ようやく受付役解放…! でも一言の礼もなし?/『高遠動物病院へようこそ!』⑧

文芸・カルチャー

2019/11/22

独立したてのWEBデザイナー日和は、姉夫婦から頼まれ、2年間だけ雑種犬「安藤さん」と暮らすことになった。安藤さんの予防接種のため、初めて訪れた動物病院は、診察券すらなくスタッフは獣医の高遠のみで…。
待望のシリーズ2巻が11月15日に発売!

『高遠動物病院へようこそ!』(谷崎泉:著、ねぎしきょうこ:イラスト/KADOKAWA)

 安藤さんに笑いかけ、撫でる仕草は慣れたもので、やはり醍醐さんが動物病院のスタッフであるのを物語っていた。高遠先生ほどアグレッシブではないけど、醍醐さんも愛おしげに安藤さんを可愛がってくれる。

 安藤さんも嬉しそうで、よかったと思っている内に、醍醐さんの呟きの意味を聞くのを忘れてしまった。

「賢い犬ですね。あ、会計なんですが、お名前とご住所が知りたいので問診票を…」

「記入してあります」

 自分で判断し、記入しておいた問診票を醍醐さんに渡す。それを受け取った醍醐さんは、ざっと目を通して尋ねて来た。

「森下さん…って仰るんですね。この子は安藤さんで…ええと、生年月日は…」

「それが…この子、保護犬で、正確な生年月日が分からないんです」

「ああ、そうなんですか。じゃ、大体の年齢で構いません」

「七歳くらいだと聞いてます」

「分かりました。あと、役場からのお知らせの葉書は…」

 持って来てはいたが渡すタイミングのなかった葉書をポシェットから取り出し、醍醐さんに渡す。醍醐さんは少し待ってて欲しいと言い、診察室へ戻って行くと、しばらくして明細書を持って来てくれた。

「お待たせしてすみません。こちらがお会計で…こちらが狂犬病の注射接種証明書と、鑑札になります。手続きはやっておきますので」

 高遠先生は自分一人だと言っていたが、醍醐さんが余りに手慣れていて不思議になって来る。本当にスタッフじゃないんだろうかと訝しく思い、本当に働いていないのかと確認してしまった。

「先生はお一人でやってるようなことを仰ってましたが…」

「ええ。俺はたまに手伝いに来てるだけで…。今、領収書とお釣りを持って来ますね」

 つまり醍醐さんも私と同じように、なし崩し的に手伝わされているのかな。だが、それにしては仕事がプロ過ぎるし、格好もスタッフみたいだ。何か事情がありそうだと思ったが、余り突っ込んで聞くのも躊躇われた。

 醍醐さんが領収書とお釣りを持って来ると、礼を言って受け取り、帰り支度をした。これでようやく帰れる。安藤さんにも申し訳ないことをしたと心の中で詫びながら、リードを外していると、診察室の方からバタバタという足音が聞こえた。

 慌ただしく現れたのは高遠先生で、仏頂面で私を見てぶっきらぼうに尋ねる。

「どうだ?」

「え?」

「いつもと様子が違うとか、おかしいところはないか?」

 一瞬、何を聞かれているのか分からなかったが、先生の視線から安藤さんのことを聞かれているのだと気づき、首を傾げた。どうしてそんなことを聞くんだろう? 不思議に思う私に、醍醐さんが説明してくれた。

「予防接種を打つと副反応が出る場合があるんです。アレルギー反応や、アナフィラキシーショックを起こす場合もありますから」

「そうなんですか」

 高遠先生は狂犬病の注射を打った安藤さんを心配して診察室から出て来てくれたのか。ありませんという私の答えを聞き、先生は安藤さんの前にしゃがんでわしゃわしゃと撫で回す。その顔が私に向けた仏頂面とは真逆の、満面の笑みであるのがどうも納得がいかないのだが。

「よしよし。調子が悪くなったらいつでも来いよ。お前はいい子だ。賢いな。帰ったら飯、貰えよ」

 じゃあな。一頻り安藤さんを可愛がった高遠先生は、満足げな顔でそう言い残して診察室へ戻って行く。

 二時間近く、受付役として手伝った私には一言の礼もなしで。

「……」

 高遠先生に悪気はないのだろう。無礼というのとも少し違うような気もする。でも…何だか釈然としなくて、高遠先生が去って行った方を目を眇めて見る私に、醍醐さんは慌てたように詫びた。

