ついに解き放たれた最凶最悪の“獣”…そして悲劇が/小説 孤狼の血 LEVEL2 ⑤

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更新日:2021/8/19

小説 孤狼の血 LEVEL2 (角川文庫)

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KADOKAWA
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2021年8月20日公開の映画『孤狼の血 LEVEL2』。そのノベライズ『小説 孤狼の血 LEVEL2』から全5回で物語の冒頭をお届け。広島の裏社会を治めていた呉原東署の刑事・大上が亡くなってから3年。大上の後を継いだ刑事・日岡によって取り仕切られていた暴力組織だったが、出所してきた要注意人物により抗争の火種が再び沸々と燃え上がろうとしていた。

※本記事には一部不快感を伴う内容が含まれます。ご了承の上、お読みください。

小説 孤狼の血 LEVEL2
小説 孤狼の血 LEVEL2』(豊田美加:ノベライズ、柚月裕子:原作、池上純哉:映画脚本/KADOKAWA)

 徳島刑務所は、暴力団関係者が多く収監されていることで知られる。

 それもLB級とB級(平成三年時点、L級は執行刑期八年以上の者を指し、B級は犯罪傾向の進んでいる者を指す)に分類された受刑者を収容する、最凶と言われる刑務所だ。

 その懲罰房に、上林成浩はいた。

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 垢じみた獄衣とも今日でオサラバだ。差し入れされたズボンをはき、真新しいワイシャツを彫り物の入った素肌に羽織る。

 たくましい背筋が動き、まだ未完成の背中の毘沙門天が一瞬、笑ったように見えた。

 身支度を済ませた上林は、刑務官のあとについて建物の外に出た。

「神原さんには、ほんまお世話になりました」

 立ち止まって、大きな体を折る。

「心にもないこと言わんでええわ」

 神原はそっけなく言うと、表門に向かって歩きだした。

 上林が小走りで追いつく。

「いえ、嘘偽らざる本心です……もうムショだけは懲り懲りですわ。二度と戻らんように、シャバで精進しますけ」

 また立ち止まり、神妙な顔をして深々と頭を下げる。

 神原は無言だ。

 たいていの出所者は同じようなことを口にする。言葉どおり受け止めれば、みな立派に更生の道をたどっていくと思うだろう。だが満期出所者のうちの多くが、再犯で舞い戻ってくる。刑務官になりたての頃ならともかく、神原は二十年近く、そんな受刑者たちを見てきた。

 それでも神原は毎回、励ましやねぎらいの言葉をかけて送り出す。

 だが、今日は様子が違った。

 黙って上林を見送るその目は、まるで異端者を見るかのようにどこまでも醒めていた。

 

