棚橋弘至があきらめない仕事術&生き方を伝授!「100年に一人の逸材」について/『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』②

スポーツ・科学

2019/8/12

新日本プロレス、不動のエース・棚橋弘至。「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、なぜリングに上がり続けることができるのか? 職場や家庭で孤独を感じ悩める読者の背中を押し、あきらめない仕事術&生き方を伝授する…!

『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』(棚橋弘至/マガジンハウス)

「らしくないこと」が最大のセールスポイントとなる。──「100年に一人の逸材」について

「新日本プロレス〝100年に一人の逸材〟棚橋弘至です」──。

 僕は挨拶をするとき、「100年に一人の逸材」と自ら考えたキャッチコピーを、必ず名前の冒頭につける。

 このキャッチコピーを考えたのは2008年12月。当時、IWGPヘビー級王者の武藤敬司(むとうけいじ)選手とのタイトルマッチ(2009年1月4日・東京ドーム)を目前に控えているときだった。

 武藤さんは誰もが認めるプロレス界の超大物。知名度、体格、過去の実績、ファンの支持──、それらがすべて自分よりも上だった。

 そんな強敵を前に、「どうすれば自分に追い風を吹かせることができるのか?」……。僕は思案を重ね、「未来で勝負するしかない!」という発想に至った。

「棚橋がチャンピオンになったら新日本プロレスはどうなっていくのか?」という、少し先の未来や可能性を感じさせることが必要だと思ったのだ。

 こうして生まれたキャッチコピーが「100年に一人の逸材」だ。

 でも、世の中は甘くない。武藤さんとのタイトルマッチ調印式で初めてこのフレーズを披露したとき、プロレスファンで溢(あふ)れた会場は盛り上がることなく「シーン……」と静まり返った。その光景はいまでも忘れられない。

 だが、そのくらいでは心が折れないのが僕の圧倒的長所。雨の日も風の日も「100年に一人です!」「逸材です!」としつこく言い続けた。

 僕が初めてIWGPヘビー級王者となった2006年当時は、プロレスが総合格闘技などの人気に押されていたことや、観る側の期待を裏切る対戦カードなど、さまざまな要因でファンが新日本への不信感を募らせ、会社がピンチに陥っていた。それは焼け野原といっていい状態で、会場には閑古鳥が鳴き、試合もまったく盛り上がらない。業績を上げたいと思っても、どこから手を付けて良いのかわからない状況だった。

 そこでまず、僕は「どうしたらプロレスを好きになってもらえるか?」を必死に考えた。しかし、解決策はなかなか見つからない。

 行き着いた先は「そもそも自分はどうやってプロレスを好きになったのか?」という根本的な問いだった。

「好きになったのは、プロレスを観たから。そうか! まずは観てもらえばいいのか!」──その答えはとてもシンプルである。

 当時はプロレスを観たことがない人が多く、とくに若い人たちは目にする機会も少なかった。好きになってもらうチャンスすらなかったのだ。

 しかし、「プロレスを観に行きたい!」となるには、いくつものハードルがあった。ゼロから、いや、むしろマイナスからのスタート。全国で大会のプロモーションをこなしながら、それを痛感した。

 メディアの取材を受け、ラジオに出演させてもらっても、プロレスどころか自分の名前を覚えてもらうこと自体が難しいのだ。よく芸人さんが漫才を始める前に「名前だけでも覚えて帰ってください」と言うが、あれはただの前口上ではなく、心からの言葉なんだと思った。

 そこを越えたら、次にプロレスに興味を持ってもらい、さらに会場で観てみたいと思わせたいところだが、大きな難敵が現れた。

 ズバリ〝先入観〟である。

 プロレスという言葉が持つイメージが予想以上に、そして悲しいくらいに良くなかったのだ。

「野蛮」「痛そう」「血が出るんでしょ?」……。

 とくに女性の反応はそういったものが多く、僕は「現状を打破するには、プロレスを一回ブッ壊すしかない」と決意した。先入観が邪魔をして興味を持ってもらえないなら、それを取り払えばいい──。

 だから、プロモーションで人と接するときに、僕はプロレスラーであることを捨てた。体格はいいけど、世間一般の方々と変わらないような振る舞いを心がけた。

 すると、今までとは違った反応が返ってきた。

「棚橋さんってプロレスラーっぽくないですね」──。

 プロレスラーらしくないことが〝プロレスラー棚橋〟の最大のセールスポイントとなり、自分にしかできないことがあるはずだと気づいたのだ。

 若手の頃はタンクトップばかり着て肉体を誇示し、プロレスラーとして見られることに最大の喜びを感じていた。まさに筋肉と自己顕示欲の塊だったわけだが、そんな自分が服装に注意を払い、相手に威圧感を与えないことを心がけて、肉体がうまく隠れるようにした。

 そうすると、プロモーションに協力してもらえるメディアも次第に増えていった。

 メディアに出る機会が増えれば名前を知ってもらえる。

 名前を知れば興味を持ち、好きになってもらえる確率も高まる。

 このような好循環ができたとき、タイミングよく思いついたのが「100年に一人の逸材」というキャッチコピーだった。

 その目的は〝人の心に残るため〟──。

 必ずしも額面どおりに受け取ってもらう必要はなく、「何を言ってるの、この人?」でもいいし「嘘、大袈裟(おおげさ)、紛らわしい」でも何でもいい。とにかくスルーさせないことが目的だったのだ。

 そして、地道に言い続けていった結果、いまや「100年に一人の逸材」は僕のキャッチコピーとして定着し、他ジャンルでもパロディのように用いられるようになった。