「それにしても、私たちは一体どこから間違ってしまったのだろう」/真夜中乙女戦争①

文芸・カルチャー

公開日:2022/1/21

1月21日より公開中の映画『真夜中乙女戦争』。原作は、10代・20代から絶大な支持を集める新鋭作家Fによる初の小説『真夜中乙女戦争』(KADOKAWA)だ。名言だらけ、とSNSで拡散され続ける本作より、本連載では、「第一章 星にも屑にもなれないと知った夜に」と「第二章 携帯を握り締めても思い出はできない」を全5回で紹介。映画とあわせて「最悪のハッピーエンド」を確認しては?

真夜中乙女戦争
『真夜中乙女戦争』(F/KADOKAWA)

第一章 星にも屑にもなれないと知った夜に

 もし大学一年生の四月の頃の自分に戻れたならば、どんな後悔を大人は語るだろう。

「もっと写真を撮っておけばよかった」「もっと日記を書いておけばよかった」「安さだけで服や家具など買うべきではなかった」という後悔があれば、「好きなバンドのライブには行くべきだった」「寂しさだけで人に会いに行っておけばよかった」「もっとだめなお酒をだめに飲んでおけばよかった」という後悔もある。「体力がある内に夜更かししておけばよかった」「執念がある内に読書しておけばよかった」「気概がある内に旅に出ておけばよかった」なんてありきたりな後悔もあれば「紳士淑女の振りなどせずあの夜セックスしておくべきだった」「一度や二度は危ない恋愛をしておくべきだった」なんてあられもない後悔まで存在するに違いない。「他人のSNSを見て苛立つ時は自分の精神の不調を断じて認めたくない時だった」し、そうならぬよう「ちょっと行き詰まった時はケーキ、あるいはステーキを食べる、もしくは前髪を切る、部屋を掃除する等々簡易な解決法を幾つか持っておくべきだった」。そして、きっとこれから先、これだけは変わらないだろう。「携帯を握り締めても思い出はできない」のだ。じゃあ、どうすればよかったのか。「もっと恥を搔いておけばよかった」のか。そんなことは誰だって知っている。当たり前のことだ。

 当たり前のことは当たり前過ぎて何度だって忘れてしまう。

 臨終間際に後悔するであろうこともきっとたかが知れてる。

「残業を避けてもっと子供と過ごすべきだった」「もっと親の我儘を聴いてやるべきだった」あるいは「もっと早く癌検診に行くべきだった」が妥当な後悔か。肺、大腸、胃、膵臓、肝臓の部位順に、人間は癌で死ぬ。それでも恋だの愛だのが最後は私たちを救ってくれるのだろうか。事実、後悔まみれになりながら病院のベッドで死ぬ間際、枕元でたった一人の愛する人間に「そんなあなたも愛していた」と言われたなら、こんな人生規模の後悔から自由になれるのだろうか。いつかそんな一人と出会えるまで、たった一人で美しい振り、寂しくない振り、強い振りなどを続けて続けて、そんな自分の演技を見抜く人に出会った日にはもう甘えていいのだろうか。

 

 なんと素敵で、なんとくだらない人生なんだろう。

 

 幸いなことに、これらの後悔と私は生涯無縁だ。もう二度と親と会うこともないし、ましてや子供を育てることもない。私が志望する会社も、私を採用するような会社も現れることはない。私と結婚してくれる人間は無論、恋愛を試みる奇特な人間が現れることもない。

 そもそも、私が好きな人間は、私なんかを好きにならない。

 この世は壮大な片思いだ。地球は秒速約三〇キロメートルで太陽を周回する。地球とよく似た惑星が地球から三十九光年離れた場所に七個も発見されたらしい。もちろん、その惑星と通信する手段はない。私たちは時に宇宙のことを考え、時に眠れなくなる。なぜなら私たちが宇宙のことを考えても、宇宙は私たちのことを一秒たりとも考えていないからだ。落ちてくる筈だった隣の国からのミサイルはいつまでも落ちてこない。『君の名は。』ばりの隕石が落ちてくる時はきっと私たちは笑うしかないだろう。その時は、隕石もミサイルも、地上の私たちと同じ表情を浮かべている。Jアラートは笑点のテーマがちょうどいい。