 雲ひとつない快晴だ。塀に切り取られていない空はいい。

「兄貴!」

 上林が門の外に出ると、舎弟たちが嬉しそうに駆け寄ってきた。

「ご苦労さんでした!」

 一同腰を落とし、膝に手をついて頭を下げる。

 上林も笑顔になり、舎弟頭の佐伯の肩を叩いた。以前はなかった口ひげを生やしている。

 だが、出迎えが少ないのが気にかかる。佐伯のほかは、戸倉や土屋やら、二十代の舎弟が四人だけだ。

「失礼します」

 土屋が煙草を差し出した。

 上林が一本抜いて煙草をくわえると、すかさずライターで火をつける。

 煙を肺に深く吸い込んだ。やっとシャバに戻ってきたと実感する。

 しかし、上林が服役している間に、塀の外の状況は一変してしまった。

 戸倉が抱えているオヤジ――五十子正平の遺影を、上林は無念の思いで見やった。

 自分さえついていれば、むざむざオヤジを殺られたりはしなかった。

「すんません……兄貴の出所祝いにと思うて尾谷に襲撃掛けたんですが、サツに先回りされましてのう」

 合わせる顔がないというように、佐伯が目を伏せる。

 なるほど、それで浅井や西山の姿が見えないわけだ。

 上林は煙を吐き出した。

「……二代目は?」

 五十子亡きあと、頭角を現した角谷洋二が跡目を継いでいた。

「一応、連絡はしたんじゃが……」

 佐伯が口ごもる。

 表面上はともかく、五十子の懐刀だった上林を、角谷は内心で煙たがっていた。

 だが上林にあって、角谷には決定的に欠けているものがあった。

 強烈なカリスマ性だ。

「……あのクソ狸が」

 上林は戸倉の胸ポケットからサングラスを取ってかけ、車に向かう。

 出所した足で親分に挨拶に行くのがヤクザ世界の常識だが、その前にやることがある。もっとも、角谷をオヤジと認めた覚えはないが。

「スケ用意しました」

 風俗に沈めた女だろうか、ケバい化粧をした女がふたり車に寄りかかり、棒アイスを口をすぼめて舐めている。

 ご面相より、テクニック重視で選んだらしい。

 目的地に着くまでに、もうひとつシャバに戻った気分を味わえそうだ。

 

 家の外から、学校帰りの小学生の元気な声が聞こえてくる。

 西日の射し込む自宅の教室で、神原千晶は小学四年生の女子生徒にピアノを教えていた。

「そうそうそう。ミソファラソレファ……」

 千晶は、初めから音大の指導者コースに進んだ。ピアノが好きという気持ちは誰にも負けないが、残念ながらプロの演奏家になれるほどの才能はないと自分でもわかっていたからだ。

 けれど千晶は、ピアノ教師という仕事が好きだ。教えることは楽しいし、生徒の子供たちも可愛い。

 父親が早くに亡くなったこともあり、決して裕福な家庭ではなかった。そんな千晶が学費の高い音大に通うことができたのは、女手ひとつで育ててくれた母と、高校を卒業してすぐ公務員になった兄のおかげだ。

