劇作家・根本宗子が実体験を織り込み描いた、12人の男女のもつれあい

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/29

今、出来る、精一杯。
今、出来る、精一杯。』(根本宗子/小学館)

 この人にしか絶対に書けないだろう、という作品に惹かれる。文学ならば、檀一雄氏『火宅の人』、車谷長吉氏『飄風』、島尾敏雄氏『死の棘』など、実体験をそのまま書きつけた私小説がその典型例だ。芥川賞作家の故・西村賢太氏の小説もそれに当てはまるだろう。そして、劇作家・根本宗子氏の初の小説『今、出来る、精一杯。』(小学館)も、実体験を織り込んだという意味では、彼女にしか書き得なかった作品だろう。

 本書は根本氏が23歳の時に書いた戯曲を、自ら小説化したもの。舞台はスーパーマーケットのバックヤードと屋上。店長やアルバイトなど、計12名の男女が惹かれあったりいがみあったり恋に落ちたり、とにかく面倒くさい人たちばかりが登場しては、予測不可能な奇行を繰り返す。彼ら/彼女らの突飛で乱脈な言動には、ただただ笑うしかないのだった。

 キャラの書き分けが実に巧い、というのも本書の魅力のひとつ。俳優のルックスなどで登場人物を判別できる舞台と違い、小説は一読で特徴が分かるわけではない。だが、複数の人物が交代でひとつの現実を活写することで、この人にはこの事件はこう見えていた、といった驚きが待ち受けている。それゆえに本書は立体的な相貌を帯びているのだ。

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 根本氏の作品ではお馴染みの、人間関係のもつれも無類の面白さ。主人公の男性は自分が精神的/経済的に弱いことを過度に強調し、恋人の女性に甘えて頼り切る。が、彼女が男の情けなさに愛想をつかしてしまうと、男は途端にキレて怒りを露わにする。このパターンは他の根本作品にも見られたものだが、共依存の関係にある男女のこじれが惨事にまで発展するのは本書くらいだ。

小説のキーパーソンになるのは、舞台版では根本氏が演じていた車椅子の女性。中学生時代に体育祭で足に大怪我を負ったという彼女のモデルは根本氏自身だ。元々、モーグルの選手として将来を嘱望されていた根本氏は、その怪我により選手生命を絶たれてしまった。以降、俳優としても無理が利かない動きは避けてきたそうで、自分で脚本を書けば自らの動きを制御できるからと、劇作に励むようになったという。

 怪我をさせた側とさせられた側の関係は、何重にも捻じれており厄介極まりない。彼女は自分に怪我をさせた男性が働いているスーパーに毎日通い、弁当をタダでもらいに行く。一方、障碍を負ってやけになった彼女は、弁当をもらえ続ける限りは生きていようと思った、と告白する。なんと独創的で型破りな設定と発想だろう。しかも、それが実体験を投影したものだからこそ、本書は根本氏にしか書けないリアリティや説得力が宿っているのだ。

 ちなみに、中学高校と車椅子だった根本氏は、年間100本を超える演劇を観て、現在に至ったという。特に好きで影響も受けたというのが劇団・大人計画。松尾スズキ氏が主宰し、宮藤官九郎氏、阿部サダヲ氏、平岩紙氏などが所属する人気劇団であり、その洗礼を浴びたことが劇作家としての根本氏の最大のルーツとなっている。

 あえて小説版を舞台版と比べても、その余りある熱量に大きな差異はないように思える。形式や見せ方こそ異なれど、クライマックスに向かって感情が昂っていく際のエネルギーは、小説版でも健在である。本書を気に入った方には根本氏の舞台を見てほしいし、根本氏を最近テレビなどで知ったという方も本書を手に取ってほしい。そう願うばかりである。

文=土佐有明

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