【第11回】ちゃんもも◎『刺激を求める脳』/真理子#4

文芸・カルチャー

2018/9/4

「どうしたの?」

 男は制服姿で膝を抱えながら地べたに座り込む少女に声を掛けた。

 場所はJR池袋駅の西口公園、夜中にひとりで座り込んでいれば誰か彼かに声を掛けられ、下手をすれば無理矢理どこかに連れて行かれたとしてもまったく不思議なことではない。真夜中にひとりでいることが純粋に気になった。

「え?おじさん、誰?ナンパ?」

 そう言って少女は顔を上げた。

 真っ直ぐに目を見つめてくる少女に男は息を呑んだ。思わず見とれてしまうほど美しく整った顔と、その年齢にそぐわない服の上からでもわかる大人びた身体。

 男は少女がひとりで居た理由を理解した。気軽に声を掛けて、軽い気持ちで遊ぼうとするにはいささか美人すぎる。

 男は長年、芸能プロダクションに携わり、数え切れないほど多くの女性をスカウトしてきたが、こんなに「美しい」という言葉が似合う少女に出会ったのは、はじめてのことだった。

「ねえ、おじさんもやっぱりなんでもなかったの?」

 少女は眉を八の字にしながらかわいらしく首を傾げた。

「私、ずっと何も食べていないからお腹すいちゃって。なんか食べさせてよ。おじさんの好きなことしていいから」

 声を掛けたのはいいが、何も言えずにそのまま見とれてしまっていた男の目を見つめたまま、少女は屈託の無い笑顔でそう言った。

 家出少女か、と思ったがここまでの美少女に「好きなようにしていいから」と言われたところで、その両目に見つめられてしまうと男の邪な思いなどたちまちに霧散してしまう。

「お、おう、何が食べたい? おじさんもあまりお金持ちではないけど、好きなもの食べさせてやるよ」

「ホント!? やった!」

 少女の目が輝いた。

 男は不覚にも、目を逸らさずにはいられなかった。

「私、夕方からここにいて、たくさん声は掛けられたんだけどみんな私の顔を見ると『やっぱいいや』ってどっか行っちゃってさ。だからずっと困ってたんだよね。ねえ、私ってそんなにブスかなあ?」

 どうやらこの子は自分の魅力に気づいていないらしい。男がそう思っている間に少女は続けた。

「けっこう美人だと思うんだけどな、私。地元でも高二までは無敵だったんだけど、一生懸命欲しいものを手に入れようと思ってがんばってたらいつまにか苛められちゃってて」

「で、家出したのか?」

「ううん。違うの」

 男の予想は外れた。

「学校には居場所なくなっちゃうし、悪い友達にそそのかされて最終的に逃げ場がなくなっちゃってヤクザに援交までさせられちゃってて。家、貧乏なのにブランド物のバッグとか洋服とか持って帰ってたら家にも居づらくなっちゃってさ」

 男は少女の話に黙って顔をしかめながら耳を傾ける。

「でね、3日前まで鑑別所にいて。援交で捕まっちゃってさ。おかげで学校もクビ。で、親が迎えに来たんだけど『あんたはもううちの子じゃない』だなんて言うもんだから走って逃げて来ちゃった。それから流れ流れて夕方からここにいるの。東京ってやっぱり都会だね! 昨日まではお腹がすいても寝るところがなくてもナンパされればなんとかなってたけど、ここに来てからは全然ダメ。もうお腹すいて死にそう!」

 相槌を打つ間もなくしゃべり続ける少女になのか、他愛も無い日常的な話題のようにかわいらしくサラリと話すそのとんでもない話の内容になのかわからなかったが、男は困惑した。

「私、マックがいい! おじさんは?」

 こんな美少女がハンバーガーなんかでこんなに歳の離れた中年男に好きなことをさせるのか、と思うと男は気が気ではなかった。

「もう、ボーっとしてないで早く行こう!」

 男はもぐもぐと口いっぱいにハンバーガーを頬張る少女を見ながら、チャンスだと思っていた。立ち上げてからまだこれといって輝かしい経歴のない、自身の芸能事務所に少女をスカウトするつもりでいたのだ。

 この子の話が嘘でなければ、これから自分のする話にホイホイと乗ってくる。未成年ではあるが、親元を離れていてもおかしくはない年齢だし、中学を出てすぐに事務所に預けられる子もいるのが常識なこの世界だ。根気よく説得を続ければきっとこの子の親も納得してくれるだろう。

「さっきの話、本当か?」

「ほんほおはよ」

「口の中に物が入ったままで喋るなよ」

 口の中の物を飲み込み、少女は言い直した。

「本当だよ」

「ちゃんと本当のこと言ってくれたらシェイクも飲んでいいんだけどな」

 少女は目を真ん丸く広げて言った。

「本当に!?」

 男は無言で大きく頷いた。

「ごめんなさい、ひとつだけ嘘ついた。ね、シェイク頼んできていい?」

 こんなに素直な女の子がどうして、と思いながら少女に小銭を渡した。レジからシェイクを持って帰ってきて続ける。

「捕まったのは本当なんだけど、援交じゃなくて。それは本当に私はやらされてたから被害者になったのね」

「じゃあなんで警察に捕まったんだよ?」

「……ストーカー」

「えっ?」

 男は思わず聞き直した。

「ストーカーっていうか……、迷惑防止条例違反ってやつ? そのときに付き合ってた彼氏にいろいろバレちゃってさ。でも、本当にやってないことまで噂になってたから、それをわかって欲しくて毎日ずっと彼氏の家の近くの電柱の陰に隠れて帰ってくるのを待ってたんだけど……。私ね、本当に好きだったんだ、彼氏のこと。フフフ、今でも好き。でも……」