 ふたりには感謝しかない。こうして毎日ピアノに触れていられるだけで、千晶は十分幸せだった。

「さようなら。気をつけてね」

 生徒を見送る。今日はもう、これでレッスンはおしまいだ。これから夕飯の買い出しに行こうと思っていた。

「さようなら」

 千晶に挨拶をして、玄関の古い引き戸を開けた女の子は、誰かとぶつかりそうになった。

 サングラスをかけた、背の高い男だ。優しげに笑んで女の子を見下ろしている。

 サイドの髪を剃り落とし、悪魔のように先の尖った耳が目立つ。

 女の子は戸惑いがちに千晶を振り返ると、危険を察知した小動物のようにサッと男の脇をすり抜けて走り去った。

 男が、ゆっくりとサングラスを外す。

 千晶は背筋がゾッとした。

 笑顔なのに、目は少しも笑っていない。むしろ蛇のように陰鬱で不気味だった。

 男は断りもなく玄関の三和土に立った。その後ろから、見るからにガラの悪い連中がぞろぞろ入ってくる。

「なんなんね、あんたら」

 押し売りなどの類ではない。あきらかに暴力団だ。

「わしらにもピアノ教えてくれんかのう」

 手下らしきチンピラたちが、上がり框をまたいで中に押し入ってきた。

 早く逃げろと頭の中で警鐘が鳴る。家の中に逃げ場はない。千晶は後ずさりながら廊下を小走りに戻った。

 すぐにチンピラたちが追ってくる。

 いちばん奥のピアノ教室の部屋まで来たが、グランドピアノに邪魔され、窓に到達する前に羽交い締めにされた。

「なんね!」

 震えながらも叫ぶ。

「ほぉ~、きれいな指じゃのう」

 口ひげのチンピラが、にやにやしながら千晶の手をつかんだ。

「やめて!」

 千晶は必死で抗った。

「黙れやこらっ」

 塞がれた口から、なんとか声を出そうとする。人通りはあまり多くないが、まだ外は明るい。思いきり叫べば、近所の人が気づいてくれるかもしれない。

 千晶にとって不運だったのは、この部屋が防音室だったことだ。

 そこへ、先ほどの背の高い男が、のんびりした足取りで入ってきた。

 戸口の脇の電話台に飾ってある写真立てに目を留め、なぜか手に取ってしげしげと眺めている。

 千晶がピアノ教室を始める時に、この部屋で記念に撮った家族写真だ。ピアノの前に座った母の肩に千晶が手をかけ、ふたりを守るようにして兄が後ろに立っている。

「兄ちゃんには、ムショでえっと世話になったんよ」

 一味の頭らしい男は、顔を歪めて微笑んだ。

 このヤクザは、兄の勤務している刑務所に入っていた前科者だ。千晶は膝が震えた。あの刑務所は、凶悪犯罪を犯した者が多いと聞く。

 チンピラたちが、下品な笑い声をあげながら千晶をいたぶる。

「よいしょお!」

 順番待ちの生徒が使うソファに突き飛ばされ、後ろから腕を押さえつけられた。引き裂かれたブラウスから、豊かな胸があらわになる。

 レイプされるかもしれない。千晶の顔から血の気が引く。

 男は写真立てを持ったままピアノの椅子に座り、思い出話でもするように話しはじめた。

「毎日毎日飽きもせんと殴り倒してくれてのう……わしゃ実の親にもあがいに糞味噌にされたことはなぁですけ」

 いわゆるお礼参りにきたのだと、千晶は委縮しそうになる頭で懸命に理解した。

 この男たちは何をする気なのか。ヤクザは堅気に手を出さないというから、ただ脅しているだけかもしれない。

 だがそれは希望的観測だと、頭の隅ではわかっていた。

 パニックに襲われた千晶は、チンピラを振り切って逃げようとした。

 すかさず男がピアノの椅子から立ち上がり、写真立てで千晶を殴りつける。

「あっ!」

 たまらず千晶はくずおれた。

 男が写真立てを投げ捨て、ふうーっと大きく息を吐く。

 痛みとショックで、もはや立ち上がる気力すらない。千晶はただ、恐怖におののく目で男を見上げるのみだ。

 すると、男の表情が変化した。

 千晶の前にしゃがみ、両手で顔を鷲づかみにする。

「……そがいな目で見んでぇや……」

 大きな手にがっちり押さえ込まれた千晶は、視線を逸らすこともできない。瞬きを忘れたその目は、乾いたままだ。恐怖が頂点に達すると、涙も出ないらしい。

「……お願いじゃけ……堪忍して……」

 必死で声を絞り出し、無意識に大きく目を開く。

 次の瞬間、千晶を覗き込む男の目に狂気が宿った。

「なんでそがいな目でわしを見よるんじゃ!」

 震え声で怒鳴る。

 男の親指が千晶の目に近づいてきた。

 千晶はとっさに目を閉じた。

 指がまぶたを強く押さえつけてくる。

 眼球に痛みが走った。

「……やめて……」

 ずぼり。

 親指が千晶の両目にめり込む。

「ああーーーーっ!」

 激痛に悲鳴をあげた。

 子分たちもさすがに目を背ける。

「……恨むんなら、兄ちゃんを恨むんで。のう?」

 男はぐっと力を込めた。

 親指がずぶずぶと眼窩に沈み込んでいく。

 千晶の絶叫は、壁の吸音材に吸い込まれていった。

<続きは映画、または本書でお楽しみください>

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小説 孤狼の血 LEVEL2 (角川文庫)

著:
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KADOKAWA
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『孤狼の血LEVEL2』
原作:柚月裕子「孤狼の血」シリーズ 監督:白石和彌 脚本:池上純哉 出演:松坂桃李、鈴木亮平、村上虹郎、西野七瀬ほか 配給:東映 8月20日(金)全国ロードショー ●3年前、暴力組織の抗争に巻き込まれ命を落とした刑事・大上。その後を継ぎ、刑事・日岡は広島の裏社会を治めていた。しかし、刑務所から出所した要注意人物によって、秩序が崩れていく。絶体絶命の窮地を、日岡は乗り切れるのか――。

(c)2021「孤狼の血 LEVEL2」製作委員会


公式サイト:https://www.korou.jp/