「認知症は、そんなに悪いことばかりじゃない」『長いお別れ』『ばあばは、だいじょうぶ』…認知症になった家族を描いた注目の4作品

文芸・カルチャー

2019/4/30

 “家族と過ごす時間”は、とくに血の繋がっている間柄だと、多少の不義理をしたくらいでは関係は壊れまいという安心感から、あとまわしにしがち。いつまでも自分が子どものころの、面倒を見てくれた元気いっぱいな彼らの姿が、脳裏に焼きついているのも大きいだろう。

 だが親も祖父母も、自分が大人になった分だけ年を重ねて老いている。懸念される症状の一つが“物忘れ”――認知症だ。5月には立て続けに2作、認知症がテーマの映画が公開される。誰にとっても他人ごとではないテーマだからこそ、家族との久しぶりの時間も増えるこのゴールデンウイークに、読んでじっくり考えたい4冊を、映画原作を含めてご紹介しよう。

■『わたしのお婆ちゃん 認知症の祖母との暮らし』(ニコ・ニコルソン/講談社)

『わたしのお婆ちゃん 認知症の祖母との暮らし』(ニコ・ニコルソン/講談社)

もうね お母さんと一緒に死のうかと思って

 それは、祖母との2人暮らしに、静かに追い詰められていた母からのSOSだった。

 2011年3月11日、宮城にあるニコさんの実家は津波によって流された。母ルと婆ルは2階に逃れて一命をとりとめたが、避難所生活のなかで少しずつ元気を失っていく。婆ルが強く願っていたのは「自分の家に帰ること」。そこで力を尽くし家を再建するが、穏やかな日常をとりもどしたと思っていた矢先、母ルはぽつりと冒頭の言葉をつぶやいた。

 これまでどおり、元気で働きもので、愛情たっぷりの婆ル。けれど、流されたはずの妹の家に行くと出かけたきり帰らない。再建した自分の家を「人様のおうち」といい、「自分の家に帰りたい」と泣く。スイッチが入ると、手がつけられないほど頑固になる。実家に戻ったニコさんも、ある日、話の通じない婆ルに手をふりあげ、そんな自分に愕然とする。

 婆ルはいったい、どこに帰りたいのだろう。“今”より“過去”が強くなった婆ルには、なにが見えているのだろう。変わっていく婆ルと相対しながら、ニコさんは、それでも変わらない、大好きなおばあちゃんとの関係を見つめ直していく。笑いも絶望もあたりまえに満ちた日常を描きだす、コミックエッセイ。

■『ばあばは、だいじょうぶ』(楠 章子:作、いしいつとむ:絵/童心社)

『ばあばは、だいじょうぶ』(楠 章子:作、いしいつとむ:絵/童心社)

 泣き虫の「ぼく」にいつもばあばは「だいじょうぶだよ」と言ってくれる。優しくて、あったかくて、一番の味方だったばあば。けれど“忘れてしまう病気”にかかって、少しずつ困ったことをするようになってから、「ぼく」はばあばに近づかなくなってしまう……。

 幼い少年には、わからない。自分のことより人のことを考えていつも行動していた祖母が、みんなを困らせるようなことをするのか。「ぼく」の楽しみにしていたジャムをひとりで食べてしまったり、枯れ葉を浮かべたお湯を飲ませようとしたり、いやがらせをするようになったのか。

 病気だから仕方ないと言われても、感情がついていかない。ばあばなんてもう嫌いだ、そう思うのも仕方がない。だがそれは、大人であっても同じこと。もういやだ、と何度となく思ってもいなくなれば心配になるし、無事でいてほしいと願う。

 10万部を突破し、多くの人にこの絵本が支持されるのは、子どもの素直な心情が、押し込めた大人のそれと重なるからだろう。

 ミラノ国際映画祭2018に出展された実写映画は、外国映画部門で最優秀監督賞を受賞。主演の寺田心は、史上最年少で最優秀主演男優賞を受賞した。国境を越えて人々の胸を打った同作、日本での公開は5月10日からだ。

■『長いお別れ』(中島京子/文藝春秋)

『長いお別れ』(中島京子/文藝春秋)

 かつて中学の校長だった昇平が認知症と診断されてから10年。ケーキの銀紙をのばして集めたり、行きたい場所にたどりつけずに帰ってきたり。最初は「ちょっと困ったな」程度だった行動は、しだいに深刻さを増していく。過去と現在が混同するだけでなく、意味のとおらない言葉で話し出す。どこに行っても「帰る」と聞かず、住み慣れた我が家からもどこかに帰ろうとする。けれど連れていった生家もまた、彼の帰りたい場所ではなかった……。

 文章にすればそれはとてもさみしく、悲しい。だが、自宅介護を続ける妻・曜子も、3人の娘たちとその家族も、絶望する瞬間はあっても、常に打ちひしがれているわけではない。かみ合っていなくても、意味がわからなくても、父と娘の会話はどこか繋がっていた。妻の存在を忘れてしまっても、夫は何かにつけ曜子を頼る。〈ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?〉と曜子は思う。〈この人が何かを忘れてしまったからといって、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない〉。

 あたたかくも切ない、10年にわたるゆるやかな別れを描き出す家族の物語。山崎努、松原智恵子、蒼井優、竹内結子の出演で注目が集まる映画は、5月31日より公開される。

■ペコロスの母に会いに行く』(岡野雄一/KADOKAWA)

『ペコロスの母に会いに行く』(岡野雄一/KADOKAWA)

 父を亡くした年に、認知症が始まった80過ぎの母。グループホームの母を訪ねる、長男のペコロス。母はいろんなことを忘れていく。ときどきペコロスのこともわからない。訪ねるといつも上機嫌なわけではないし、ひとしきり悪態をつくときもある。けれどペコロスの禿げ頭をさしだすと、楽しそうに叩く。動くのが億劫になってきたのに、そのときばかりは俊敏だから、リハビリがわりに叩かせる。大人になってから頭を撫でられるみたいで悪くないなと思っていると、力強くひっかかれて褒美は罰に変わってしまう。

 幸せで穏やかな瞬間と、不穏な瞬間。過去の遠い記憶と、目の前にある現実。行きつ戻りつしながら母は、母だけの今を生きている。それは決して、悪いことばかりじゃない。

僕は、母がうらやましいと思う。認知症になって、母の中に父が生き返ったのだから、ボケることもそんなに悪いことばかりじゃないんだ、と

 ペコロスは思うのだ。

 あたたかくユーモラスなマンガと、郷愁のただようどこか切ない随筆で、母との日々を描き出した本作は、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞し、25万部を突破。2012年には実写映画化もされている。4月30日には、『続・ペコロスの母に会いに行く』が刊行された。

『続・ペコロスの母に会いに行く』

 作品に登場する人たちはみんな、どこかに帰りたがっている。その人の記憶のなかにしかない、いつまでも求め続ける、遠くあたたかい場所。それはどこなのだろう。そのときがもし自分に訪れたら、自分はどこに帰りたくなるだろう。今を忘れてしまっても、残るものはなんだろう。大切な家族との別れはもちろん、その人とともにある自分自身にも思いを馳せたくなる、そんな4作品である。

文=立花もも