コンプレックスを長所に/富田美憂の「私が私を見つけるまで」①

アニメ

更新日:2020/10/16

富田美憂の「私が私を見つけるまで」
イラスト:富田美憂

私が明確に「声優」という職業を意識したのは、小学生の頃でした。

水樹奈々さんや宮野真守さんをはじめ、声優さんがメディアに出始めていた時期で、自分のまわりの友達にも「声優になりたい!」と言う子が多かった気がします。

初めはなんとなくアニメを観て、「あ、このキャラクターの声を出している人がいて、そのお仕事があるんだ」といった感じでした。でもテレビでたまに見る声優さんのアフレコ映像やステージで歌う姿をみて、芸能人というより”職人”という感じがして、それがとてもキラキラして見えたんです。

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シンプルに「楽しそうだな」って、子供ながらに思っていました。

声だけでこんなにも人を笑顔にできるお仕事があるんだ、と。

実際、声優さんが活躍しているステージやアニメを見ている時の私は、気付くと笑顔になっていました。

私にとってその時はまだ、小さい子が「将来はケーキ屋さんになる!」というくらいのふわっとしたものだったと思います。

当時はずっと空手に熱中していたのもあって、明確に将来の夢について考えるというよりは、今やっている空手をガツガツ楽しみたい!って思っていたかな。

今思うと、空手で大きい声を出していたので、少なからず空手のおかげで今の声が出来上がったのかな?とも思っていたり。

 

きっかけというか転機は、中学2年生になって放送委員会に入ったあたりです。

お昼の給食の時間や掃除の時間の放送、体育祭の実況などが放送委員の主な仕事です。

放送委員としての仕事をし始めてからすぐに「今日の放送の声の人って誰?」「わかりやすいよね」「特徴あるよね」と言われることが多くなって、先生たちからも「ハキハキしてていいね」と言われるようになりました。でも、私はかなり自己肯定感が低かったですし、自分に自信がなかったので「自分は変な声なんだ」と思っていました。

思えば、友達と買い物に行って喋っていると前に並んでる人が振り向いたりしてましたね。これは未だにあるかも…考えすぎかもしれませんが…。

でも今思うと、きっと周りの人たちは悪意なく言っていて、声を褒めてくれていたんですよね。

 

当時、昔から人見知りなのもあって、親しい人以外と話すのがなんとなく億劫になってしまっていたんです。

なので、国語の授業中の音読が自分の番が回ってくるたびに嫌だなぁ、読みたくないなぁという気持ちになっていましたね。

この頃から完全に自分の声がコンプレックスになっていました。

 

そんな私の声を褒めてくれたのがとある同級生の友達でした。

当時、毎週一緒に行くほどカラオケにハマっていて、その友達が私が歌うたびに褒めてくれたんです。「美憂は歌が上手で声が可愛いから声優さんになったらいいのに」と言ってくれて。自分の声は変わっていて、ハスキー、で可愛くない、と思っていたので驚きです。

その頃くらいから、まわりの影響もあってアニメにハマって観て、声優さんを多く知っていくうちに「高くて可愛い声だけが正解じゃないんだ」と思ったんです。自分のこのハスキーな声も、もしかしたら生かせるかもしれないって。

 

この声は”コンプレックス”じゃなくて”個性”なんだと。

その頃から、昔からあったふわっとした将来の夢が明確な”憧れ”に変わっていったんです。

私もあんなふうになりたい。
この声を自分の長所に変えたい。
この夢がもし実現できたら、人間的にも前向きになれるんじゃないか、って。

なので、同世代の子達の中では比較的に将来のことを明確に考え出したのはちょっと早めだったのかな、と思いますね。

 

というように、今回、私が声優を目指すようになったきっかけを綴っているわけですが、ダ・ヴィンチニュースさんからお声がけいただき、連載をさせていただけることになりました。

アーティストとして色々な媒体の方と仕事の話や曲についてのお話をさせていただいているうちに、もっと自分のことを自分の言葉で綴り、自分のことを知ってもらいたいと思うようになったからです。私は声の仕事以外にも、自分の考えや意見を話すのが好きなんだということに気付きました。

今回は今まであまり深くは話してこなかった事務所所属のオーディションのときの話など、皆さんの前に出る以前の私の話をしてみよう、と。

不慣れな点もあり、読みづらい部分もあるかもしれませんが、しばらくの間お付き合いいただけたら嬉しいです!

(次回更新は10月18日の予定です)