幽霊のいる窓(前編)/小林私「私事ですが、」

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更新日:2022/1/24

 

   三

 

 思いも寄らないことが起こった時、それは必ずしも幸運と呼べるだろうか。カブラがウズラとなれど、とりもなおさず喜べるかと聞かれたらいや、貧相であれどそれはまさしく私のカブだったのになんて考えてしまうだろう。現在の私に降り掛かったものは、これぞ不運だと呼べるような事象では到底なく、いつもの私にとって下手すれば喜んでしまいそうなもので。しかしながらそれが何故今日なのかと神の悪戯を疑ってしまうような。そんなまどろこっしさを抜きにして言えば、

 【木曜二限 文化人類学:私事により休講】

とのことだ。
 普段の怠惰な学生たる私なら突然の休み告知にウキウキしてしまうものだが、今日ばかりは出鼻を挫かれた思いだ。休講の知らせは基本的に事前に告知されているし、実際未読の溜まったメールボックスを漁るとその旨の通知も届いていた。それでもがっくりときてしまう。これは確認不足の自分に、ではなくみなぎる私が来てやったというのにどうして、というものだからやるせない。掲示板の前でしょぼくれている私を尻目に、休講ではない一限を受講し終えた生徒達の群れが通り過ぎていく。

 「おお、渡りに船だな。ちょうど連絡しようと思ってたんだ」

 群れの中から声をかけたのは他でもない、長野だ。文化人類学こそ受けてないものの、一限を受ける前にこの掲示を見かけていたのだろう。私にとっての隕石は、早く続きを話したい長野にとってはぼた餅だったようだ。

 「昼時の食堂は混むからな、サボり魔のウズラも良かったろ」

 ふん。長野には分かるまい、これぞ微妙な乙女心というやつなのだ。

 

   四

 

 昼前とはいえ講義も終わり、食堂は朝に比べれば活気を見せていた。流石に手ぶらで座るのもな、と少々気後れしていた私に勘付いたか、長野は缶コーヒーを二本買って、一つを私に差し出してくれた。自分の分はブラック、私には微糖。そういえば以前、間違えて買ったブラックコーヒーを近くにいた長野に押し付けた記憶がある。細かなことをよく覚えているものだと感心し、礼を言う。

 「なに、いつぞやのお返しだ。そんなことはいい、続きを話そう」
 「なんで幽霊と分かったか、だっけ」
 「…正確には人間ではない、と言うべきだろうな。時間はある、少し長話をさせてくれ」

 長野は口を湿らせる為か、コーヒーを一口飲んで居住まいを正した。

   _

 発端は先週の水曜。俺はウズラが俺から聞いたように、幽霊話を聞いた。え?誰かって、学部の友達だ。腰を折るなよ、質問は最後に聞くから一旦話させてくれ。……コホン。その幽霊話というのも俺が話したこととほぼ同じで、他には同じようなことを話してたやつが数人いたらしい。らしいというのは、又聞きだからだ。共通して言えるのは、夜、北棟6階の窓に幽霊を見た、ということ。

 お前が把握してるかどうかは知らないが、件の北棟6階教室は現在使われていない。理由は単純明快で、教室の必要過多によるものだそうだ。生徒減少に伴って、使わない教室を開けておく理由もないし、北棟はエレベーターもないからな。俺が事務に問い合わせて確認したから、間違いないだろう。

 ただ噂というものはどこからでも湧く。”立ち入り禁止の開かずの間”こと北棟6階教室は元々いわく付きだったようでな、『あすこには何かある、立ち寄るのは危険だ』なんて噂もあったそうだ。実際は何もないのにな。知っての通り俺は幽霊やオカルトなんて信じてない。プラズマとまでは言わないが、枯れ尾花と言うだろ。この時も、噂も相まって何かを見間違えたんだろうと言った。

