密室龍宮城/むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。⑤

文芸・カルチャー

公開日:2021/11/6

むかしむかしあるところに、死体がありました。
『むかしむかしあるところに、死体がありました。』(青柳碧人/双葉社)

 日本昔ばなし×本格ミステリふたたび! 2019年4月に刊行されるやいなや瞬く間にベストセラーとなった『むかしむかしあるところに、死体がありました。』の続編が誕生。試し読み連載4回まで最新刊からお届けしましたが、5回目の今回は、あらためてシリーズ第1作から「密室龍宮城」をお楽しみください。シリーズのどこから読んでも楽しめるのが本作の魅力です。

 一、

 むかしむかしあるところに、浦島太郎という、たいそう気立てのいい漁師の若者がおりました。太郎は年老いた母と二人で暮らしておりました。ある日の朝、太郎はいつものように魚を釣りあげ、家へ帰ろうと浜辺を歩いていました。すると、五人ほどの子どもたちが何かを囲んでいるのが見えました。子どもたちは、一匹の亀を棒でいじめていたのです。

「やーい、のろまのろま」「かおを出してみろ、やーい」

「これこれ、子どもたち」

 太郎はたまりかねて声をかけました。

「そんなことをしたらかわいそうじゃないかね。どれ、ここに、さっき釣ったばかりの魚がある。これと、この亀とを交換してはくれないだろうか」

 太郎は、びくを子どもらに差し出しました。子どもらは顔を見合わせました。いちばん年上らしい男の子が太郎のびくをひったくると、逃げるように走っていきました。ほかの子どもらも追いかけるように去っていきます。

「まって」

 いちばん小さな男の子が、何かを投げ捨てていきました。それは、薄桃色の、小さな貝のようでした。亀がばたばたと砂を散らしながら、貝に向かって這い寄り、大事そうに拾いました。亀は短い首をぐいっとまげて太郎のほうを向くと、「助かりました」と女の声で言いました。太郎は驚きました。

「亀よ、お前は人の言葉をしゃべるのか」

「私はただの亀ではありません。龍宮城の乙姫様にお仕えする者です」

 龍宮城のことは、幼い頃に母から聞いたことがありました。海の底にあり、美しい乙姫様と、それに仕える海の生き物たちが楽しく暮らしているお城です。太郎は他愛もないおとぎ話だと思っていたのですが、人の言葉を話す亀を目の前にして、本当なのだと信じました。

「お名前を教えてください」

 亀が太郎に訊きます。

「浦島太郎という」

「浦島さん。助けてくれたお礼に、あなたを乙姫様に会わせたく思います。龍宮城へお連れしましょう。この、ととき貝を、私の甲羅の真ん中にあるくぼみに押し込んでもらえますでしょうか」

 ととき貝。このおかしな名前の貝のことも、母から聞いたことのあるような気がしましたが、よく思い出せません。太郎が甲羅を見ると、たしかに真ん中にこの貝がはまるくらいの小さなくぼみがあるのです。太郎は、貝をくぼみに押し込みました。亀は四つの足を動かし、波打ち際のほうを向きました。

「浦島さん、私の背中に乗ってください」

 太郎が甲羅にまたがると、亀はずるずると波打ち際へ進んでいきます。太郎は慌てて降りようとしますが、まるで尻を膠で貼りつけられたように、甲羅から離れることができません。

「おいおい、亀よ」

「大丈夫です」

 ひときわ大きな波がやってきました。太郎は亀ごと、その波に呑まれていきました。

 二、

 それはまったく、不思議なことでした。亀は太郎を乗せたまま、ぐんぐんと海の底に向かって泳いでいきます。太郎の顔や体には、水が風のように押し寄せてくるのですが、まったく息苦しくないのです。それどころか、魚や烏賊、海草など、普段は見ることのできない海の中の光景が美しく、楽しいくらいです。

「どうして、息ができるのだ」

「ととき貝のおかげです」

 亀は答えました。

「この貝には不思議な力があり、まあるい泡のようなものを作るのです。水を防いでくれるわけではないのでしょうが、この泡の中にいる限り、息も、お話も、不自由しないのです」

 そういえば、母はそんなことを言っていたかもしれません。太郎が手を伸ばすと、何かに触れた感覚はないのですが、膜のようなものをすり抜けて、外に手が出たような感じでした。中に入っているとわかりませんが、たしかに亀と太郎は、泡のような玉に包まれているのでした。