 愛は、絶望だ。チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。

 でも、絶望は愛ではない。チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。

 絶望の正体とは、思うに、愛されたいものに愛されないことでも、愛していないものに愛されてしまうことでも、愛すべきものが何かが分からないことでもない。

 愛せども愛されども、私たちはいつか木端微塵に死ぬということだ。

 死ぬ日がいつなのか、その瞬間が来るまで分からないということだ。

 だからこそ今日が最高の日だと言える。だからこそ今日も最悪な日だと言える。

 どれだけ技術が進化し、携帯の機能が進化しようが、自分の寿命を表示してくれる機能がiPhoneに搭載されないのは人類最大の悲劇だと思われる。結局最後には、この世に何も残らない。ハッピーエンドではない映画が、最近滅多に映画館で公開されなくなった理由は一つだ。ハッピーエンド以外許せなくなった社会のせいだ。あるいはディズニーランドのせいだ。もっと言えばディズニーランドに溢れ返る人間どものせいだ。

 ところで、遺灰をロケットに載せて大気圏外に打ち上げる宇宙葬は約三十万円でできるらしい。そのロケットが大気圏内に再突入すれば人間は死後、流れ星になることができる。再突入できない場合、その遺灰は宇宙ゴミとなって何もない空間を延々と彷徨うことになるらしい。人間は星にも屑にもなれなくても、金さえ払えば星屑になれる。星屑にもなれなければ、宇宙ゴミになれる。それも嫌なら、三〇〇グラム分のその遺灰からダイヤモンドを作るのも選択肢の一つだろう。ダイヤモンド葬は最低約五十万円からできる。

 誰だって永遠が欲しいのだ。喉から手が出るほど。

 昔、欲しいものリストをEvernoteに書き出したことがある。通信制限のない携帯。そもそも携帯なんて弄り回さなくていいような生活。友達。あるいは永遠に死なない猫。百年後も愛せるような服。百年後も使えるような本棚。崩れない顔。身体。どう考えたって永遠が欲しい。なぜならば永遠にはなれないからだ。そうでなければ七億円欲しいが、七億円が手に入ったところで本当に欲しいものが手に入らないことは目に見えている。

 手に入れてもずっと大切にできるものだけが大事なものだと聞いたことがある。でも人間はそんな上等にできていない。手に入れようとしても手に入れられないものほど愛おしい。残りの人生で私たちにできることといえば、そんなものに憧れたまま死ぬか、それから目を逸らして生きるか、目を逸らさず、それをぶっ壊すか。この三択しかない。セックスレスの解決法が自慰で我慢か、浮気不倫か、離別、その三択しかないのと同じように。

 これから続く私の話は、幸福な人間に用事はない。

 ……何もかも諦めていた私にも、少しの後悔はあった。むしろ、この後悔しかなかった。

「それにしても、私たちは一体どこから間違ってしまったのだろう」

 でも、彼は違った。最初から、すべて。

 彼は―そうだ、すべてこの男が悪い、こんな化け物を生んだ東京が、社会が、世界が悪い―最初から後悔という概念など何一つ持ち合わせていなかった。彼は、やる、と言ったら、必ずやる男だった。落ちてくる落ちてくると言われたミサイルがいつまで経っても落ちてこないなら、お手製のミサイルを作って、自分の家から自分の家めがけて笑い転げながら発射するような男だった。だが生憎、ミサイルを作る知識は彼にはない。しかし彼は何をどう滅ぼすべきか精確に知っていた。そしてそのすべてに彼はミサイルに取って代わるものを放った。東京の治安が今後急速に悪化しオリンピックが開催されなかったとすれば、それは彼が原因だし、もしいきなり内定が取り消されたり、人生の転機を賭けた結婚話が破談になったり、会社や学校が閉鎖されたなら、それもすべて彼が原因だ。

