正義中毒は多数派に流れやすい…多様性を狭めた集団の末路/『人は、なぜ他人を許せないのか?』⑥

社会

2020/4/1

炎上、不謹慎狩り、不倫叩き、ハラスメント…世の中に渦巻く「許せない」感情の暴走は、脳の構造が引き起こしていた!「人を許せない」という感情がどのように生まれるのか、その発露の仕組みを脳科学の観点から解き明かしていきます。

『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子/アスコム)

多様性を狭めた集団は滅亡に向かう

 正義中毒にかかった人たちは、一見するとそれぞれ独自の理論、独自の正義を持っているように見えます。しかし実際は、自分がターゲットにされることを恐れる気持ちから、多数派に流れている人が多いと言えるでしょう。

 例えばAを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になってしまうと、異なる意見を持っていたとしても、言い出しにくくなります。これは、第3章で述べる同調圧力の問題とも絡んでくる事象です。

 社会全体でこういう方向に踏み出すことは、長期的に見ると非常に危険です。多様性を狭めた集団は、短期的には生産性を向上させ、出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かいます。

 言い換えれば、種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。

 

 これは「そうあるべき」という社会運動家的な文脈で語りたいわけではありません。あくまで可能性の問題としてですが、現在の環境や条件が急速に変化して、それまで「正しい」とされていたことの中央値が大きくずれてしまった場合、今まで適応していた人が生きづらくなる代わりに、それまで外れ値とされてきた「変わり者」や「圏外にいる人」が、むしろ適応できるようになることが起こり得るからです。だからこそ、種を継続させていくためには、ある程度の多様性を確保しておいた方が、健全で安心だと言えるのです。

 これは、企業に例えると非常にわかりやすい話です。強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績を上げている企業は、そうした人材ばかりを集めるようになるでしょう。しかし、ある日、急に規制が強化され、従来の営業方法が禁止されてしまったら、ほとんどの営業担当者が使い物にならなくなります。そのとき、たとえ少数でも温厚かつロジカルで、顧客本位な営業担当者をたまたま雇っていれば、なんとか営業活動を継続できますが、全員同じタイプの強引な営業マンしかいないという場合では、非常に厳しい状況を迎えるでしょう。

正義中毒は人間の宿命

 自分と異なるものをなかなか理解できず、互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、実は人間である以上、どうしようもないことです。その詳細は、第3章で述べていきます。ただ、たとえ他人の言動に強い拒否感を抱いてしまったとしても、人間の脳の仕組みを知っていれば、無意味な争いに参加して消耗することもなく、仕返しに誰かを傷つけることもなく、楽な気持ちで見守れるようになるのではないかと思います。

 

 比較例としてウサギを考えてみましょう。ウサギの大脳は、正義中毒を起こすには小さ過ぎ、人間のように正邪を基準とした行動は取りません。なぜ生まれたのか、などという問題で悩むこともないし、死ぬということもおそらく意識はしていないでしょう。ひたすら草を食み、子どもを作って、育てて一生を終える。このループを、文字通り無心に行っているわけです。

 人間は大脳を発達させてしまったばかりに、ウサギと同じ行動をする脳の周りに、大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が増設されていきました。

 大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いありません。人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、というやっかいな宿命も背負ってしまったわけです。知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言ってもよいでしょう。インターネットとSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈示したのではないでしょうか。

続きは本書でお楽しみください。

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