 小さな魚たちが群れをなして泳いでいます。どれだけ深くもぐったのでしょうか。本当に、夢のような心地です……。

「ほら、見えましたよ」

 やがて海の底にぴったりくっついた、ぼんやりと光るくらげの傘のような半分の玉が見えました。玉はだいぶ大きく、中に壁全面を珊瑚で覆われた、立派な二階建ての建物が見えました。建物の角は、玉の縁すれすれのところにあるようでした。

「たらばさん、たらばさん」

 立派な鉄の扉の前までたどり着くと、亀は呼びかけました。扉の脇の壁の、小さな窓が開きました。顔を覗かせたのは、赤ら顔で目のぎょろりとした男でした。

「おお、亀ではないか」

 その目が優しげになります。

「その人間は何者だ」

 亀は男に、浜辺であったことを話しました。

「ふうむ。それはたしかに、乙姫様に会ってもらわねばなるまい。少し待つがよい」

 たらばと呼ばれた男は引っ込みました。やがて、ぎぎ、と音がして門が開きました。そこには、たらばが立っていました。いぼだらけの真っ赤なよろいかぶとに身を包み、同じくいぼだらけのさすまたを携えています。髭だらけの顔、太い手足。毘沙門天をさらに力強くしたようなその厳めしい姿に、太郎は思わず身震いしてしまいました。

 たらばが門を閉める音を後ろに聞きながら、亀は太郎を乗せたまま、すいと入っていきます。白い玉砂利の敷かれた空間でした。ここが玄関なのでしょう。目の前には、漆を塗ったような黒い両開きの扉があります。

「浦島さん、もう降りていただいてけっこうです」

 太郎は亀の背中から降りました。身の回りは海の水に満たされていますが、立って歩くのも動き回るのも、まるで陸と同じふうにできるのでした。

「参りましょう」

 ふと見ると、そこにはもう亀の姿はなく、十六、七ばかりの美しい娘の姿がありました。太郎は言葉もなく驚きました。

「龍宮城の門を入ると、海の生き物と人と、どちらの姿にもなることができるのです。たいていは皆、人の姿ですごしております」

 そう言われてみれば、黒目がちな瞳に面影はありますし、着物や、肩から掛けている絹のような布の緑色は、あの甲羅を思わせます。よく見れば、娘の額には一寸ばかりの傷があります。浜辺で、子どもらに叩かれたときにつけられたものでしょう。亀は小首をかしげるようにして微笑むと、黒い扉を開けて入っていきました。太郎も誘われるように、それを追います。

 油で磨いたようにぴかぴかの、黒い石でできた床が広がっています。正面には赤い柵があり、黒い床はそのまま、左右に延びる廊下となっています。赤い柵の向こうには、中庭が広がっていました。

 なんと珍しい庭なのでしょう。一面に敷き詰められているのは、まぶしいほど輝く真っ白い砂。珊瑚や美しい貝で飾られ、海草が揺れています。ひときわ目立つのは、大きなととき貝の置かれた中央の白い台と、それを囲む四つの岩です。赤、黄色、紫、緑色……まばゆいばかりに光を放っています。

「あれは柘榴石、あちらは黄玉、紫水晶に、翡翠です」

 亀の口からは、太郎の聞いたこともない石の名前が出てきます。

「あの白い台は大理石です。あそこがちょうど龍宮城の中央になります。あの、大ととき貝による泡が、龍宮城全体を包んでいるのです」

 それで太郎はようやく合点がいきました。くらげの傘のように見えていたあの膜が、ととき貝による泡だったというわけです。

 そのとき、太郎の足元で何かが動いた気がしました。床が、がさがさと動いています。なんだなんだと思っているうちに、小さな泡を立てながら、十四、五歳ばかりの、黒い着物を着た、顔の左側に二つの目が寄った女の子が現れました。太郎は思わず、尻もちをついてしまいました。

「平目、いたずらはよしなさい」

 亀がたしなめました。平目という魚が、砂の色に合わせて体の色を変えることができるということは、漁師である太郎も知っていましたが、こんなに目の前でそれを見たことはなかったのでした。

「亀、どうしたの、そんなふうになってしまって」

 平目は怒られたことなどまるで意に介さず、亀の顔を見つめます。額の傷を心配しているのでしょう。

「心配はないわ。それより平目、乙姫様はどこにいるの」

「春の間にいるわ」

「ありがとう。浦島さん、こちらです」

 亀は太郎を連れ、左へと進んでいきます。ある部屋の前まで来ると、白木で造られた観音開きの戸を開けました。中庭と同じように白い砂が敷き詰められた、一畳ほどの間でした。襖があり、その奥から何やら楽しげなお囃子が聞こえてきます。

