福井の祖母の家の管理を突然任されることに!? 故郷に戻り、思い出したのは…/小戸森さんちはこの坂道の上③

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/19

小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第3回【全7回】

フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?

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小戸森さんちはこの坂道の上
『小戸森さんちはこの坂道の上』
(櫻いいよ/KADOKAWA)

 祖母から「一年ほど家を空けるから、あんた家の管理してくれない?」と電話があったのは二ヶ月ほど前の、五月の連休明けだった。

「やだよ、おばあちゃんち不便なんだもん」

「名古屋みたいな便利なところに住んで都会人ぶってても、あんたはこの不便な土地出身の田舎もんなんだから、諦めな」

 諦めるとはなんなのか。

 口の悪い祖母に顔を顰めて自分でも聞き取れないくらいの舌打ちをすると、八十一歳だというのに耳のいい祖母が「舌打ちなんかするもんじゃないよ! みっともない!」と声を荒らげる。

「だって、そんな急に言われたって、わたしにもいろいろ事情があるんだから」

「ニートで、結婚もしてない恋人もいないあんたになんの事情があんのよ」

「何度も言ってるけど、わたしはニートじゃないの。ちゃんと働いて国民健康保険も年金も住民税も納めてるの。家で仕事してるだけの、立派なおとななの」

 二年前に会社を辞めてフリーのデザイナーになってから、祖母はいつもわたしをニート扱いする。会社に行かず家で仕事をする、というのが祖母には理解できないらしい。自分だって会社勤めをしていなかったくせに。

「もう三十だっていうのに色気のないことばっかり言って。あんたの母親は逆に恋多き人生を歩んでるし、極端な親子だね」

「わたしはお母さんとは違って堅実な人生を歩んでるだけ。ひとりでどこででも働ける力を身につけてるのよ」

「じゃあこっちに住んでもいいじゃないか」

「いや、そうじゃなくて……」

 と否定しつつも、たしかにそのとおりだな、と思う。というか完全に誘導された。

 環境──今家にあるPCとネット環境──さえ整えれば、どこでもできる仕事なのは間違いない。打ち合わせも最近はビデオ通話がほとんどなので、クライアント先に出向くことも減った。稀に呼び出されることはあるが、引っ越したら無理強いはされないだろう。つまり、外出しないで済む大義名分ができる、ということだ。

 それは、できるだけひとと会いたくない出不精のわたしにとって、おいしい。

「今あんたが住んでる家だって母親の持ち家を留守のあいだ使ってるだけだろ」

「それはそうだけど」

「あんたが出ていったって家がなくなるわけじゃないんだし、気分転換だと思って一年くらいこっちで過ごしなさい、わかったね」

 そう言って祖母は一方的に通話を切った。

 相変わらず強引で、ひとの話をまったく聞かない。おそらくこの会話で、わたしの引っ越しは決定事項になっただろう。祖母はそういうひとだ。

 ぐいーっと体を反らせイスの背もたれに体重をかけて、部屋をぐるりと見回す。

 母親が購入したこのマンションの一室は、2LDKと独り暮らしには充分な広さがある。母親が顔を出すのは年に一回あるかないかで、一泊か二泊だけ。つまり、ほぼわたしの家と言っていいだろう。家賃と共益費は払っていないが光熱費は払ってるし。

 ここは、十一年ものあいだ暮らした、自分にとって快適なわたしの城だ。絶対に田舎の祖母の家になんて引っ越したくない。

 ……かといって、あの祖母を説き伏せるのは至難の業だ。想像するだけで面倒くさい。おまけにこちらが言い負かされる未来しか見えない。

 額に手を当てて目を瞑り考える。さて、どうするか。

 なにをどうしたってこの状況が覆ることはない気がする。ならば、ムダな抵抗はせずに身を任せるのが一番楽なんじゃないだろうか。

「まあ、一年間だけなら、たしかに気分転換にはよさそうかな」

 口にして自分を納得させることにした。

 祖母の家は、名古屋からかれこれ二時間ほどかかる福井にある。福井駅からさらに数十分電車で揺られ、駅からバスに乗らなければならない。バス停から家までは急な勾配の坂道があり、どこに行くにもしんどい不便な立地にあった。

 二階の窓からは緑と空が多い景色が広がっていた。そして、かすかに海が見えた。

 静かな町だった。けれど、ひとびとのウワサがやたらとうるさい町でもあった。

 わたしはそこで、小学四年から高校三年まで、祖母とふたりで暮らした。

 母親は、仕事のためそれまで住んでいた東京に残り、祖父はすでに亡くなっていて、父親は生まれたときからそばにいなかった。そして、当時まだ六十歳ほどの祖母もスナックの経営で夕方からは家におらず、休みの日は趣味を楽しむためにしょっちゅう出かけていたため、ひとりだった思い出がほとんどだ。

 さびしくなかった、と言えば噓になるが、それほど苦痛には思っていなかった。祖母は口うるさいところがあるが、わたしを大事に育ててくれたし、年に数回しか会わない母親も、その短い時間でたっぷりの愛情を注いでくれた。母親の稼ぎが充分あったおかげで生活はもちろん学費にも困ったことはない。なにより、母親も祖母も、わたしのためにこの選択をしたのだと理解していたからだ。

 わたしは、それなりに幸せな日々を過ごしてきたと、迷いなく言える。一般的な家庭環境ではなく、祖母も母親も保護者として多少問題点はあっただろう。それでも、わたしは決して不幸ではなかった。

 だから、まわりのうるさいあの町が、無責任にひとの家庭に口出ししてくるひとしかいないあの土地が、わたしは好きじゃなかった。

「……何年帰ってないんだっけ」

 大学で独り暮らしをはじめてからは、ほとんど帰っていない。特に祖母が三年前に店をたたんでからは自由気ままに旅行に出かけるので、なかなか予定が合わなかった。五年以上祖母に会っていないかも。

「祖母孝行もしないとだしね」

 たしか数年前に家の修繕ついでにお風呂やトイレ、台所もリノベーションしたと言っていた。ふむ、と頷いて体を起こし、早速ネットで引っ越し業者を探しはじめる。

 昔出入りしてたサビ猫はどうしているだろうか、と思ったところで数年前に亡くなったと祖母が言っていたのを思い出す。そのサビ猫を連れてきたのは清志郎だったっけ。わたしに恋心を教えてくれた、そしてその気持ちを悪意なく打ち壊してくれたタチの悪い男は、今はどこでなにをしているのだろうか。

 家の前にある長くて勾配のキツい坂道を思い出すと、彼──清志郎のあたたかな笑みが脳裏に蘇った。

<第4回に続く>

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