聞くと読むとは大違い。わかりやすい押井守理論
公開日:2013/1/16
押井守の書いた本です。というと、それだけで敬遠してしまう人もいるかもしれない。なにせ、本業の映画ですら第1作(テレビアニメでなく映画ね)『うる星やつら オンリー・ユー』では観客に気を遣っているようにみえるが、2作目の『ビューティフル・ドリーマー』ではすでに暴走気味だった。ご本人はオンリー・ユーを伊丹十三に叩かれたのが悔しかったというような話をどこかで書いていたのが思い出される。
とにかく『ビューティフル・ドリーマー』から『イノセンス』まで並べて、さあこの人の話を聞きなさい。といわれて「はいそうですか」と耳を傾ける人は少ないと思う。とにかく理屈っぽく、それでいて汎用性がない理論なのだから。押井守節を、「入りにくく、脱出不能」と表現した人もいたけど、まさにそんな感じだ。
しかし、対談でもなく小説でもない。新書という形で話を読むとみえてくるものもある。まさに活字の力だな、と思う。押井守がなぜミリタリーに傾倒するのか。軍事を考えることがなぜ政治や社会の問題を考えることにつながるのか。かつて学生運動の最後尾にいた人が、暴動というものをどういう風にとらえているのか。なぜ、これほど政治が腐敗しているのに今は暴動が起きないのか。
そういったことを、コミュニケーションの種類が違うのだ、と説いている。
曰く、コミュニケーションには2種類ある。ひとつが、現状を維持するためのコミュニケーション。もうひとつが、異物とのコミュニケーション。日本人には後者が欠けているという。それはネットをはじめとした、ツールでは補えないものだともいう。アラブの何倍ものネットインフラを持つ日本だが、しっかりしたコミュニケーションに下支えされた理論的思考ができないから、暴動すら起きないのだと解釈している。
今や、宮崎駿を「宮さん」と呼びつつも正面切って批判できる人は少ない。そういう意味でも、一度押井守の話に耳を傾けてみるのはありだと思う。
パトレイバーでIT犯罪を扱った人の言葉ですぞ?
問題はツールではなく、個々人の能力
要る要らないの前に、コミュニケーションの定義です
ここであげた2つの能力。後者が日本人には欠けているという