 亀は「失礼します」と襖を開きました。

 それはまさに、春の光景でした。清らかな流水のほとりに青々とした芝が生い茂っています。桜の木が数十本あり、今を盛りと満開になっています。ひときわ太い桜の木の下では一人の剽軽な顔をした男がくねくねと踊っており、十四、五の女子たちが三人、きゃっきゃと囃し立てながら飛び回っているのでした。少し離れた岩に、紫色の高貴そうな着物を着た細面の若者と、真っ赤な着物を着た十八ほどの女性が座って女の子たちの踊りを見ています。

 太郎の目をもっとも引いたのは、緋毛氈に座り、きらびやかな衣装を身にまとった髪の長い女性でした。そばに六つほどの男児が寄り添い、大きな扇子であおいでいます。

「乙姫様」

 亀が声をかけると、緋毛氈の女性はゆっくりとこちらを向きました。紫色の着物を着た若者と、赤い着物の女性もこちらを見ます。男も女子たちも踊りを止めました。

「まあ、亀。浜辺で大変な目に遭ったのですね」

 乙姫様は、口元に手を当てました。白い肌に、星のように輝く二つの目。鼻は大きすぎず、その唇は桜貝のように可憐です。

「こちらにいらっしゃる浦島太郎さんが、私のことを助けてくれたのです」

 亀が事情を話すと、乙姫様は立ちあがり、太郎に向かって頭を下げました。

「私の大事な亀を助けてくださいまして、本当にありがとうございました。お礼と言っては何ですが、おもてなしをさせていただきたく存じます。この龍宮城に、お好きなだけおとどまりください」

「は、はい……」

 太郎は雷に打たれたように、背筋を伸ばして答えました。ひと口に言って、太郎はこの、夕凪の清らかさと深海の優美さを併せ持った女性に、すっかり魅了されていたのでした。

「わかし、すぐに鮟鱇や秋刀魚たちに、宴の準備をするようにと言ってくるのです」

 扇子であおいでいた男児はぴょこりと立ちあがると、

「御意にござりまする」

 舌足らずの声でそう言い、ぴょこぴょことした足取りで春の間を出ていきます。なんとも愛らしい姿でした。

 乙姫様と龍宮城の生き物たちはその夜、太郎のために宴を開いてくれました。酒も料理も美味しかったのですが、目を見張るべくは、その多彩な芸でした。鯛や平目、めばるに蝶々魚といった女子たちは可愛らしく踊り、赤い着物を着た伊勢海老のおいせは、大人の香りを漂わせる舞を披露しました。紫色の着物の若者は海牛で、優雅な手妻を見せてくれました。鮟鱇や秋刀魚や鰯の笛太鼓、かわはぎの早変わり芸、蛸の剽軽な踊り、雲丹の曲芸、海鼠の落語……珍しい見世物は尽きることを知らず、時間がいくらあっても足りないほどでした。

 宴は丸一日続き、太郎は笑いに笑い、おおいに楽しみました。

 ですからこのあと、あんなにひどい事件が待ち受けていたことなど、太郎は知るはずもなかったのです。

 三、

 龍宮城は二階建てで、上から見ると中庭を囲む真四角の形をしているようでした。門番で用心棒のたらばが守っている玄関は、ちょうど南に位置しています。一階は日々、ここに住む生き物たちが遊ぶ場となっており、二階はそれぞれの居室が並んでいるというのです。

 太郎が通されたのは、二階の南東の端の客間でした。新品の畳の上に、ふかふかの布団が敷いてあります。丸一日の宴の後で疲れているはずが、太郎は興奮もあってまったく眠くありませんでした。しかしこれでは体が持ちません。目を閉じ、楽しかった宴を回想しているうち、ようやくまどろんできました。

 そのとき、部屋の外で誰かの悲鳴が聞こえた気がしました。太郎は飛び起き、廊下へ出ました。黄色いおべべを着た女子が、泣きべそをかきながらこちらへ走ってくるのでした。蝶々魚でした。

