないヤツはセンスがない。面白ければ大抵のことは許される」というダウンタウン松本人志のお笑い至上主義の考え方に触発された多くの若者たちがこぞってお笑いの世界に飛び込んだ。そして本書のタイトルに「自意識」が入っている通り、お笑いを志す人たちは自意識が強く「自分が誰よりも面白い」と信じて尖っている時代だった。オークラさんもそのひとりで、人の言うことに絶対笑わない、喋っている相手に「あ、それ興味ないんで」とすかす…など尖りに尖っていたそうだ(穴があったら入りたい、入る穴が足りないくらいの自意識モンスターだった、と本書では綴られている)。

 そんなオークラさんには目標があった。それは「さまざまなカルチャーを融合させる」こと。面白いと思った人にどんどん近付いて巻き込み、その輪をどんどん大きくしていく。例えば、みんなが憧れていたが超ド級の人見知りで少し近寄りがたい存在だった若手時代のバナナマン設楽さんと、どうしてもコントがしたかったオークラさんは、「ネタを褒めちぎる」「コントが書けるとアピールする」などのステップを踏んで歩み寄った。

 ここまでなら普通の人も頑張ればギリギリできそうだ。しかし大事なポイントはその次で、「若手のコントライブ、ダサくないですか?」と投下したことだ。その当時、ライブのチラシは手書きのコピーがほとんどで幕間の曲も適当なものが多かった。オークラさんはまだありもしない“将来のコントライブ”のために当時高価だったパワーマックを借金して購入した。「デザインができます」「動画編集ができます」という怒涛のプレゼンによる「すり寄り作戦」によって、数カ月後にはバナナマンとのユニットライブを実現させた。実はすり寄り作戦の時はパワーマックをまだ使いこなせなかったそうだ。しかし最初はハッタリでも最終的には技術を習得し動画を完成させる。その策士ぶりと行動力が凄まじい。

 その一方で、お笑いがまだまだ体育会系だったその当時、コントライブにおけるおしゃれな演出に批判的な人も一定数いて、テレビディレクターから「大嫌い」と切り捨てられたこともあったそうだ。しかし今となっては音楽やデザインを融合させたコントライブが当たり前だ。

 十数年で世の中の価値観を変えた功績の裏には、「さまざまなカルチャーを融合させる」という野望をブレずに持ち続ける強さがあったのだと思う。もしかしたら「自意識」はその原動力のひとつになっていたのかもしれない。お笑いの世界に興味がある人はもちろん、自意識を持て余している人におすすめしたい。自分の中で暴れて仕方ない自意識は使いようによっては時代を変える何かを生み出す燃料になる…かもしれない。

文=きなの。

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