10代の頃に思い描いていた想像の一人暮らし/岩井勇気『どうやら僕の日常生活はまちがっている』

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/1

初エッセイ集『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)が10万部突破のベストセラーとなった、ハライチ・岩井勇気さんのエッセイ集第2弾『どうやら僕の日常生活はまちがっている』。前作に続き、肩の力が絶妙に抜けた「日常」を切り取るエッセイのほか、初挑戦したという小説も収録! 本書から、オススメエッセイ5本を1本ずつご紹介します。

どうやら僕の日常生活はまちがっている
『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気/新潮社)

10代の頃に 思い描いていた 想像の一人暮らし

 30歳になった頃、僕の遅めの一人暮らしは始まった。30代であろうが、初めての一人暮らしにはそれなりにワクワクした。お風呂に入る時間も決まっていなければ、何時に寝てもいい。食パンにマーガリンをどれだけ塗ろうが文句を言われないし、ベッドの上でアイスを食べても怒られない。アイスを布団にこぼしてカバーを汚してしまっても自分で洗えば済む話だ。一人の王国は、良くも悪くも無秩序だった。

 しばらくその無秩序を楽しんでいたのだが、徐々に新鮮さは薄れ、始めたての興奮は、4年も経てばほとんど効き目を失っていた。そして、冷静になって自分の一人暮らしを思い返してみると、僕が求めていた一人暮らしは、どこかこうじゃなかったような気がした。

 この違和感の正体をなかなか掴めずにいたのだが、最近分かったのである。恐らく今の一人暮らしが、僕が10代の頃に思い描いていた〝一人暮らし〟と違うからだ。

 僕の遅めの一人暮らしは、20代で始める一人暮らしよりも経済的に余裕があったので、メゾネットタイプのアパートに住み、好きな家具を買い揃え、さらには車にも乗って快適に暮らすというものだった。これが10代の頃の僕の想像とのずれを生んだのかもしれない。

 

 僕が10代の頃に思い描いていた一人暮らしのイメージはなぜか詳細だ。

 外観が団地とも取れる旧めのマンションの4階の部屋。間取りは1K。玄関のドアは鉄でできた茶色いドアで、このドアが手で押さえてゆっくり閉めないと閉まる時にガチャン! とうるさいのだ。8畳ほどの部屋には、テレビやちゃぶ台があったり、ゲーム機が転がっているが、割とガランとしている。そして部屋の外にはベランダが付いている。

 雲がぽかんと浮かぶ晴れた日、僕はフリーターなので昼の3時くらいにベランダに置いてある洗濯機を回し、その横に座ってタバコをスパーっと吸いながら、下を通る下校途中の小学生をぼーっと眺めている。

 別の日は、バイト終わりの夕方。肉屋でコロッケを買って、袋をぶら下げながらマンションに帰ると、入り口を大家さんがほうきで掃除しており「ちわー……」と挨拶をしてマンションの階段を上る。

 わかるだろうか。10代の頃に思い描いていた一人暮らしとは、この感じの一人暮らしだ。サイケデリックな色の、数珠みたいなすだれが部屋とキッチンを隔てている、あの一人暮らしだ。キッチンに付いている蛍光灯のスイッチを入れるとチカッチカッと点滅しながらゆっくり点く、あの一人暮らしなのだ。

 

 夏の暑い日。エアコンが壊れているので、青と白のストライプのトランクス一丁になりながら扇風機だけでしのいでいたが、それが限界に達する。そこで冷蔵庫の冷凍室を開けて、箱に入った3種類くらいの味があるフルーツの棒アイスを食べようとするが、箱の中にはアイスが1本しか入っておらず「最後の1本か……」と、こめかみから汗を流すのだ。

 同い年くらいの彼女がおり、髪はストレートロング、明るめに染めてはいるが脳天は真っ黒で、完全にプリンになってしまっている。僕が家で寝ているとガチャっと入ってきて、部屋に散らかっているゴミを2、3個拾ってゴミ箱に捨てる。そして、ちゃぶ台の上にある3日前くらいに食べたカップ麺の残り汁の入った容器を見て「ウゲー……」と、舌を出しながら言うのである。

 別の日、僕がバイトの給料日前に金欠でいると、また家に彼女が来る。彼女は空腹でゴロゴロしている僕を見て「ほらよ」とタバコを1箱投げてくれるのだ。僕は彼女に向かって手を擦り合わせながら「神様仏様〜!」と言い、彼女からもらったラッキーストライクをスパーっと吸って煙を部屋の電灯に吹きかけながら「やっぱ空きっ腹で吸うタバコが一番うめーよなー」と呟く。それを見た彼女は、呆れたようでも嬉しそうでもある表情をうっすら浮かべ、ぶっきらぼうに「ばーか」と言うのである。

 そんな彼女に、たまに「ごちそう食わせてやるよ」と言って、肉屋で3個入りのコロッケを買ってきて1つだけ半分に切り、1個半ずつにする。そして丼にご飯をよそい、千切りキャベツとコロッケを乗せてコロッケ丼を2つ作るのだ。最後に冷蔵庫を開けて卵を取ろうとすると、卵が1つしか無いことに気づき「あっ……」となるのだが、「特別だぞー」と言いながらその1つしかない卵を彼女の丼にだけかけて出してあげるのである。僕は「これがうめーんだよ」とガツガツとコロッケ丼を食べる。そんな僕を横目に、彼女も一口食べ「……あ、うまい」と言うのである。

 中学の頃の同級生何人かと飲んでいると「今月営業ノルマきつくてさー」「今年中に会社から独立しようと思ってんだよ」など、みんな仕事の話に花を咲かせる。すると唐突に「最近どうなの?」と僕に話が振られ、僕は口ごもりながら「まぁぼちぼち……」と曖昧な返事を返すのだ。

 次の日の昼過ぎにスーパーで買い物をして帰る途中、河川敷で野球をしている小学生のボールがこっちに転がってくる。僕は「兄ちゃんこっちこっちー!」と呼ぶ小学生の方にボールを投げ返し、その流れで小学生に混ざって本気で野球をするのだ。日も暮れてきて、夕方「兄ちゃんまたなー」と小学生たちは散り散りに帰っていく。僕は土手でひとりスーパーの袋を片手に、ぼんやり空を見ながら「就職かー」と呟く。

 そんなある日、僕が家でテレビゲームをやっている横で、それを見ていた彼女が急に「ねぇ」と話しかけてくる。僕がゲームをやりながら「ん?」と聞くと、彼女は「子供できた」と言うのだ。ゲームをする手を止め、やっていたシューティングゲームは敵の攻撃を受け「バーン!」という効果音と共に画面に『GAME OVER』と表示される。そして僕は彼女の方を向き「そっか、じゃー結婚するか」と言うのである。

 結婚を決めた僕は運送会社に就職し、彼女と一緒に住むことになる。こうして僕の一人暮らしは終わりを迎えるのである。

 

 これが僕が10代の頃に思い描いていた一人暮らしだ。想像にしては夢がない。憧れていたわけではないのだが、こうなるんだろうなぁ、という予感がしていた。

 今の一人暮らしはあの頃の想像とは全く違うけれど、決して悪くはなさそうだ。だが、今でもたまにこうやって、昔思い描いていた暮らしをしばらく想像してみるのである。

<第5回に続く>

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