「銃弾であごを失った患者を診るのは初めてだよ」ぼくが想像していたよりも、ケガの具合は深刻だった/シリアの戦争で、友だちが死んだ⑨

社会

公開日:2021/1/28

紛争地を中心に取材活動をする桜木武史氏がシリアでの体験を中心に綴るノンフィクション。紛争地取材を始めてからの大けがやシリアでの取材、大切なシリア人の友人を失った経験などを描き、なぜ戦場の取材を続けるのか、そこにはどんな悲劇や理不尽があるのか――。銃で撃たれてあごを失い、インドと日本で手術を何度も行った。母からはもう危険な場所には行かないでほしいと止められて…。

シリアの戦争で、友だちが死んだ
『シリアの戦争で、友だちが死んだ』(桜木武史:文、武田一義:まんが/ポプラ社)

治療は続く

 その後、ぼくはカシミールからインドの首都デリーに飛行機で運ばれた。そこで再び手術をして、2週間余り入院すると、ようやく自分の力で歩けるようになった。これで帰国はできるが、右下あごの骨も歯茎もすべてふき飛ばされて、なくなっていた。

「これまで数多くの手術をしてきたけど、銃弾であごを失った患者を診るのは初めてだよ」

 日本の大きな病院で、ぼくの手術を担当してくれる医師はそう言った。ぼくは本当に大丈夫なのだろうか。ぼくが想像していたよりも、ケガの具合は深刻だった。

 インドで行った2回の手術は応急処置のようなものだったが、日本での3回目の手術は15時間にもおよぶ過酷なものだった。うっすらと目を開けると、蛍光灯の光がまぶしかった。

 担当医が「手術は成功しましたから」と笑顔で話しかけてくれた。となりにいたのは母だった。弱々しい笑みをうかべて、目が覚めたばかりのぼくに言った。

「もう絶対に危ない場所には行かないでよ」

 母は、ぼくが戦場に足を運んでいることを知っていたが、それでも「息子がやりたいことだから」と強く反対することはなかった。でも、まさかこれほどの大ケガをするとは思っていなかったのだろう。今回ばかりはだまっていなかった。

 母の言葉を受けて、ぼくも「これからどんな仕事をしていこうか。困ったなあ」と内心ではジャーナリストをやめることも考えていた。なにより、あんな危険な目には二度とあいたくない。

 そんなとき、同じく戦場で取材をするジャーナリストの友だちが病室に顔を出した。かれらは生きて無事に帰ってきたぼくをねぎらいながら、こんなことを言った。

「元気になったら、また取材に行けるさ」

 ぼくにはこの言葉が意外で、とてもびっくりした。

「また行ける? こんな大ケガをしたのに?」

 もう一度戦場に足を運ぶなんて考えてもいなかったので、「え!」と声をあげてしまった。でも、不思議なことに「また取材ができる」と考え始めたら、だんだんやる気がわいてきたし、もう一度がんばれるんじゃないか……という自信が芽生えてきた。

 戦場ジャーナリストを続けたい。日に日にそのことで頭の中がいっぱいになっていた。この気持ちは何だろう。なぜ危ない目にあったのに、また行こうなんて思うのだろうか。ぼくはカシミールで初めて取材したときの、ある現場のことを思い出していた。

<第10回に続く>