 俺が”それ”を見たのは翌日になる。俺は5限を終えた後、講義内容について教授と話し込んでいた。史学の掛布(かけふ)先生だ、知ってるよな。時間は、なんやかんやでこの件の話や世間話もしてしまってな、最終バスが20時15分だろ。それに合わせて出て、20時を少し回ったくらいだった。バス停方面に向かう最中、ふと気になって北棟6階に目をやった。

 俺は確かに見た。幽霊……と言えるかは分からんが、あれは人間じゃない。

   _

 

 「……”恐ろしく大きい顔”だ。窓全面、人のような顔が浮かんでいて、こっちを見ていた。」

 長野は話の終わりを告げるようにまたコーヒーを一口飲み、ようやくこちらに問いを投げかけた。

 「どう思う?」
 「うーん…質問がいくつかあるんだけど、それからでもいい?」
 「勿論」

 「まず一つ目、この話を知っているのは長野と合わせても数人みたいだけど、オカルト嫌いの長野の耳に届くくらいならやっぱり有名な話なんじゃないの?」
 「ああ、それについてはなんの事はない。この噂自体ごく最近のものらしい。それと、俺が初めに話を聞いたのは、さっきも言ったが友達でな。そいつも怪現象については、元は俺と同じで否定派の人間なんだ。変に盛り上げたくなくて、意見の近い俺に真っ先に相談したらしい。」

 「二つ目、これは長野が答えられるのかは分からないけど、教室の鍵はどこに保管してあるか、知ってる?」
 「これは掛布先生にたまたま聞いた話で、実際確かめたわけじゃないが、教室の鍵はマスターキーを除いて全て個別。普段の教室は早朝と、用務員さんがマスターキーで閉めてまわる深夜を除いて常時開放されているから、基本的に教授は自分の研究室の鍵以外は持っていない。他の教室の個別の鍵は全部事務で保管されていて、特別な用向きもなければ生徒は寄り付かない。特例として例の北棟6階に関しては、月一の埃払いを除いて閉めっぱなし、だそうだ。」

 長野は聞かれることを予想していたのか、すらすらと質問に答える。こういう時、長野は話が早くていい。思考を巡らせながら最後の質問をする。

 「……三つ目、長野は大きな顔を見た、と言ってたけどそれは他の目撃者もそうなのかな。共通してるのは、夜。仮に教室に顔や人影や、それに近い何かがあったとして暗がりで”幽霊だ”と言えるほどのものが見えるかしら」

 ここまでの淀みのなさから一転、長野は唸って考え込んでしまった。やがて少しの間を置いて、自分自身で確かめるように答え出した。

 「……前半だが、俺も失念していた。少なくとも、相談してきた友達は同じものを見ていない。確か……くっきりと人が見えて、突然消えた、と言っていたな。人影ではなく“人”と言っていた。そう考えると他の数名も同じものを見ていないかもしれない……

 後半に関してだが、これもすまない。……恥ずかしながら俺も動転してな、逃げるようにバスに乗り込んでしまったから、明確な事は言えない。ただ言えるのは俺も友達も、恐らく他の数名も、距離的な問題はあれど夜の条件下でハッキリその姿を捉えている。」

 

 ……………………………。

 

 ……………………。

 

 ……………。

 

 …。

 

 私が考えていることを察し、長野がじっと待ってくれていたのがありがたい。おかげで思考もずいぶんまとまった。

 「…うん。多分、分かった。幽霊の正体」
 「本当か!で、なんだったんだ?」

 答えを待つ長野の顔はまるでクリスマスにサンタクロースを期待する子どものようで可笑しく思えて、少し考え、言った。

 「…案外、プラズマかもね。」

後編へ続く(後編は1月23日配信予定です)

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタートし、2020年6月に1st EP『生活』を発表。シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信し、支持を集めている。6月30日、デジタルオンリーの新作EP『後付』(あとづけ)を発表。また、5月に配信オンリーでリリースしたEP『包装』が、“サラダとタコメーター”(Acoustic Ver.) をボーナストラックとして追加、タワーレコード限定で発売中。J-WAVE (81.3FM) 「SONAR MUSIC」内「SONAR’S ROOM」毎週月曜日パーソナリティを担当中。

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