ダ・ヴィンチニュース編集部 ひとり1冊! 今月の推し本【8月編】

文芸・カルチャー

更新日:2021/8/23


禍々しさのきしみが目から染みこんでくる、映画のようなホラーコミック『悪霊』(高寺彰彦/チクマ秀版社)

『悪霊』(高寺彰彦/チクマ秀版社ほか)
『悪霊』(高寺彰彦/チクマ秀版社ほか)

 私には霊感が無い。霊というものがあるのか、霊感というものがあるのかどうか、という議論がしたいわけではなく、そんな自分に「もし霊を感じ、視るとしたらこういうものかもしれない」……という世界を見せてくれたのが故・高寺彰彦氏が描いた『悪霊』だ。

 主人公の茉莉子は不思議な夢を見る。老婆が何かに追われ、展望台のような高台の部屋から身を投げるという不吉なものだ。ハッと起きた彼女の家に、友人の里美から電話がかかってくる。祖母が死んでしまい、故郷の“島”に行かなければいけないから、ついてきてはくれないかと。同行した茉莉子を待ち受けていたものとは――。

 離島の奇怪な屋敷で起こるサスペンスとホラーを軸に、霊を感じるジンワリとした圧迫感、暗闇の不吉さ、感情の読めぬ親族の不穏さをはらみながら、最後はSFのようなスケールでもって結末を迎える。私が特にぎくりとしたのは前日譚とも言える第一章冒頭の“彼女”の禍々しい姿と存在感だ。初めて目にした時の“これは見ちゃいけないものだ!”と背筋を這った怖気を覚えている。悪霊と対峙したら、きっとこんな生理的な反応が起きるのだろう。厭さが紙を通して伝わってくる圧倒的な画力は必読。空気感を描写する緻密さに加え、映画のようなカット・展開・テンポは何度読み返しても新鮮な充足感を与えてくれるだろう。

遠藤

遠藤 摩利江●最近ぞくぞくと上陸する中国作品に触れて、まだ日本語版が出ていないものを翻訳しながら読むのにトライ中です。時間が無い中、更に読書が亀の歩みに……。先達たちの残したノウハウに感謝しつつ、どの言語を訳して読むのが自分には一番難易度が低いか、悩ましい!


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痩せたい願望の裏には何がある? 『あなたのゼイ肉、落とします』(垣谷美雨/双葉社)

『あなたのゼイ肉、落とします』(垣谷美雨/双葉社)
『あなたのゼイ肉、落とします』(垣谷美雨/双葉社)

 ここ数年、毎日毎時毎分考えていることがある。「痩せたい、昔みたいな体型に戻りたい」――そこまで思いつめても痩せることができない。その現実にまた挫折感を覚えて自己嫌悪に陥る……きっと世の中のいたるところに同じような悩みをもつ人がいるのではないだろうか。

 ある種自分への「呪い」のように思いつめていると、だんだんと痩せたい理由や痩せた後にしたいことがわからなくなってくる。うまくいかないことをすべて太っているせいにして、痩せればなにもかもうまくいくのではないかとまで思ってしまう。

「ブスとして生きる訓練をすることです」

 今月もまた小説からパワーワードをいただいてしまった。49歳の乃梨子に、ダイエット指導者・大庭小萬里は言い放つ。本来痩せたいという依頼者に言う言葉ではない。しかしこれが、太る前までは容姿に恵まれていた乃梨子にとって、これまでの人生で見えていなかったことに気づく言葉になるのだ。痩せたいと思うのはなぜか、本当に彼女が幸せになる道は――? 言葉はきつくても大いに納得の結末へと導く小萬里の手腕が見事すぎる。

「痩せたい」という願望の裏にはどんな本音があるのか。どんな問題を抱えているのか。自分の気持ちだけに集中していると、客観的に問題点が見られなくなる。ダイエットのためには、一度自分の本当の課題や願望を冷静に分析することが必要なのだと、本書を読んでしみじみ思う。小萬里が現実にいてくれたら、もちろん最高ですが。

宗田

宗田 昌子●東京五輪体操に興奮しすぎて、いまだにロス状態。過去の大会やインタビューの録画を繰り返し見ては、感動し続けている。19年世界体操で見せた涙から一転、五輪の頂点で涙を見せない橋本選手。最終種目・鉄棒で逆転する展開……最高でした!


三部作の先にあった、ハードで、どこか軽やかな大作『ブラック・チェンバー・ミュージック』(阿部和重/毎日新聞出版)

『ブラック・チェンバー・ミュージック』(阿部和重/毎日新聞出版)
『ブラック・チェンバー・ミュージック』(阿部和重/毎日新聞出版)

 このコーナーが始まってから1年経つので、第1回を読み返したら、こんなことを書いていた。

「読んだ後、心が温まった」みたいな本の感想を、信用できなかった。繰り返し観る映画はタランティーノとか『アウトレイジ』だし、小説なら阿部和重さんの「神町サーガ」が大好きだ。自分が没頭できるフィクションは、物騒な世界の物語ばかりだと思っていた。

 90年代から読み続けている阿部和重さんの作品は、1作目の『アメリカの夜』を読んでから四半世紀近く経つ今でも、新刊を読むたびにことごとく最高だと感じる。

 最新作の『ブラック・チェンバー・ミュージック』では、850ページを超える大作だった2019年刊の『Orga(ni)sm』に続き、「巻き込まれ型」の主人公が据えられている。「祖国」から追われる身となった謎の女、ヤクザ、世界の大国が絡んだ謀略――物騒なキャラクターや事象は多々登場するけれども、物語の大半で情けなさを露呈しつつ筋の通った男である主人公・横口健二が、何度もヤバい局面に放り込まれながらもサバイブしていく姿、そして物語がもたらすカタルシスが痛快だ。『Orga(ni)sm』で「神町サーガ」が完結し、20年がかりで編まれた三部作の全貌が見せるスケールに読み手は圧倒されたわけだが、『ブラック・チェンバー・ミュージック』は幾分軽やかに映る。これまでとは少し違う意味で、「阿部さんの今後の著作が楽しみ」と思った。そしてこの本、装丁が最高にカッコいいです。

清水

清水 大輔●編集長。動画配信サービスがあるから、ドラマにはいつハマってもいい……というわけで(?)、我が家では現在、『大豆田とわこと三人の元夫』、さらに『カルテット』を繰り返し鑑賞中。「まめ夫」の顔イラストエコバッグ付きBD-BOXも、即決で購入。