「でも?」

 少女の目つきが変わった。

「なんで私のこと怖がるの!? ねえ、なんで!? こんなに好きなのに、どうして!? どうしてよ……!」

 少女はそのままブクブクと泡を吹き、白目を剥いて倒れた。

 男は慌てて少女を夜間病院に連れて行ったが、身体に特に異常がみられない為、おそらくは心因的な問題だということと、朝になったら大きな病院の精神科に診てもらうように指示をされた。

 医師の言葉を受けて男は迷っていた。果たしてこの子は使い物になるのだろうか。見た目は問題ないどころか間違いなく逸材だが、心を病んでいるとなると扱いが難しい。なんならこのまま置いていってもいい。心を鬼にすればアダルト専門のプロダクションに丸投げすることだって出来るが……。

「娘さん、意識が戻られましたよ」

 看護士の言葉にハッとし、すぐに駆けつけないと偽った身元がバレてしまうと男は急いで少女の元に向かった。

「なにかありましたらお呼びくださいね」

 含み笑いをかみ殺しながらそう言った看護士を、男は不思議そうに目で追いながら呼び止めた。

「あの、娘がどうかしましたか?」

 堪えきれず、笑みを漏らしながら少女に聞こえぬようそっと小声で男に耳打ちしてきた。

「だって、娘さんったら目を覚ますなり『ここどこ?私のハンバーガーは?』なんて言ってたものですから可笑しくって。よっぽどお腹が空いてたみたいですね」

 看護士は会釈をしながら受付に戻っていった。

 看護士に案内された診察室のベッドで横たわる少女は、捨てられた子犬のように、今にも泣き出しそうな顔で男の目を見つめた。

「ハンバーガー、食べそびれちゃった……」

 そう言って無理に笑う少女の顔を見て男は少しムッとしながらぶっきらぼうに言った。

「心配して損したよ」

 そんな男の心にもない言葉を見透かしたように、悲しげに少女は呟く。

「おじさん、ごめんね」

 少女の言葉に、男は戸惑いの色を隠しきれていなかった。

 考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る中、男は思わず顔を背けてしまった。

「明日、また来るから今日はここでゆっくり寝ていけ……」

 面倒なことに首を突っ込みたくはない、正直な結論だった。そう言って男はそのまま病室を出ようとした。

 男の心中をすべて察したかのように、少女は出せる限りの声を絞り出した。

「お願い、見捨てないで……!」

 そう言って、とうとう潤んだ両目からぼろぼろと涙を零し、男の手を掴んだ。

「おじさんに見捨てられたら、私……ここを出たら私に好きなことしていいから……ホテルでもどこにでも一緒に行くから……! お願い……これ以上もう……私を見捨てないで……!」

 声にならない叫び。なんて悲しい願い事なのだろうか。この豊かな国の中で、まだ二十歳にも満たない年頃の少女の願いとして、こんなに悲しい願い事があるのだろうか。

 男はその涙を見て、結局この少女も被害者なのだと感じていた。育った環境、親の愛情、学ぶ教養、なにかひとつズレただけでとんでもないところまでズレていってしまう。

 自分も偉そうに言えるような育ち方ではないが、この子よりは幾分かマシだったのかもしれない。会うことができなくなっていた自分の娘を思い出しながら、そう思っていた。男に少女を見捨てることなどすでに出来はしなかった。

「お前、なんでもするって言ったな?」

 男の問いに、少女は意識を朦朧とさせながら、か細い声で答える。

「うん……見捨てないでいてくれたら私なんでもする……だから、お願い……私を見捨てないで……」

「じゃあお前、俺の事務所で女優になれ」

「うん、なんでもする……なんでも……」

 なんとか意識を保っている状態の少女の耳に、男の声はあまり正確に届いていなかった。

「そんで、アレだ。いつかお前は大女優になって、俺を大金持ちにするんだ」

「なんでもする……なんでもするから……お願い……」

「ああ、一生面倒見てやるから安心しろ」

 瞼が落ち始めた少女に微笑みかけながら男は言う。

「そのためにも、まずは治せ。心の病気をよ」

 少女は再び目を瞑った。

 男はさっきまでの及び腰な自分を恥じながら、そのキレイな寝顔を惜しげもなく魅せつける少女を、役割を果たせなかった自らの娘に重ねていた。

「なんだよお前、よく見たら口の周りがケチャップだらけじゃねえか」

 内ポケットにあったハンカチで、そっと少女の顔を拭いた。

「なんてこった。キレイな顔が台無しだ」

 男はそう呟きながら、少女と自らの将来に対し、覚悟を決めた。

 少女はそのまま眠ってしまった。少女が持っていた学生カバンのタグには、少女の名前が書いてあった。

『高橋真理子』と。

写真モデル=シイナナルミ
撮影=飯岡拓也
スタイリング=TENTEN