だまされる才覚/前島亜美「まごころコトバ」⑨

アニメ

公開日:2021/8/13

アイドル活動を経て、声優や舞台を中心に活躍中の前島亜美さん。常にまっすぐ生きる彼女が、何を思い、感じ、触れてきたのか。心にあるコトバを真心(まごころ)こめて紡ぎます。

前島亜美「まごころコトバ」

 日々生きる中で、常になにかしらを考え、悩み、比較し、後悔をする。他者の機微に影響を受け、不安な気持ちになってしまうことが多い。

「考えすぎだよ」と言葉をいただくこともあり、自分でもつくづく心配性で小心者だなと思う。

 では、なぜそうなったのか。人生を振り返り思い出すといつも一番に出てくる記憶がある。恐らく自分の中にある最も古い記憶だろう。まだ幼稚園に通っていた頃の“節分”だった。

「節分は、歳の数だけ豆を食べるんだよ」という母の教えを破ってしまい、その時の私は自分の歳よりも多くの豆を食べてしまった。

 その後で「約束を破ったから、鬼が怒りにくるかもしれないね」とからかわれて言われたことを信じ、いもしない鬼の存在にひどく怯え、一日中、母の脚に掴まって大泣きしていたのを覚えている。

 昔から、人の話を信じやすく、だまされやすい性格だった。一度聞いた言葉や話もなかなか忘れることができず、そこからいろんな想像をしてしまうため、怖い話も苦手だったのかもしれない。

 歳を重ねていっても、心配性なことに変わりはなく、発言する時や選択する時は、あらゆる可能性を考え、入念な準備をして、後に取り越し苦労だったと思うことがしばしばあった。

 しかし段々とそんな自分に嫌気がさし、なんでもかんでも信じてはいけない、不安に思ってはいけないと、心に一線を引くようになった。

 特に人前に出る仕事を始めてからは、全ての言葉や心を受け止めていては自分を保てなくなると、ある種の諦めも生まれていたと思う。

 自分の名前を出して活動をする以上、どんな経緯があったとしても全ての責任や結果は自分への評価になる。自分を守るために、用心深く、より慎重に生きるようになっていた。

 信じやすい自分を制御するために、強い思い込みから落胆をしないために、むやみやたらと期待して物事を捉えないようにしていた。それが大人になることだとも思っていた。

 そんな時にある作品に携わり、心に響く言葉と出会った。

 今年上演した、いしいしんじさん原作の音楽劇「プラネタリウムのふたご」の中のセリフだ。

「だまされることはだいたいにおいて間抜けだ。ただしかしだまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう」

 初めて台本を読んだ時に、とても自分に刺さった言葉だった。

 私には「だまされる才覚」はまだあるのだろうか?

 だまされまいだまされまいと、ずっと無意識に肩に力が入っていた自分に気がついた。

 稽古や公演を重ねる中で、何度もこの言葉を聞き、自分も芝居をしていく中で、エンターテインメントとはある種だまされること、魅了されて信じ込むこと、自分の心を預けることに感動や喜びがあると、根本の大切なことに気づかされた。

 感受性が豊かなこと、人の気持ちがわかることや同じ痛みを感じられること、“信じたい”と思うことは、表現を志す者にとっては強みなのではないか、と。

 日々大きく動く心の疲弊を悲観するのではなく、自分の心を恐れず解放し、たくさんの感情を大切に、繊細な感性をおもしろがり、“だまされる才覚”を楽しめる生き方をしていきたい。

第10回に続く

まえしま・あみ
1997年11月22日生まれ、埼玉県出身。2010年にアイドルグループのメンバーとしてデビュー。2017年にグループを卒業し、舞台やバラエティ番組などで活躍。またアプリゲーム『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』(2017年)でメインキャストの声を演じ、以後声優としても活動中。また、9月から東京と大阪で上演される、舞台『ネバー・ザ・シナー-魅かれ合う狂気』に出演が決定している。

Twitter:@_maeshima_ami
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