オトナ女子必読の切な優しい物語! あやかしがはびこる世界に迷い込み、貸本屋の店主に拾われて…!?/わが家は幽世の貸本屋さん①
更新日:2021/3/29
現世とは別にある、あやかしがはびこるもう1つの世界「幽世(かくりよ)」。そこに幼い頃に迷い込んでしまった夏織は、幽世で貸本屋を営む変わり者のあやかし・東雲に拾われ、人間の身でありながらあやかし達と暮らしている。そんな夏織は、ある日、行き倒れていた少年・水明と出会う。現世で祓い屋を生業としているという彼の目的は「あやかし捜し」。あやかしに仇なす存在とはいえ、困っている人を放っておけない夏織は、ある事情で力を失ってしまった彼に手を貸すことにするのだが――。切なくも優しい愛情にまつわる物語。

序章 あやかし世界と稀人な私
何の変哲もない路地裏。
神社の御神木の根元。
玄関の姿見の中。
何気なく覗き込んだ先には、異世界が広がっている。
現(うつ)し世と幽世(かくりよ)の境は曖昧だ。ふとした瞬間に迷い込んでしまうことがある。幽世の住民たちは、誰も彼もが異形揃い。ひとたび生者が入り込めば、陽の差し込まない闇の世界で、あっという間に命を落とすこと請け合いだ。何ていったって、あやかしには人を好んで喰らう者も多い。
私――村本夏織は、そんな幽世で育った。
言っておくが、私は人間だ。三歳くらいの頃、親とはぐれたあげく幽世に迷い込んでしまった。けれども「変わり者」のあやかしに拾われて、生き延びることができた。人間の幼児なんて恰好の「ごちそう」だろうに、とんだ物好きもいたものだ。
「さて、その物好きの好物も買ったことだし」
私は紙袋の中を覗き込むと、軽い足取りで駅に向かった。既に日は落ち始めて、世界は茜色に染まりつつある。すれ違う人たちの顔が晴れやかなのは、きっと給料日の後だからだろう。そう思うのは、私の鞄の中にもお給料袋が入っているからだ。
――さあ、“家”に帰ろう!
電車を乗り継ぎやってきたのは、どこにでもあるごくごく普通の住宅街。薄暗くなってきた町で、家々には暖かな灯りが点り始めている。辺りに漂っているカレーの匂いに胃を刺激されながら、周囲の家々には一瞥もくれずに、ある場所で足を止める。
そこには、古びた道祖神があった。お地蔵様には今日も綺麗な花が供えられ、首からは赤い前かけが下げられていて何気にオシャレだ。
道祖神は民間信仰の石仏だ。辻や村の中心に設置され、外部からの厄災の侵入を防いでくれたり、子孫繁栄だったりと様々なご利益がある。しかし、現代においては大多数の人は存在に気づきもせずに通り過ぎてしまう。実際、道祖神の手入れをしているのはご年配の方が多いと聞く。もしかしたら、時とともに失われていく運命なのかもしれない。
けれど、それでは私が困る。
なぜならば、私にとっての道祖神とは、家に帰るための道標なのだから。
私は周囲に誰もいないのを確認すると――道祖神の祠に触れた。
「帰りゃんせ」
すると、ふっと周囲が暗くなったのがわかった。
顔を上げると、先ほどまでは茜色に染まっていた空が、夜色に染め替えられている。
ちかちかと瞬く数多の星。時折、オーロラのように赤や青、緑色が混じり合って複雑な色合いを醸し出すのが、幽世の空。幽世は常世ともいう。言い換えて常夜。ここは、年がら年中、夜の世界。道祖神は、現し世との境目を守る神でもあるのだ。
「おかえり」
声の主を捜して辺りを見回す。すると、祠の上に可愛らしい姿を捉えて頬を緩めた。
「にゃあさん、ただいま!」
そこにいたのは黒猫だ。祠の上で寝そべっていた猫は大きく伸びをすると、三本のしっぽをゆらゆらと揺らして、つぶらな瞳で私を見上げた。
「今日は随分と遅かったわね」
彼女は「にゃあ」さん。私の幼馴染で、いつもこうやって、現し世の境目まで送り迎えをしてくれている。口は悪いけれど心配性。私の一番の友だちだ。
「繁忙期だからね。くたびれちゃった」
「なら、仕事なんて辞めてしまえばいいのよ。それで、一日中あたしの背を撫でていて。そうよ、それがいいわ。そうしましょう?」
にゃあさんのいかにも猫らしい言葉に、思わず噴き出しそうになる。
「それは無理。現し世で働くのは、お金がないからだもの」
「……お前も苦労するわね」
「あはは。働くのも、案外楽しいよ?」
「ふうん。まあ、夏織がいいならいいけれど」
にゃあさんはひらりと地面に下りると、町に向かって歩き始めた。手にした紙袋からは、ほんわかといい匂いが漂ってくる。それを待ちわびている人の顔を思い出して、私は顔を上げると、少しだけ足を速めてにゃあさんの横に並んだ。