飼い主さんを怒らせる先生…次の患獣さんは大丈夫?…って私は何を?/『高遠動物病院へようこそ!』⑥

文芸・カルチャー

2019/11/20

独立したてのWEBデザイナー日和は、姉夫婦から頼まれ、2年間だけ雑種犬「安藤さん」と暮らすことになった。安藤さんの予防接種のため、初めて訪れた動物病院は、診察券すらなくスタッフは獣医の高遠のみで…。
待望のシリーズ2巻が11月15日に発売!

『高遠動物病院へようこそ!』(谷崎泉:著、ねぎしきょうこ:イラスト/KADOKAWA)

 私はスタッフじゃないと繰り返そうとしたが、通じない気がして、ぐっと飲み込んだ。患獣さんを通すだけなのだから、手間はかからない。ここでなんで私が…とキレるよりも、大したことじゃないのだからと自分に言い聞かせる方が面倒は少ないはずだと理性的な判断を下す。

 会計、お願いしますねと念を押してから診察室を出て、受付に戻った。机に並べておいたバインダーを持って、フレンチブルドッグを連れて来ていた親子連れに声をかける。

「お待たせしました。どうぞ」

 小学生くらいの娘さんを連れたお母さんが「はい」と返事して立ち上がる。しかし、お母さんの前に座っていたフレンチブルドッグは座ったまま動かなくて、待合室を引きずるようにして連れて来られた。

「すみません。この子、獣医さんが嫌いで…」

「そうなんですか」

 怖い目に遭ったことでもあるのかな。必死な顔付きのお母さんにを相槌を打ち、壁を回って診察室へ案内する。そして、ガラスの向こうにいる高遠先生を見て、はっとした。

 このフレンチブルドッグもメタボだったりしたら…。また先生は怒らせてしまうようなことを言う可能性がある。お母さんだけならまだしも、小学生の娘さんを厭な目に遭わせるのは可哀想だ。

 余計なことかもしれないと思いながら、診察室のドアを開ける前に、そっとお母さんに耳打ちした。

「あの…先生なんですが…ちょっと、口の悪いところがあるんです」

「そうなんですか?」

「でも、犬が大好きで、犬のことを思う気持ちは人一倍あるので…」

 高遠先生をよく知らないのに(こっちも初対面だ)庇うようなことを言うのは気が引けたが、安藤さんを嬉しそうに撫でていた先生は本当に犬が好きなようだった。

 失礼なところがあっても我慢してやって欲しいと頼む私に、お母さんは「分かりました」と返事してくれる。よかったと思って診察室のドアを開け、問診票を挟んだバインダーを先生に渡した。

 もしもまた先生が飼い主さんを怒らせたとしても、私にはこれ以上、どうすることも出来ない。十分以上の働きはしたつもりだ。

「ですよね、安藤さん」

 受付の椅子に座って、床で丸まっている安藤さんに小声で話しかける。上目使いで私を見た安藤さんは、「どうでしょうね?」と首を傾げているように見えた。

 

 ミニチュアダックスのことがあったので、診察室の様子が気掛かりで仕方がなかったのだが、覗き見するわけにもいかず、受付に座ったままでいた。すると、また患獣さんが入って来たので、色んな気持ちを飲み込んで、問診票を渡し、受付業務に徹した。

 大した仕事じゃないにしたって、どうして私が手伝わなきゃいけないのか。もう、帰りたい…。そう思っても、帰る為にはお金を払わなきゃいけない。それには患獣さんが途切れるのを待つしかないのか…。

 悶々と納得がいかない気分でいると、背後の診察室から人が出て来る気配がする。

「ありがとうございました。お世話になりました」

 姿を見せたのはフレンチブルドッグのお母さんと娘さんで、診察室に入って行く前とは全然違う、明るい顔でお礼を言った。待合室を引きずられていたフレンチブルドッグも、軽快な感じの足取りだ。

 よかった。また怒って出て来たらどうしようかと心配していたのだ。だが、今度の飼い主さんはさっきとは逆の反応を見せた。

「びっくりしました。この子、獣医さんが大嫌いで騒動を起こしてしまうので、毎回違う病院にお世話になってるんですね。噛んだりするかもしれないから、エリザベスカラーなしでは診察も出来なくて…カラーを嵌めること自体も大変なんです。でも、こちらの先生にはすごく懐いて…カラーも必要なかったし、こんなにすんなりと診察して貰えたのは初めてです!」

「へえ、そうなんですか。よかったです」

 なんと。やっぱり高遠先生は動物の扱いはうまいらしい。お母さんは犬の懐きっぷりに感動していて、先生の人間に対する無愛想さは全く気にならなかったという。

「口が悪いと聞いたのでちょっと心配だったんですが…全然でした。親切に説明して下さって…分かりやすかったです。ありがとうございました」

 そう言って帰ろうとするのを見て、あれ? と思って呼び止めた。会計はどうしたんだろう。不思議に思って尋ねる私を、お母さんは同じように不思議そうに聞く(私をスタッフだと思っているのだから、当然ではある)。

「診察室で済ませましたよ。お薬もあちらで」

「あ…そうですか。失礼しました」

 なんと。さすがワンオペ。診察室で全部終わらせるんだ…と感心してから、「ん?」と首を傾げる。だったら、どうして私は…? 狂犬病の書類とやらがあるから?

 怪訝に思っていると、「次は?」と聞く高遠先生の声が背後からする。はっとして振り返り、バインダーを差し出した。それを受け取った先生が診察室へ向かうと、次の飼い主さんに声をかけた。

 その際、フレンチブルドッグのお母さんにしたのと同じ説明をした。次は七十歳くらいのおじいさんと、柴犬っていう組み合わせだったのだけど、またしても事前説明が功を奏したのか、先生の無愛想振りはそうでもなかったと言って出て来た。

 前もって聞いていると覚悟ができるものなのかもしれない。なるほどなあ…と妙なことに感心しつつ、先生の手が空くのをひたすら待っていた私の元に、救いの神が現れたのは七時を回った頃だった。

<第7回に続く>