埼玉を拒絶する! 孤高の高級住宅街「浦和」【連載】第8話「住みたい街」の正体をあばく! 『首都圏「街」格差』

埼玉

2017/5/8

 毎年注目される、不動産情報サイトや雑誌の特集で発表される「住みたい街ランキング」。そこに登場する「街」は本当に住み良いところなのか? 人気はずっと続くのか? これからランクアップする「穴場」はどこか? そんな「住みたい街」の正体をあばく文庫本『首都圏「街」格差』が好評発売中! いま首都圏で話題となっている様々な「街」をテーマ別に選定し、現地での観測調査と統計資料を使いながら実態をあぶり出していきます。

 

全国区の高級住宅街にはなれなかった……

 埼玉県民が選ぶ「住みたい街ランキング」で、熾烈な埼玉ダービーを繰り広げる大宮と浦和。埼玉県民の人気を二分する2つの街に多くの得票数が集まるのは、やはり都心へのアクセスの良さによるところが大きい。

 また浦和にとっては、県庁所在地であることのメリットははかり知れない。国や県の機関が県庁のある浦和に集まってくる。明治~大正時代に現在の埼玉大学の前身である師範学校や医学校、官立浦和高等学校などの名門校も集中して浦和に創設された。これが現在の「文教の街」の土台になっている。

 明治末期から大正期の頃には人口増で住環境が悪くなった東京から、浦和に移住したり、別宅や別荘を建てる富裕層が増えてきた。大正5年(1916)、『国民新聞』が読者を対象に東京近郊の理想的な住宅地・別荘地についてのアンケート調査、つまり戦前の「住みたい街ランキング」調査を行った。すると、浦和は郊外の住宅部門でも、別荘地の部門でもかなりの得票数を集めてベスト10入りした。「教育環境の充実」「災害の不安がない」などを理由に浦和を推す人が多かったという。

 また、浦和駅からほど近い別所沼の周辺には画家のアトリエも目立つようになり、
「鎌倉文士に浦和画家」
という言葉も聞かれるようになる。富裕層が別荘や別宅を建て、やがて高級住宅地として発展したという経緯は鎌倉とよく似ている。しかし、「鎌倉文士」ほどに「浦和画家」のほうは一般的に認知されていない。

 鎌倉は別荘地や高級住宅地として戦前から全国的に知られた存在。それと比べて浦和の知名度ははるかに劣る。東京や横浜に住む者の感覚だと、鎌倉に憧れは感じても、浦和には……。埼玉県民でなければ「浦和=高級住宅街」と、すぐに連想する人は少ないだろう。

 

増殖する「浦和」のブランド

 浦和駅南口からほど近い岸町は埼玉県内で最も地価が高く、高級住宅街・浦和を象徴する存在でもある。その岸町への入口に高砂小学校はある。武家屋敷や寺院の建物と見間違えるような重厚な瓦と、白壁の塀で囲まれたこの小学校は、明治4年(1871)に創設された浦和宿郷学校がそのルーツだという。

 この街では、私立だけではなく公立の小中学校にも多く“ブランド校”が存在する。高砂小学校もそのひとつ。子供をここに通わせたいがために、校区内に転居してくる家庭も多いのだとか。不動産店の店先にも「浦和駅徒歩◯分」ではなく「高砂小学校から徒歩◯分」とか、これも人気ブランド校である「埼玉大学附属中学から徒歩◯分」と書かれた物件情報をよく目にする。浦和に住もうと考える人は、駅よりも小中学校までの距離のほうを重視しているようだ。

 恵比寿や中目黒といった東京都内で人気の街から、子供が生まれたことを契機に、浦和への引っ越しを考える家庭もあるという。その理由もまた、充実した教育環境。教育熱心な家庭が集まるこの地域で切磋琢磨することで、子供たちの意欲や能力が高まることを期待してのことだという。

 それにしても「浦和」の名がつく駅は多い。埼京線や京浜東北線などに、浦和の他にもいくつかの「◯◯浦和駅」が存在する。「浦和」のブランドにあやかろうというのか。マンション名に「浦和」が付けばよく売れるし、価格もある程度強気に設定できる。と、不動産会社や土地開発会社の思惑が働いているのかもしれない。

 不動産業界では、近年「浦和押し」が目立つという。不動産雑誌の特集記事にもよく浦和が登場してくる。「子育てに最適の街」といった昔からある文教都市のイメージを強調しているが……、実際に売られているのはほとんどが浦和駅近辺の「◯◯浦和」だ。

 さいたま市でも埼玉県でもなく「浦和」。この名で、近隣各都県から人を呼べる。不動産業界でも浦和は埼玉県から切り離しておきたいようだ。