「戦場」だと聞いて訪れたインドの観光地・カシミール。しかし、実際に足を運ぶと…/シリアの戦争で、友だちが死んだ③

社会

公開日:2021/1/22

紛争地を中心に取材活動をする桜木武史氏がシリアでの体験を中心に綴るノンフィクション。紛争地取材を始めてからの大けがやシリアでの取材、大切なシリア人の友人を失った経験などを描き、なぜ戦場の取材を続けるのか、そこにはどんな悲劇や理不尽があるのか――。インドのカシミール地方のスリナガル。観光地として知られる町のど真ん中でぼくは撃たれた…。

シリアの戦争で、友だちが死んだ
『シリアの戦争で、友だちが死んだ』(桜木武史:文、武田一義:まんが/ポプラ社)

のんびりとした「戦場」

 インドの首都デリーから北に約850キロ、標高1590メートルの高地に位置するのがジャンム・カシミール州の州都スリナガルである。一年を通してすずしいので、避暑地として人気が高く、自然豊かな土地には多くの観光客が押しよせる。ぼくはそんな町のど真ん中で撃たれてしまった。

 顔に手をあてると、てのひらがまっ赤にそまっていた。服は血だらけで、頭がクラクラした。たぶん血を流しすぎて、意識が遠のいていたのだと思う。このまま意識がなくなれば、死んでしまうと思った。ぼくは目に涙をうかべて、死にたくないと心の中でさけんでいた。でも、それは遅すぎる後悔だった。

 どうして、ぼくは何も考えることなく、銃弾が飛び交う戦闘のまっ只中に飛びこんでしまったのだろう。当時のことを回想できるのは、ぼくが奇跡的にも一命を取りとめたからだ。まず、初めてジャンム・カシミール州を訪れたときのことから書こうと思う。

 2002年12月、初めて訪れたときの印象は、ぼくが頭の中で思い描いていた「戦場」とはまったくちがうものだった。

 日本を出発する前、ぼくはカシミールが「戦場」だと聞いていた。銃弾が飛び交い、人々がにげまどい、ぼくはそんな中でカメラを構えて、走りまわる姿をイメージしていた。それが、ぼくが頭の中で思い描いていた「戦場」だった。しかし、実際に足を運ぶと、銃弾が飛び交うどころか、町中では一発の銃声すら聞こえてこなかった。

 公園で遊ぶ子どもたち、繁華街で会話を楽しむ若者、市場で野菜や果物を買いこむ主婦が目に入るばかりで、町そのものは平和でおだやかな感じがした。

 ジャンム・カシミール州はジャンム地方、ラダック地方、そしてカシミール地方の3つで構成され(現在は、ラダック連邦直轄領とジャンム・カシミール連邦直轄領に分割されている)、その中でも特にカシミール地方では長い間争いが続いていた。しかし、もともとは観光地として有名な町だ。夏は気温が40度を超えるような猛烈な暑さのインドの中でも、カシミールは20度前後の気温でとてもすごしやすい。暑さからのがれようと、インド人や外国人が大勢訪れ、観光客向けのお店やホテルなどが多くあった。

 ぼくはそんなカシミール地方の中心都市、スリナガルをうろうろと歩き回った。もちろん取材の糸口を見つけるためだったが、なかなかうまくいかなかった。土産物を売るお店の主人に「恋人にカシミアのセーターでもどうだい?」と声をかけられたり、レストランでは「カシミール料理のフルコースなんていかがでしょうか」とボーイにメニューをわたされたりした。

 そこには戦場とはほど遠い、ごくありふれた観光地としての日常があり、ぼくは「旅行に来たわけじゃないのに……」と、もどかしく感じていた。そもそもカシミールは戦争をしているのだろうか。町中を歩きまわるだけでは、取材らしいことは何ひとつできていなかった。

<第4回に続く>

あわせて読みたい