また彼に会えた! もっと話を聞きたいし、それを話すあなたを見ていたい――/『2409回目の初恋』⑦

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/13

榊詩音は11歳の頃、天文クラブのイベントで一緒に星空を見た男の子、芹沢周に恋をした。高校生になり周と再会した時、彼女は病気で余命1年と宣告されていた。ここからふたりの、千年を重ねる物語が始まる――。

『2409回目の初恋』(西村悠/LINE)

▼7月8日

 雨の降る夜に書く。日曜日。平日ではないから、ホームにいても彼には会えないだろうと思って、一日部屋にこもっていた。

 連絡を取ってくる友達は極端に減った。高奈だけはずいぶん熱心に連絡をくれて、LINEでのやりとりも頻繁だった。けれど、なんとなく違和感もあった。高奈とのやりとりに窮屈さを感じるのはなぜなんだろう。

 なんだか、自分が自分ではなくなっていくような気がする。

 高奈と一通りのやりとりをして、それから、彼にもらった宮沢賢治の詩集を読んでみた。

『春と修羅』。

 最初の『序』のところの文章からしてもう、なにがなんだかという感じ。これを楽しめるっていうのは、きっとよっぽど、本を読み慣れてる人だ。彼はきっとすごい人なんだろう。

 けれどそれでも、文章のリズムや選ばれている言葉の、ひとつひとつの雰囲気と、その言葉が組み合わさってできる流れのようなものに惹きつけられるものがあって。

 意味がわからないなりに、適当にページを開いて、ぼそぼそと書かれている言葉を口にしながら読んでいた。

 この本に彼が触れていて、同じ文章を追ったのだということになぜか恥ずかしさを感じたし、その恥ずかしさの向う側に、同じものを共有しているという嬉しさがあった。

 繫がってる感じがして、なんだかドキドキする。

 お前は病気で死ぬと言われてからずっと、その言葉がグルグルと身体に付きまとっているような気がしたけれど、彼とこの本のことを考えるだけで、その言葉が消えていくような気がした。

 書くことに、少し慣れてきたような気がする。

 考えていることをそのまま文字にするだけで、なんとなく気持ちが落ち着くのはなぜなんだろう。そうすることで、何か新しい発見もあるような気がするし。

 日記を書いたほうがいいと言ったお医者さんの先生の言葉も、今ならちょっとわかる気がする。

 

▼7月10日

 また彼に会えた!

 本当は昨日も駅のホームに行きたかったのだけど、なんというか、毎日あのホームに行くのは、あまりにも必死という気がしたので、やめておいた。というか怖い。私が同じことを男の人にやられたら、確実に電車に乗る時間を変えると思う。

 別に、会ってどうしたいということじゃないんだと思う。彼に対する、自分の感情も、よくわかっていない。

 いや、本当はわかりたくないだけという気もするけれど……。

 だって、深く深く考えていけば、もし奇跡が起きて、彼と仲良くなったとしても、その先には――。

 違う。話が逸れた。

 今日の会話を記録しておこう。あとで読み返して思い出すために。

「よく会いますね。このあたりに家があるんですか?」

 彼の少し距離を取ったような言葉に、頭の中がすごい勢いで熱くなった。いや、それは言われるだろうと思ったのだけど。もちろん、言われないために一日空けたのだけど。

 それでも指摘されれば、恥ずかしさも気まずさもとめどなく溢れて来る。

 まさかまた会いに来たとは言えない。たまたま、ということにしたい。たとえ実際のところはそうなんだとしても、付きまとっているとは思われたくなくて、私はとっさにウソをついた。

「最近、この駅の近くにある塾に通い出して」

 こういうときのウソというのはどうしてすらすら出て来るのだろうと、半ば自分で自分に呆れてしまう。そして思い出しても心が痛くなる。

 彼はひとつ頷き、それから隣に座って、乗り換えの都合で、ここで待たなくてはいけないんですと、少し言い訳のように言った。

 それから五分とちょっとの間の会話は(意味もなくホームの時計を見つめていたからよく覚えている)探り探りもいいところだった。

 退屈させていないか、変な印象を与えていないか猛烈に気になったし、とにかく何か口にしなくてはいけないと、今日はよく晴れましたね、という話をして。彼は、昨日も晴れていました、と返してくれた。天気はどんな天気が好きですか? やっぱり晴れですね。あ、私もです、というような会話が続くはずもなく、すぐにまた沈黙。そんなことが何度か繰り返された。

 そう言えば、とふと彼が顔をこちらに向ける。

 彼の目の中に、夕焼けが映りこんで輝いていた。

「そう言えば、あの本は読みましたか?」

「は、はい。はいもちろん! ……でも、少し難しかったかもしれません」

 敬語で私はそう言った。彼が敬語で話すなら、私もそうでないとバランスが取れないような気がしていた。

「まあ、独特ですからね。慣れてくるとあの言葉選びがクセになるんです」

「クセに、ですか」

 彼はうん、とひとつうなずいた。

「普段はどんな本を読むんですか?」

 話をもたせたいのと、ただ純粋に気になって、そう聞いた。

 彼はちょっと不思議そうな顔をして、私は慌てて、先回りして話し始める。

「あ、いえ、本を読むあなたの姿が、とても印象に残っていて。そんなに夢中になれるなら、あなたを見習って、たくさん読みたいなって、そう思ったから」

 慌ててそう言い添えて、それから、敬語を忘れてしゃべってしまったことを深く後悔した。

 けれど、誓って言うけれど、話を合わせたいから言ったわけじゃなくて、本当にそう思えたんだ。彼が本を読む姿は、確かに素敵だったから。

「そんなにたくさん読むほうじゃないですよ。あの本は特別思い入れがあっただけで」

 と彼は苦笑いを浮かべてそう答えた。

「でも、ブラッドベリとかはわりと好きかもしれません。ああ、えーと、『火星年代記』って知りませんか? 『華氏451度』とか、『ウは宇宙船のウ』とか。SFなのに、いや、SFだからこその、あの詩情みたいなものがすごくよくて」

 彼は身を乗り出すようにして私を見て、その熱意に、私はちょっと感心した。ずいぶん背も高くなったけど、この感じは、あの夜、一緒に星を見たときと同じだな、とも思う。

「あの……話しすぎましたか?」

 彼が探るようにそう言って、私は慌てて首を横に振った。彼の窺うような視線に、少しだけ嬉しくなりながら。

「ううん、もっと聞きたいです」

 もっと聞きたいし、それを話すあなたを見ていたい。

 と、それはさすがに口にはしなかったけども。

 彼の話しぶりにもいよいよ熱が入ってきた、というところで電車が来て、彼は電車と私を見比べて、それから、小さく息を吐いて、また今度、と言ってくれた。

「えーと、ブラッドベリですよね。私、それ読んでみます」

「いいと思います! そしたら感想を聞かせてください。同じ時間の電車に乗るなら、案外また会えそう、ですよね。気に入るようなら、僕のものを貸しますよ。色々そろえてますから!」

 電車の扉が開いて、彼はそう言ってから足早に、電車の中へと移動した。

 もちろん私は、その足で本屋さんに行って、その本を買ってついさっきまで読んでいた。

 とても、なんというか、そう、秘密めかしたような文章で、私の頭では、書いてある内容がはっきりと全部理解できたわけではなかったけれど。

 でも、美しい言葉というのは、きっとこういうもののことを言うんだろう。きっと彼は、言葉の美しさというものをよく知っているんだろうなと、そう思った。

<第8回に続く>