ときめきをください/【吉澤嘉代子 エッセー連載】ルシファーの手紙 #3

文芸・カルチャー

公開日:2024/1/31

 30歳を過ぎたあたりから恋の話を耳にしなくなった。大抵の同級生は結婚して落ちついているか、仕事に生きているか。好きな人の話で何時間も潰せたあの頃はどこへやら。話題はいつしか職場の愚痴や推し活の癒し、健康にまつわる話へと移っていった。大人になった私たちが直面しているのは生活なのだ。

 だから、ごくたまに年下の友人らから「好きな人ができて」とか「恋人ができて」とか聞くと、こちらの方が色めき立ってしまう。どしたん? 話きこか? と下心丸出しでメモしたくなる。

 それくらい書けない。ラブソングが書けない。あんなに近くにあったはずのときめきが今では朧げなのである。夢の中で計算をするように、思考したそばから答えが散らばっていってしまう。

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 これは手前共の生業にとって死活問題だ。中高生の頃のように気持ちのままには動けない。かといって条件だけにも靡かない。もっと欲しい。大人になった私がときめく話を。

店長! ときめき一杯ください!
恋バナ大盛り! 純愛マシマシで!

キスしたいと思った
そんなふうに強烈に
何かを思ったことはなかった
いいなと思う人がいて
今かなと感じる手応えがあって
気持ちを確かめあうことはあったけれど
「エッチな先生」
「はい」

『おとなになっても』第2話(志村貴子/講談社)

おとなになっても

おとなになっても
『おとなになっても』(志村貴子/講談社)

 はわわである。切実さに殴られるような衝撃。漫画だけがもたらしてくれるときめきにガツンとやられる。小学校の先生をしている主人公は、久しぶりに立ち寄ったバーである女性と出会う。そして初対面ながら強く惹かれあったふたりはその夜にキスをするのだ。しかしこれは道ならぬ恋の幕開け。主人公には夫がいた……。これまでの人生がひっくり返る革命のシーンに、私まで過去を振り返ってしまいそうになる。「エッチな先生」って……。「はい」って……。

 学生の頃、好きな人の背中ならすぐに見つけられた。不思議とそこだけ光が差しているかのように際立っていた。ただ見ているだけで幸せだったのに。目が合ったら、話せたら、触れられたら……と人は欲深くなる。

「これは予言というか予告のようなものなんですけど
私たちの関係っていずれ破綻すると思うんです」

『おとなになっても』第45話(志村貴子/講談社)

おとなになっても

おとなになっても
『おとなになっても』(志村貴子/講談社)

 そうだった。恋って苦しいんだった。誰かが幸せになることで、また違う誰かが不幸になったりする。そんなハッピーエンドは許されないのだ。すでにこの胸は懐かしい痛みで燃えている。どうして忘れてしまっていたんだろう。あんなに振り回されたときめきに手を伸ばしたりして。

 大人の恋はほろ苦い。どうしてもその先が透けて見えてしまうから。いつかは終わることを知っているから。

 わかっていながらも望んでしまうのが人間なのだろう。たとえこの恋が報われなくても。ふたりの関係が滅ぶ運命だとしても……。

 な~んて、漫画に感情移入している時間の気持ちよいこと。私は今遠い世界の恋に溺れながらお茶を啜って煎餅を齧っている。おとなになっても、ときめきはやめられないのだ。

吉澤嘉代子

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<第4回に続く>

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吉澤嘉代子

1990年6月4日生まれ。埼玉県川口鋳物工場街育ち。2014年デビュー。2017年にバカリズム作ドラマ『架空OL日記』の主題歌「月曜日戦争」を書き下ろす。2ndシングル「残ってる」がロングヒット。2021年1月にテレビ東京ほかドラマParavi『おじさまと猫』オープニングテーマ「刺繍」を配信リリースし、3月に5thアルバム『赤星青星』をリリース。同年6月には日比谷野外音楽堂での単独公演を開催。9月に初のライヴブルーレイ「吉澤嘉代子の日比谷野外音楽堂」をリリース。2023年7月に『アイスクリームフィーバー』主題歌「氷菓子」をリリース。11月には「青春」をテーマにした2部作の第1弾 EP『若草』をリリース。 2024年3月20日には第2弾となる EP『六花』のリリースも決定している。