「やっぱり嫌な感じの女。」『無自覚な恋の水槽の中で 6階の厄介な住人たち』⑥

文芸・カルチャー

更新日:2019/11/18

『無自覚な恋の水槽の中で 6階の厄介な住人たち』(イアム/KADOKAWA)

「バカだ、俺は。今になって、あの唇の感触を反芻するなんて。こんなに会いたくて、触れたくて仕方ないなんて」嘘が上手なモテ男×空気担当の喪女、おじさま好きの女子大生×DTの美男子大学生…WEB恋愛小説の女王「イアム」による、切なく、苦しく、とびきり甘い、眠れぬ夜の大人のためのラブストーリーに加筆修正をくわえて書籍化!

「なんで平日?」

「だって枦山さん、この前の日曜ひどくない? 私、家を出る準備までしてたのに」

「たしかに返信遅くなったのは悪かったけど、謝ったでしょ」

「許してないもん」

 ミズキが部屋に来たのは、水曜の夜だった。仕事を終え、家に帰ってシャワーを済ませてひと息ついていると、メールの通知に気付いた。文面では【会いたいな】などと可愛いことを言っていたのに、玄関を開けると、わざとふくれっ面を作ったミズキが腰に手をあてて立っていた。その三流女優のようなさまに、漫画か、と心の中でツッコむ。

 あの日はお菊の部屋から自分の部屋へ戻ってから、なんとなくめんどくさくなって誘いを断っていたのだ。

「まぁ、とりあえず入って」

「彼女は大丈夫なの?」

「大丈夫じゃなきゃ、来てもいいよなんて言わないよ」

 彼女の肩に手を添えながら部屋に入れるとき、ちょうど601の女も部屋に戻ってきたところらしく、ドアを閉める間際に目が合った。

「どうも」

 ボヤがあったらしい日に会っているし、無視するのも変かと思って頭を下げる。すると彼女は冷ややかな視線をこちらへ向け、会釈にもならないくらいの傾きの頭をそのままに、すっと部屋に入った。閉まったドアの音が、なんとなく俺に対しての軽蔑を表しているように感じる。

「…………」

 やっぱり嫌な感じの女。

「ねーねー、枦山さん、ご飯食べたー?」

 部屋に入ると、ソファーの真ん中にお尻を勢いよくバウンドさせて座ったミズキが、クッションを抱きながら聞いてくる。

「いや、今から。買ってきた弁当食べるとこ」

「それ、明日に残しといて、今から外へ食べに行こうよ」

 ……はあ? 俺、疲れて帰ってきて、もうシャワーも浴びたし、外出する気力ないんだけど。 つーか、こういうのが煩わしくてセフレなのに。

「もう9時前だよ。平日だし」

「私だって仕事上がりにわざわざ来たんだよー。ね、日曜日の穴埋め。その後、たまにはホテルでも行こ?」

 約束をすっぽかしたわけじゃなくて断っただけなのに、勝手に来て、勝手にメシをたかって、いい身分だな、女は。ニンジンぶらさげとけば、男はなんでも言うことを聞くとでも思ってんだろうか。

「わかった。じゃあ3分で支度するから」

「わーい。枦山さん大好き」

 

 帰りは0時を回っていた。駐車場からエントランスへ、目を擦りながら向かう。

「あー、ねみ」

 ホテルに宿泊してもよかったけれど、寝る前に絶対に塗らないといけない美容液を忘れてきたとかなんかで、ミズキを車で送ることになった。そういえば帰り際、「今週末は彼氏と1ヶ月ぶりに会うんだ」などと、とびきりの笑顔で言っていた。清々しいほど罪悪感がなさそうな彼女に、今さらもう驚かない。

「……あ」

 何気なくマンションの外観を見上げ、6階の自分の部屋を確認すると、電気がつけっぱなしになっていた。鼻から小さく息を吐き、帰ってきて正解、と呟く。

 それと同時に、ちょうどひとつ下の照明が消えたことに気付く。そして、その部屋がお菊の部屋だと思い出して、あぁ、今から寝るところか、と妙に生々しく思った。

 彼女のことを知らなければなんてことないのに、知っていて部屋にまで上がったからだろうか、上下の部屋で生活していることがやたらリアルに、そして滑稽に感じられる。

 そういえば、俺は名乗ったのに、結局お菊の名前は聞いていなかったな。

 名前も年齢も電話番号も仕事も知らない。ただ、魚が好きだということと、家の中のレイアウトとカレーの味は知っている。

「ハハ」

 俺はエントランスに上がる階段をのぼりながら、なんだそれ、と笑った。そして俺の頭の水槽の中で、あのエレファントノーズフィッシュがポチャンと水を跳ねた。

 

