田山花袋の名作『蒲団』に赤裸々にあることないこと書かれた実在の女性/炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史③

文芸・カルチャー

公開日:2021/1/28

日本文学史に残る数々の名作の裏には、炎上があった…! 不倫やフェチ、借金、毒親、DVなど…文豪たちは苦しみながらアノ名作を残した。炎上キーワードをひもとき、彼らの人生の一時期を紹介する『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(山口謠司/集英社インターナショナル)から、5つの炎上案件を掲載!
※本記事は 山口謠司 著の書籍『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』から一部抜粋・編集した連載です

炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史
『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(山口 謠司/集英社インターナショナル)

田山花袋と永代美知代の噂

『蒲団』で人生が狂ったヒロインのモデル

炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史
イラスト:三浦由美子

 私があの有名な、現文壇の元老田山花袋氏の出世作たる小説『蒲団』のヒロインであり、明治文壇掉尾の大傑作だと推称された『縁』のヒロインなことは、あまねく天下に隠れのない噂さで、現在作者たる田山先生それ自身が、そうだと発表されて居る以上、それに就いてなにか書くのは、蓋し当然のことに違いありません。
(大正四年九月『新潮』所載「『蒲団』、『縁』及び私」)

 

「噂」という漢字は、日本語では、世間で言いふらす話、つまり「風説」「風聞」の意味で使われる。陰口を叩くように、あれこれ詮索するイメージの言葉であるが、古く中国古典では、みんなが集まってガヤガヤと話すその話題を言ったものだった。なぜなら、旁の「尊」は、手で酒樽を持ち上げてワイワイと騒ぐことを意味するからである。

 さて、『蒲団』を書いた田山花袋と、蒲団と夜具に染みついた自分の匂いを嗅がれたヒロインとの関係には、噂以上にどんな真相があったのだろうか。

ハレンチだと非難された『蒲団』

「自然主義」という文学運動が起こったのは明治の後半になってからである。

 これは、人の生活を直視して分析し、ありのままの現実を飾ることなく、つまり醜悪な部分もそのままに、理想化することなく描写するというもので、フランスではゾラに始まり、モーパッサン、ゴンクール、ドーデらに受け継がれたと、大体、文学史では教わる。

 二葉亭四迷は、『平凡』(明治四十年)に、「近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ」と書いている。

 田山花袋の『蒲団』の内容は、「作者の経験した愚にも附かぬ事」であったとも言えるが、当時の人々を驚かせるような、とてもハレンチなものとして受け取られたのだった。

 少し、内容を紹介しておこう。

 二人の子どもがあり、さらに三人目の子どもがお腹にいる妻を持つ作家・竹中時雄は、三十四、五歳で、今で言う「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」を迎えていた。

 仕事もおもしろくない……毎日、おなじ事の繰り返し……目に留まるのは、美しく若い女性たち!

 そんなある日、十九歳の横山芳子という女性からファンレターが届く。備中新見町(現・岡山県新見市)の出身で、神戸の女学校を卒業したが、ぜひ、上京して女学校に行きながら、先生の弟子として文学を学びたいという熱烈な内容だった。

 そして、いよいよ芳子が上京してくる。

「ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にもえらい人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰が居られようか」(『蒲団』)というほどで、ミッドライフ・クライシスは霧散するのである。

「芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。此の二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向かって、『芳子さんが来てから時雄さんの様子は丸で変りましたよ。二人で話して居る処を見ると、魂は二人ともあくがれ渡って居るようで、それは本当に油断がなりませんよ』」(同前)と言うほどになってしまう。

 補足ながらここで使われる「あくがれ渡る」とは、「すっかり心を奪われる」という意味の言葉である。

 だがその真相はといえば、時雄が芳子を求めているだけで、芳子にはちゃんと想う相手がいたのである。中年男というものは本当に馬鹿としかいいようがない生きものなのだ。

 芳子のその恋の相手とは、同志社の学生で二十一歳の田中秀夫という青年だった。

 と、この中年男は、それまで姉の家にいた芳子を自分の家に住まわせて、田中との仲を監視し、裂いてしまおうとするのである。

 ところが、田中もまもなく上京して来て、時雄のところにいる芳子を折にふれて訪ねて来るようになる。「仮令自分が芳子を二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能」(同前)な状態に陥ってしまうのだ。

 もう、時雄には最後の手段しか残されていなかった。岡山から芳子の父親を呼び、郷里に連れ帰ってもらおう。そうすれば、芳子は田中と別れることになる!

 芳子が自宅からいなくなり、再び、彼にはミッドライフ・クライシスが訪れる。しかも、その虚しさは、芳子という存在がなくなった今、どうにも埋めることのできないものとなっていた。

 時雄は、芳子がいた部屋の押し入れから、芳子が使っていた蒲団と夜着を引き出し、「女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れて居るのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

 性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄は其の蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた」(同前)のだった。

『蒲団』の最後はこんな文章で終わる。

 この中年男の性欲と一方的な恋は何なのか?

 これが自然主義文学と呼ばれるものなのか?

 さて、あなたがもし、この横山芳子という仮名で語られている女性だったとしたらどう思うか?

 まさか、自分のことが書かれているとは知らずに、あなたは、「先生」の小説を読む。

 百パーセント、ここに書かれていることが事実ではないにしても、七十パーセント以上は、この通り! というより、自然主義文学者・花袋にとっては、「作者の主観にそう写った」(「『蒲団』、『縁』及び私」)事実百パーセントのことだった。

 ちなみに、この「事実」ということについて言えば、このヒロインのモデルとなった女性は、後に「何処も彼処、全部が全部、みんなよくもまあと、呆れ返える程、違って居るけれど、何よりも彼よりも、一番腹立たしく、不平で赧っとして、大事な大事な誇すら忘れて取り乱し、其処いら中引っかき廻したい思いに泣いたのは、芳子の恋人田中秀夫に於ける、竹中時雄氏の描写です」(昭和三十三年七月号『婦人朝日』)と語っている。

『蒲団』は中年男の性を描いた作品として大評判になる。そして島村抱月が『早稲田文学』(明治四十年十二月号)に「此の一篇は肉の人、赤裸々の人間の大胆なる懺悔録である」と記したことで拍車がかかる。

「『蒲団』が初めて春陽堂の新小説の、巻頭小説として載せられた時、私は淋しい田舎の山蔭の町でチブスを病んだ病後の胸をおどらせながら、遥かに都で八釜しいその作の噂さに就いて気を揉んで居りました」と、彼女は、この小説を読んだ時のことを記している(「『蒲団』、『縁』及び私」)。

芳子と田中秀夫のモデル

 この小説のヒロインのモデルとなったのは、岡田美知代という女性で、田山花袋は、じつは『蒲団』以外にも『縁』という小説で彼女を描いていたのだった。

 そして、彼女の人生のみならず、芳子の恋人、田中秀夫として描かれた男の人生も、この二作によって翻弄されてしまう。

 田中秀夫のモデルとされたのは、永代静雄という才人で、後に東京毎夕新聞の編集局長・新聞研究所所長を務めるが、『蒲団』のモデルだということが経歴に附いてしまって「一流新聞の記者たるを得ないで終わる」(吉田精一編『近代名作モデル事典』)。また「岡田美知代の話によれば、読売新聞に志願するが、正宗白鳥から『蒲団』のモデルでは採用できぬとされて引き退るような目にも逢って、花袋のためにはかなり打撃をこうむっていた」(同前)。