「もう大丈夫だ」と彼は言う。

「何も間違っていない」と。

「この国の治安は戦後最悪になる。おまえは黙って星の数でも数えておけばいい」

 この世で最も恐ろしいのは行動的な馬鹿である、とはゲーテの言葉だ。でも、この世で最も恐ろしいことは、何もしない馬鹿のまま人生を終えることだ。私たちはそう信じていた。

 それにしても、私たちは一体どの時点から間違えてしまったのだろう。

 気づいた時には、もうすべてが手遅れだった。

 数百万回再生されたポルノ。私たちには名前がない。既読が嫌いな彼女。拳銃。パフェ。文学部の裏の喫煙所。廃墟に作った映画館。猫。ワルキューレ。攻撃的ドローン。ヴィヴィッド・ピンク色に染め上げられた銅像。試験妨害計画。飛び散った恋文。撲滅されるサークル。日夜の失恋工作。就活内定帳消工作。そのすべての原因である黒服。私たちの私たちによる戦争。

 

 十二月二十五日。真夜中0時。

 東京タワーの通常展望台は、私と彼と一匹の猫を除いて、誰もいない。

 スチール製のゴミ箱で窓ガラスの一つを叩き割れば、両耳と両頰を切り裂く夜風が展望台の中を急速に満たしていく。冬は寂しさに集中しなくて済む唯一の季節だ。深呼吸すれば膝が震える。何かを全身で感じたい時、鼓膜も網膜も皮膚も邪魔だ。もちろん他にも邪魔なものなんて腐るほどある。クリスマスを好きでも嫌いでもなくなったのは、いつからだろう。かつて愛していた人は、今頃ラブホテルで別の誰かを愛していて、その別の誰かはまた別の誰かのことを考えている。私たちはそうして冬が落ちてくる度、愛の定義に失敗する。

 地上一五〇メートルのこの展望台からでも、クラクションの音は微かに聴こえてきた。

 もうどこにも帰れない。ポケットに入れた煙草とライター、財布と携帯。財布に入った学生証は、途中の道で捨てておくべきだったかもしれない。携帯も一思いに捨ててしまえばよかった。Wi-Fiで繋がっても下半身で繋がっても、どうせ最後は一人だ。

 ここから見える、人間の目線の位置より高いビルに入った、ほとんどすべての建物が我々の破壊計画のリストに入れられている。所詮人間が作ったものだ。人間に壊せないはずがない。レインボーブリッジは封鎖できる。六本木ヒルズも都庁もスカイツリーも火の海になる。LINEなんて消えてしまえばいい。金さえあれば、どんな問題も一瞬で解決できたのかもしれない。でも、私たちの問題は決して金で解決しない。恋でも愛でも時間によっても解決しない。ましてや六法全書や聖書によっても解決しない。解決しようとしても解決できない問題は、問題の根源自体を破壊するしかない。

 東京タワーも、あと一分で燃え落ちる。

 だがこの話をする前に、私はどうしても、数名の被害者の話をしておかなくてはなるまい。私の話の中では大変些末な役割しか与えられていない、些か不憫な登場人物たちの話である。

 大学一年生の春は、私の人生でとりわけ最悪の時期だった。

<第2回に続く>

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映画『真夜中乙女戦争』
1月21日(金)全国ロードショー
原作:F『真夜中乙女戦争』(角川文庫) 脚本・監督・編集:二宮健 出演:永瀬廉、池田エライザ、柄本佑ほか 配給:KADOKAWA
東京で一人暮らしを始めた大学生の“私”(永瀬廉)は、やりたいことも将来の目標も見つからない中で、いつも東京タワーを眺めていた。そんなある日、「かくれんぼ同好会」で出会った不思議な魅力を放つ凛々しく聡明な“先輩”(池田エライザ)と、謎の男“黒服”(柄本佑)の存在によって、“私”の日常は一変。そして“私”は、壮大な“東京破壊計画=真夜中乙女戦争”に巻き込まれていく。

(C)2022『真夜中乙女戦争』製作委員会


公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/mayonakaotomesenso/