母親に放置され逃げた先は、ネットで出会った男の家だった…中学教師になった主人公が、教え子の秘密と自分の過去を重ね揺れる『夏鳥たちのとまり木』

文芸・カルチャー

更新日:2022/6/8

夏鳥たちのとまり木
夏鳥たちのとまり木』(奥田亜希子/双葉社)

 正論が人を救うのは、最初から歪みのない場所だけだ。たとえば中学2年生の少女が、エアコンの壊れた真夏の自宅で、修理代はおろか食費もろくに与えられず、ひとりで何日も夜を過ごさなくてはならなくなったとき、命の危険を回避するために、インターネットで知り合った男の家に転がり込んだとして、いったい誰が責められるだろうか。

 恋人のもとを渡り歩く母親に責任を説いたって無駄だ。インターネットの危険性を説いたって無駄だ。だって、少女はよくわかっている。誰が何を言っても、母親が改心する日はこないことも、自分のふるまいが正しいわけではないことも。それでも、そうするしか生き延びるすべはなかった。だから、『夏鳥たちのとまり木』(奥田亜希子/双葉社)の主人公・葉奈子も、中学2年生のとき出会ったその男との記憶を、「はなちゃんは大丈夫だよ」とはじめて自分の努力を肯定してくれた彼の言葉を、むしろ大切な希望として抱いて生きてきた。

 葉奈子がちゃんと大人になることができたのは、あのとき、彼が葉奈子の命を繋いでくれたからだ。けれど、教師になった今、あの頃の自分と同じ中学2年生の少女を前にして、葉奈子の心は揺らぎ始める。

advertisement

 きっかけは星来(せいら)という生徒の無断外泊だった。人気の女子高生インスタグラマーと友人になり遊びに行っていた、という彼女がおそらく男性のもとにいたことは、みんなうすうす察している。そんなとき、30代の男がSNSで知り合った14歳の少女を連れまわした罪で逮捕され、同僚のひとりが漏らす。〈十代の子どもなんだから、精神的に未熟で当たり前じゃないですか〉〈誘拐されるほうはまったく悪くない。女の子は完全なる被害者ですよ。未発達な心につけ込む男が悪いんです〉。正論だ。それも、理不尽に責められがちな少女を救う言葉だ。けれど葉奈子の心は晴れない、どころか、むしろ、責められたような気がしてしまう。

 葉奈子は悪くなかった。守られるべき子どもを誰一人守れなかった、責められるべきは大人たちのほうだ。けれど葉奈子は、未発達だったけれど、自分なりに考えて、危険もすべて承知でその男の手をとったのだ。男は、葉奈子に一切手を触れなかった。ただ安全に過ごせる場所をくれただけだった。星来もまた、インスタで出会った大学生の彼氏の家にいる間、怖いことはなにひとつなかった、ただ優しかったと言って、いまだ密かに連絡をとりあっている彼を庇う。けれど――本当に? 怖くなかった、ということは、すなわち被害がなかったということなのだろうか。でもそれがもし加害だったのだとしたら、彼に救われて生きていけると感じた自分たちは、いったいなんなのだろう?

 同僚・溝渕の〈世間から見れば間違いだらけのことに救われる人間もいる〉という言葉に救われた葉奈子は、間違いだらけだったかもしれない自分の過去と現実に向きあうことを決める。人は正しさだけでは救われない。けれどやっぱり、どうしたって間違っていることは正さなければならない。その狭間で揺れる少女と、かつて少女だった女性が、本当に“今”を大丈夫なものにしていく姿に、胸が衝かれる小説だった。

文=立花もも

あわせて読みたい