“安心して”罵りの言葉をかけられる社会… SNSが許せない感情を「見える化」した/『人は、なぜ他人を許せないのか?』③

社会

2020/3/29

炎上、不謹慎狩り、不倫叩き、ハラスメント…世の中に渦巻く「許せない」感情の暴走は、脳の構造が引き起こしていた!「人を許せない」という感情がどのように生まれるのか、その発露の仕組みを脳科学の観点から解き明かしていきます。

『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子/アスコム)

SNSが隠れていた争いを「見える化」した

 誰かを許せないという状況は、人間が社会を作ってきた歴史とともに常に存在していたことでしょう。しかし、許せない感情を抱いたからといって、実際に相手に向かって「あなたを許さない!」と宣言するかどうかは、また別の問題です。

 意見の対立する者同士が向かい合い、ルールに基づいた建設的な議論をするのならばともかく、反対しているという理由だけで面罵し合うというのは、まるで子ども同士の喧嘩のようです。

 実際には誰でもしがらみがあり、社会的な立場があって、損得勘定や忖度も働きます。こうした条件がブレーキとなり、リアルな人間関係のなかでは、「許せない」という感情を吞み込むことが望ましい態度とされます。平社員が社長に、営業担当がクライアントに腹を立てても、今後のことを考えれば、態度に出したり、まして罵ったりはしないでしょう。本音は、作り笑顔の裏側に注意深く隠しているケースが大半というわけです。特に、自分の意見をはっきり言わない人が多い日本においては、その傾向が顕著です。

 

 この状況を「見える化」してしまったのが、インターネット社会の出現、とりわけSNSの普及ではないでしょうか。

 匿名性を盾に、根拠の怪しい情報を書き込んだり、あるいは真偽不明な告発や犯罪予告が行われたりするインターネット空間が出現してから、すでに20年以上の時間が経過しています。当初こうしたインターネットの世界は、アンダーグラウンド的なものでした。少なくとも、社会の多くの人がそこに参加しているとは言いがたく、あくまで現実社会とは並行的に存在する別の世界だというコンセンサスがありました。

 しかし、ツイッターやフェイスブックを始めとするSNSが、ここ10年ほどの間に急速に普及したことで、状況は一変しました。誰もが参加でき、発信できる場としての地位が確立されたことで、インターネットの世界が現実の世界と重なり合うようになったのです。今やインターネットでの情報発信は世論を動かす力まで持つようになりました。

 

 この状況は、「許せない」という感情のごく個人的な処理プロセスに、いくつかの決定的な変化を生みました。

 例えば、有名人の不用意な発言やスキャンダルなどのわかりやすい不正義に対して、無数の一般人が積極的に言及する状況を生みました。さらに、一般人でさえ、うっかり不正義、または不正確と見なされる情報をSNS上で公開してしまえば、一度も会ったことのない、会う可能性すらない赤の他人からもなじられてしまうようになりました。それがエスカレートし、複数の人から攻撃的なコメントが頻回に寄せられて、人格攻撃を含むようなやり取りが短時間のうちに飛び交うこともあります。いわゆる「炎上」です。

 炎上が起こっているときには、多くのケースで匿名のアカウントが使われます。攻撃者はよほどの不法行為でも働かない限り、自らに直接危害が及ぶことはなく、事実上安全であることが多いようです。面倒なことになりそうになったら、アカウントを削除、あるいは放置してしまえばよいということなのでしょう。

 

 こうして人は、自らの意見に反する有名人に安心して罵りの言葉をかけ、炎上した一般人を見つけたらそこに加勢し、聞かれてもいないのに自説を自信満々に開陳してしまうようになりました。自分が支持している著名人が他の著名人と論争でもしようものなら勇んで加勢します。その反面、今まで支持していた著名人の言動が受け入れられなくなると、今度は百八十度態度を変えて、攻撃の対象にすることもあります。

 多くの人がSNS上で爆弾を投げ合い、ミサイルを飛ばし合ったような気にでもなっているように見えるわけですが、その中身は根拠に乏しく、論理の破綻しているもの、ただの言いがかりとしか言いようのないものが頻見され、本人は相手にダメージを与えようと強力な爆弾を投げているつもりでも、実際はほとんど読む価値のない水準の応酬も多いのです。

 

 私自身はこうした状況を多くの場合、時間の無駄と感じてしまうため、SNSの世界にはほぼ足を踏み入れていません。参加せずに少し引いたところから観察すれば、SNSが「(ルールに則らない何かを)許せない」という人間の感情を可視化したことは確かです。見方を変えると、誰かを許さないことで自己を肯定したい、自分の正しさを認めてもらいたい、という欲求の裏返しのようにも見えます。であれば、SNSを検索して、どこかに存在している、自説と相反していて攻撃しやすそうな対象を見つけ、喧嘩をふっかければ、それだけで自分は正しく生きる正義の味方である!! という認知が得られるわけです。SNSは、正義中毒の人にとって、なかなか手軽で、魅力的なツールなのでしょう。

<第4回に続く>

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