「す、すみません。あの…先生もきっと森下さんに感謝してるはずで…」

「……」

 醍醐さんは何も悪くないのだし、気を遣わせても気の毒だ。全然平気ですと、作り笑いを浮かべて言うと、安藤さんを連れて病院を出る。醍醐さんは私たちの後をついて来て、もう一度「ご迷惑をおかけしました」と恐縮した態度で言った。

「手伝って下さって助かりました」

「いえ。けど、先生はスタッフはいなくてお一人だと仰ってましたが、受付の人だけでも雇ったりしないんですか? 動物病院でワンオペって無理があるような…」

「俺も雇った方がいいって言ってるんですけど……そう言えば、飼い主さんへのアドバイスもありがとうございました。飼い主さんに前置きするっていうのは目から鱗でした。俺は今まで、先生の方を注意してたので」

「先生の方を…というと、優しく接するように…的な?」

「それは無理でも、失礼のないように」

 醍醐さんは苦笑して言い、「無理でしたけど」と続けて頭をかく。

「半分以上は怒らせてしまって、帰ってしまったり、二度と来ないみたいなことを言われたり。お陰で悪い評判が立ってるのか、患獣さんもなかなか増えなくて」

「でも、今日は次から次へと来ましたよ」

 おかげで帰るタイミングがなかったのだ。こんなに分かりにくいのにと驚いていたほどである。

「春はフィラリアの予防薬を貰いに見える方も多くて…それに、狂犬病の予防接種も始まりましたから、かき入れ時…いえ、患獣さんが増える時期なんです。他の動物病院が混んでるからっていう理由で来られる方も多いかと」

「そう言えば、フィラリアって病気の名前なんですか?」

 怒って帰ってしまったミニチュアダックスの人もそうだけど、他の患獣さんも軒並みフィラリアという文字を問診票に書いているのを見ていた。フィラリアの予防薬…とも聞いたので、流行っている伝染病か何かなのだろうか。

「フィラリアっていうのは蚊を媒介して、犬や猫がかかる病気なんです。猫は室内飼いの子が多いですけど、犬は散歩に出るので蚊に刺されたりするじゃないですか」

「だから、予防薬を飲ませるんですか」

「はい。血液検査で病気にかかっていないかどうか確認した後、予防薬を処方します。今は急に暑くなって蚊が発生したりもするので、大体、四月から…十一月くらいまでは飲ませて欲しいと勧めてます」

 なるほど。犬にも色んな病気があるんだなと感心しつつ、はっとする。他人事じゃないのだ。今の私には。

「じゃ…安藤さんも飲まなきゃいけないんですね?」

「そうですね。去年はどうされてたんですか?」

「実は…この子、本当は姉の犬なんです。姉が旦那さんの転勤で海外へ行ってしまって…その間、預かってるんです」

「そうだったんですか。じゃ、お姉さんに確認された方がいいかもしれません」

「そうしてみます」

「よければ、ここを利用してやって下さい。先生、無愛想で飼い主さんには厳しいかもしれませんが、獣医としてはすごく優秀なんです」

 先生が獣医として優秀であるようなのは、動物に対する態度から推測出来る。ただ、それに比例するように、人間には無愛想でぶっきらぼうなのが難点であるのは間違いないのだが。

 けど、醍醐さんは高遠先生とどういう関係なのかな。ここのスタッフではないらしいけど、友人というには年が離れている。醍醐さんはたぶん、私と同じくらいか、年下だろう。二十代半ばから後半。対して高遠先生は四十手前に見える。

 不思議に思っていると、醍醐さんは「じゃ失礼します」と挨拶した。私も頭を下げ、ありがとうございましたと返して、商店街を歩き始める。

「安藤さん、お疲れ様でした。思いがけずに時間がかかっちゃって、お腹空きましたよねえ。早く帰ってご飯にしましょう」

 コロッケでも買って帰ろうかな。安藤さんと共にすっかり暗くなった商店街を歩きながら、姉に電話して確認しなきゃいけないと考えていた。

<続きは本書でお楽しみください>