SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第13回「プライスレスで、フィニッシュです」

エンタメ

公開日:2022/7/27

 本日もアルバイト。

 五時からの営業に向け、昼シフト組は二時に入って掃除や仕込みなどをする。この日も私は制服の胸ポケットに入れた携帯電話から小さく音楽を鳴らしながら店内の掃除をしていた。

 一六六席あるこの和食居酒屋の店内はなかなかに広く、客席に掃除機をかけるときはコンセントを三回も差し替えなければならなかった。ただお客様の目につくところであるので、きちっとやらなければならない。その次はトイレ掃除。普段見えないところこそきちんとやるべきだと私もわかってはいたのだが、サンポール散布は本日も省いた。バイトの時間を、いかに怒られない程度に手を抜くか考えていた私にとって、便器を掃除するときの最後のサンポール散布は、やらないで大丈夫な仕事にカテゴライズされていた。昨日は誰かが、そして明日も誰かが散布するサンポールで十分に事は足りる。

 女子便所の掃除からずっと屈んでいるので、流石に腰にきた。サンポール分のゆとりがある私は、男子便所の真ん中でのんびりと身体を伸ばす。顎を反らせて天を向いた時、そういえば今日は社長が視察に来ると店長が言っていたのを思い出した。

 和食居酒屋、ビストロ、カフェなどを展開する滅茶苦茶にやり手の社長と、私はまだ顔を合わせたことがなかった。毎度タイミングが合わず、一年近く働いているというのに挨拶すら出来ずにいたのだ。ちなみに私は愛想はなかなか良い方だと勝手に思っていたので、接客をしているその姿なんかを見てもらえれば時給が上がるかもしれない、と思っていた。自然と、顔がほころんでいく。

「しぶちゃん」

 四肢が全部伸び切っていたところで急に声を掛けられたので「げはっ」と奇怪な声が漏れてしまった。男子便所の入り口のところに店長が立っていた。人間、やはり急なことで動揺するといらないことを言ってしまうものだ。

「サンポールですよね」

「え」

「サンポールは撒きますよ、いつものことですし」

「何言ってんの?」

 完全に墓穴を掘ってしまった気がして、無駄に便座を下げたり上げたりしてみた。「あ、いや、なんでもないです」

 店長は真意を推し量るように薄目で私を睨んだがやがて、明るい声で私に言った。

「社長が来てくれました」

 え。今? 私は大いに取り乱した。視察というからには営業中にやってくるものだと思っていたからだ。気持ちの整理が出来ず目をシパシパさせていると、男性が一人、入り口から顔を覗かせた。

 うわすご、本物だ。私はなんだか感動した。

 なぜなら社長は、私が大好きだったテレビ番組「マネーの虎」に出演していたからだ。志願者に鋭い質問を投げかけ、見込みがあると思ったらサッと決断してお金を投資するあの社長が目の前にいる。客席なんかほっといて、一時間くらいかけて男子便所だけ磨いておけばよかったと後悔した。社長は男子便所に一歩だけ入ってきた。

「はじめまして、アルバイトさせて頂いてます。渋谷と申します」

 私は慌てて言ったが、社長は特になんの反応も見せず、私のことを黙って見ていた。気まずくなるくらいの間、社長は黙ってただ見ていた。根負けしたような形になった私は「あの」と口に出した。すると社長は急に電源が入ったように、「君はさ」と言った。

「はい」

「君は、音楽かなにかやってる?」

 どうしてわかったのだろう。私服ならまだしも、このときは制服である。そして当時はまだ髪の毛も短い。私は返事をした。

「音楽、やってます」

 それを聞いて社長は言った。

「うん」

 いや、うん、て。

 今のはどういう意図の質問なのだろう。それから社長はまた私をじっと見た。この時間は一体何に費やしているのだろう。居た堪れない私はなんとなく首を傾げたり、とりあえず軸足を変えたりしてみた。すると再び社長に電源が入り、「君はね」と言った。

「はい!」

「大丈夫」

あわせて読みたい

しぶや・りゅうた=1987年5月27日生まれ。
ロックバンド・SUPER BEAVERのボーカル。2009年6月メジャーデビューするものの、2011年に活動の場をメジャーからインディーズへと移し、年間100本以上のライブを実施。2012年に自主レーベルI×L×P× RECORDSを立ち上げたのち、2013年にmurffin discs内のロックレーベル[NOiD]とタッグを組んでの活動をスタート。2018年4月には初の東京・日本武道館ワンマンライブを開催。結成15周年を迎えた2020年、Sony Music Recordsと約10年ぶりにメジャー再契約。「名前を呼ぶよ」が、人気コミックス原作の映画『東京リベンジャーズ』の主題歌に起用される。現在もライブハウス、ホール、アリーナ、フェスなど年間100本近いライブを行い、2022年10月から12月に自身最大規模となる4都市8公演のアリーナツアーも全公演ソールドアウト、約75,000人を動員した。さらに前作に続き、2023年4月21日公開の映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-』に、新曲「グラデーション」が、6月30日公開の『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -決戦-』の主題歌に新曲「儚くない」が決定。同年7月に、自身最大キャパシティとなる富士急ハイランド・コニファーフォレストにてワンマンライブを2日間開催。9月からは「SUPER BEAVER 都会のラクダ TOUR 2023-2024 ~ 駱駝革命21 ~」をスタートさせ、2024年の同ツアーでは約6年ぶりとなる日本武道館公演を3日間発表し、4都市9公演のアリーナ公演を実施。さらに2024年6月2日の東京・日比谷野外音楽堂を皮切りに、大阪、山梨、香川、北海道、長崎を巡る初の野外ツアー「都会のラクダ 野外TOUR 2024 〜ビルシロコ・モリヤマ〜」(追加公演<ウミ>、<モリ>)開催する。

自身のバンドの軌跡を描いた小説「都会のラクダ」、この連載を書籍化したエッセイ集「吹けば飛ぶよな男だが」が発売中


SUPER BEAVERオフィシャルサイト:http://super-beaver.com/
渋谷龍太Twitter:@gyakutarou
渋谷龍太Instagram:@gyakutarou