「おやおや、どうしたのだ」

 太郎が訊ねると、蝶々魚は太郎の前で止まりました。

「蛸のお兄さんが怒っているのです」

 宴では剽軽な芸を披露した蛸は、話も面白く、なんとも気持ちのいい男でした。それが、なぜ怒っているというのでしょう。

「亀が、お兄さんの大事にしている壺を割ってしまったの」

 蝶々魚によれば、蛸の居室である北東の隅の部屋は少し広いので、日々、女子たちがそこに集まって踊りの稽古をすることが多いのだそうです。宴が終わって興奮冷めやらぬ皆はそこに集まり、いつものように稽古をしていたのですが、亀が誤ってその壺を落として割ってしまったということなのでした。蛸は真っ赤になって怒り、暴れ出しました。廊下の向こうを見ると、蛸の部屋の前で、鯛や平目やめばるがおろおろとしています。

「ぎゃっ!」

 蛸の部屋から真っ黒な塊が飛び出てきました。それは、人の姿になった亀でした。太郎は廊下を走り、亀を抱き起こしました。その手には、べっとりと墨がついてしまいました。

「亀よ、大丈夫か」

 

 部屋の中を見ると、蛸があたりかまわず墨を吐き散らしたようで、真っ黒になっていました。鯛や平目たちが逃げ惑います。

「蛸や、やめるのだ」

 太郎は蛸を説得しにかかりましたが、真っ赤な蛸はまるで言うことをききません。

 どすどすどすと、力強い足音が聞こえたのはそのときです。階段を上り、北の廊下を足早にやってきたのは、赤いよろいを身につけ、赤いさすまたを手にした屈強な男、門番のたらばでした。蛸はものすごい勢いで、廊下へ出てきました。

「ええい、こいつめっ」

 たらばはさすまたを掲げると、すばやく蛸へと突き出しました。蛸は喉を取られ、苦しそうにもがきながら、壁に押しつけられてしまいました。蛸はなおも暴れますが、いぼだらけのさすまたは、そのぬらぬらとした体もしっかりと押さえつけています。二人の格闘に巻き込まれ、壁に掛けられていた鏡が落ち、割れてしまいました。女子たちが泣き叫びます。

「なんの騒ぎです」

 振り返ると、太郎の泊まっている客室の前で、乙姫様がこちらを睨みつけていました。そばにはあの、わかしという名の男児がおどおどした様子で立っています。蝶々魚が乙姫様に近づき、事の次第を話しました。

「なんと、浦島様の前で情けない。たらば、蛸を懲罰の岩部屋に閉じ込めてしまいなさい」

「はっ、かしこまりました」

 蛸は乙姫様の言葉を聞いて、なおも激しく身をよじらせますが、たらばはむんずとその体を掴み、どすどすと廊下を歩き、階段を下りていきました。

「皆の者、今日の踊りのお稽古は中止です。お部屋へ戻りなさい」

 乙姫様が告げると、皆は素直に従いました。彼女たちの姿がすっかり見えなくなると、乙姫様はわかしを見下ろしました。

「わかし、あなたはこの蛸の部屋をきれいに掃除しておくのです」

「御意にござりまする」

 舌足らずな声で答えると、「道具を取ってまいります」と、ぴょこぴょこ廊下を走っていきました。乙姫様は、この健気な男児を一番信用しているのかもしれません。

「浦島様、お見苦しいところをお見せしました」

 乙姫様は太郎の顔を見ました。

「いえいえ」

「お詫びに、私の部屋へいらしてください」

「えっ……」

「二人で、お話ししとうございます」

 そのうるうるとした瞳に、太郎は吸い込まれそうになりました。このような美しい女性の誘いを受けて、断れる男がいるでしょうか。

 乙姫様の部屋は二階の南の中央、ちょうど玄関の上に位置していました。他の生き物たちの部屋よりも大きいその部屋は珊瑚が敷かれた床の中央に、あこや貝の寝台が置かれているのでした。

「どうぞ」

 太郎は誘われるまま、その寝台に乗りました。そして、乙姫様の膝枕を許されたのです。もはや太郎の心は乙姫様のものでした。こうして二人でいると、太郎は深い安心感に包まれるのでした。

「浦島様……どうぞお休みください」

 それはまるで、夜の浜辺の波音のように清廉な響きでした。もうこのまま、一生この龍宮城で暮らしてもいい。太郎はいつしか、そんなことを思うようになっていました。陸に戻れば、もう二度とこの龍宮城へ戻ってくることはできないかもしれない。鯛や平目たちの可憐な踊りも、美味い食事も、この美しい女性も、夢のように泡のように消えてしまうのではないでしょうか。

 夢のように……。泡のように……。(つづく)

<続きは本書でお楽しみください>

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