性格が悪くて嫌われ者でも建築手腕は抜群!? 宣教師も驚いた坂本城とは/『誤解だらけの明智光秀』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/15

歴史は時としてウソをつく。「そんなバカな」と思う人こそ、要チェック!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢されて、大注目の明智光秀。東京大学史料編纂所で歴史研究に勤しむ本郷和人教授が明智光秀が生きた戦国時代の“リアル”を愉快に解説します!

『誤解だらけの明智光秀』(本郷和人/マガジンハウス)

宣教師もびっくり。坂本城でわかる光秀の才能とは?

 坂本城は、本丸が琵琶湖に突き出した水城だったと考えられています。その本丸は三重の堀で囲まれており、堀と堀の間に二の丸、三の丸が築かれていました。

 城内には琵琶湖の水が引き込まれていて、城内から直接船に乗り込んでそのまま安土城に行けるようになっています。

 信長が坂本城の後に築城した安土城、それから秀吉の長浜城、大溝城などは、いずれも琵琶湖に直結しており、坂本城を参考にしたと考えられています。

 その豪奢なたたずまいは、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスもその著書『日本史』の中で、「明智の城は、荘厳華麗だ。信長が安土山に建てたものに次いですばらしい」とべた褒め。また、この坂本城で茶の湯を楽しんだ光秀の親友の公家・吉田兼見も、『兼見卿記』の中で「豪壮華麗な天守だ」と評価しています。

 坂本五万石くらいの経済力では、普通、こんな立派な城は造れません。領民に相当な税金をかけなければ不可能です。しかし、光秀が領民から恨まれていたという伝承は見られず、むしろ大変慕われていたとされます。となると、光秀は相当優秀な築城プランナーであり設計者だったといえるでしょう。

 ちなみにルイス・フロイスは、光秀について「ハゲだ。嫌われものだ。裏切りや密会を好み、残酷で抜け目がない計略と策謀の達人。だけど、築城となると造詣が深く、優れた建築手腕があって、熟練の大工を使いこなしていた」と言っています。

 要するに性格はひどいけど合理的で優秀だ、と言っているわけです。そういう意味では信長も同じ。信長とは抜群の相性だったのかもしれません。

光秀は、非常に優れた築城プランナー。
坂本城は安土城に次いですばらしい城だった。

<第6回に続く>