 翌々日は雨だった。それでも金曜で休み前だからか、定時を過ぎると、社内の連中はいつもよりも早めに切り上げて「お疲れさまでーす」とフロアを出ていく。

「枦山さん、すみません」

「〝すみません〟て言うなら手を動かして、手を」

「怒ってますよね?」

「はいはい、怒ってるから手を動かして、手を」

 目の前のデスクに座っている須田が、パソコンの上から何度もピョコピョコ顔を出すもんだから、俺は呆れながら返す。

 来週月曜の朝いちで使用する会議資料、その数ページを担当した須田が、完成した途端にデータを誤って全消去してしまったのは30分前のこと。

「なんで部長、俺がパソコン苦手だって知ってて、俺ばっかりに作成させるんだろ」

「須田を育てようっていう部長の愛がわからない限り、オマエは一生新人扱いだよ」

「愛が重いですよ。この言葉、初めて使うのが部長相手だなんて、俺悲しい」

「いいから口じゃなくて手を動かせ、手を」

 表やらグラフやらが多く、思った以上に時間が取られる。結局作成しなおしてコピーやセットまで終わったときには、9時を回っていた。

「すげーっす! 俺が3日かかって作った資料、3時間で完璧に仕上げるなんて」

「逆にすごいよ、これに3日かけるなんて」

 背広を羽織りながら帰り支度をし、須田と一緒にフロアを出る。

「つーか、予定とかなかったですか? 彼女さんとか、これじゃないっすか?」

 須田がエレベーターに乗り込みながら、両手で鬼の角を作り、頬を膨らませる。

「古……。ていうか、今さらな質問だな。大丈夫だよ。須田は?」

「俺、合コンです。でも、連絡入れてるから大丈夫です。それに、遅れて2次会から参加のほうがカッコいいから結果オーライです」

「カッコいいか? なんだよ、それ」

 先週に続けて、須田はホントに合コンが好きみたいだ。俺はクタクタだというのに、目がキラキラしている。というか、7割は俺が資料作成したんだから、こいつが疲れていないのは当然か。

「枦山さんもどうですか? 飛び入り参加」

「いや、今日はいい。楽しんできて」

「はいっ! マジでホントにありがとうございましたっ! 俺、枦山さんになにかあったら、絶対助けますから」

 エレベーターをおりてビルから出ると、軒下で須田は切れよく敬礼し、直角に頭を下げた。そして戻した顔をニッと無邪気に崩して、「それじゃ、お疲れ様ですっ」と言うと同時にジャンプ傘を差し、反対方向へ走っていった。

「……若ぇーなぁ、24歳」

 アイツに助けられるようになったらおしまいだな、と思いながら、俺も傘を開いて歩きだした。

 

 金曜だからということで、コンビニで弁当と一緒に、つまみと発泡酒6缶パックを調達してエントランスへ入る。先日借りたDVDでも見ながら飲むか、と思ったけれど、そういや返却は明日だったと思い出した。借りた3作品、明日までに全部見終わらなければ。

「あ」

 そんなことを考えながら傘を畳みつつエレベーターに向かっていると、ちょうど開いたエレベーターのドアから人が出てきた。

「あ」

 お互い一瞬ビクッとしたけれど、相手がわかると、同時に、なんだ、という意味の「ああ」を発する。

「こんばんは」

「……ん、ばん、は」

 やはり小声でドモりながら返すのは、5日ぶりのお菊。今日は短パンにレギンス、上はパーカー姿だった。今までで一番若く見える。にしても、同じマンションとはいえ、よく会う。そういえば、前回もこのくらいの時間だった。

「またコンビニ?」

「え? あ、は、はい」

 挨拶した後で所在なくなったのか、俺の横を素通りしていこうとしたお菊は、足を踏み出したポーズのままで固まって返事をする。あんなに魚について楽しく語り合ったというのに、関係性がまたふりだしに戻ったような錯覚がする。

「小雨降ってるよ」

「そ、そうなんですか?」

 お菊は傘を持っていない。

「なに買いに行くの?」

「え?」

 聞かれると思っていなかったらしいお菊は、指で水を飛ばされたかのような瞬きをし、挙動不審になった。実際、こういうのを聞くほうも聞くほうだと、言った後で反省する。

「お、お酒を」

「酒?」

「はい。そ、それと同じヤツを」

 そう言って、人さし指をそろそろと俺のコンビニ袋へ伸ばすお菊。指の先には、6缶パック。これは、以前彼女に略奪された発泡酒と同じものだ。

「あー、これ、飲みやすいよね」

「はい」

「飲む?」

「え?」

「代わりに、魚見せてよ」

<第7回に続く>

連載継続中の第3章以降はコチラ

イアム●小説投稿サイト「エブリスタ」で圧倒的な人気をほこるWEB恋愛小説の女王。主な著書に『失恋未遂』1~5巻(高宮ニカ作画/双葉社ジュールコミックス)、『コーヒーに角砂糖の男』(小学館文庫)、麻沢奏名義で『いつかのラブレターを、きみにもう一度』『放課後』三部作、『ウソツキチョコレート』(以上スターツ出版文庫)、『あの日の花火を君ともう一度』『僕の呪われた恋は君に届かない』(以上双葉文庫)など。 エブリスタにて『6階の厄介な住人たち』連載中。