sumika片岡健太のエッセイ連載「あくびの合唱」/ 第8回『朱』

文芸・カルチャー

公開日:2025/1/31

新しいアルバムのリリースが発表された。
出す側としては、「ようやく」という気持ち。発表できてうれしい。まずはそれに尽きる。
2年前から構想を練り始めていて、早い段階から曲作りをスタート。その間もいい感じのペースで新曲をリリースしていた。「そろそろアルバムを…」なんて言われる度に「いやー、どうでしょう」とはぐらかすアレは、テスト勉強をバリバリやっているのに「全然勉強してないや〜」と言ってしまうアレに似ていて、搔けないどこかがムズ痒くなる。

とにかく、情報解禁日が待ち遠しかった。ついに、出ます。3月5日にニューアルバム。
完成した曲たちを聴きながら、今この文章を書いている。
そもそも、僕はなぜこんなに曲を作っているのだろうか。

曲を作り始めたきっかけは、今でも鮮明に覚えている。
高校時代に付き合っていた彼女を、年上のバンドマンに取られたからだ。
この話は自著『凡者の合奏』(KADOKAWA)に書いているので、もし気になる方がいたら読んでほしい。

二十数年前に始めた曲作り。そこから気の合う仲間を見つけてバンドを組んで、端的に言えば売れる曲を作りたいと思うようになっていった。
売れたい理由は、清濁併せ呑んでさまざま。
いい車に乗りたいとか、いい部屋に住みたいとかロックスター的な理由より前に、大きなストレスを解消したかった。その根源である、バイトを辞めたかったのだ。
曲を作ってライブをする。僕は音楽活動“だけ”をしていたかった。
自分がバイトをしているその時間に、売れているアーティストたちは曲作りやライブに励んでいる。これでは、実力の差は開いていく一方だ。
想像力が無駄に長けているせいで、バイト中は売れっ子アーティストがリハーサルをしたりレコーディングをしたりしている想像に苦しめられた。汗を流す理由は、音楽でありたかったのだ。
寝る間くらいしか惜しめない、自らの価値が悲しかった。

メンバー全員が音楽だけで生活できるようになったのは、2016年に「Lovers」という楽曲をリリースした頃だ。そこからの数年間は、長きに渡り僕を苦しめていたバイトの亡霊たちを、全力スマイルで祓っていった。「大好きな音楽だけで生きていけるって最高」と浸っているだけで、ポンポン新曲が生まれた。作る意識なんて一切なく、勝手に曲が生まれてきてしまう。ポジティブなことで忙しくなるのが想像以上に幸せで、ずっとこの時間が続いてほしいと願っていた。

しかし、その時間が強制的にストップされ、曲を作る意味について考える時がやってくる。
2020年のコロナ禍だ。
「こんな世界でどうやって働くのか? そして、なぜ?」というクエスチョンマークが地球中に蔓延したあの時代。ご多聞に漏れず、僕もその問題に直面した。エンターテインメントがやり玉に上げられて、愛しているものを四方八方から否定されたあの経験は、きっと一生忘れられないと思う。直接的という意味では、かつてのバイトのほうがよほど人のためになっていたのかもしれない。音楽の価値観が揺らいだ瞬間でもあった。
そんな不安をかき消すように、メンバーやスタッフと連絡を取り続けた。
「最近どうだい?」という僕の質問には、「音楽って価値あるかな?」という弱音も含まれていた。情けないなと思いつつも、「早くまた一緒に音楽やりたいよ」と返してくれる仲間の声を聞いて、みんなと再会するための家を守る気持ちで、曲を作り続けた。作った曲に対して、「救われた」とか「まだ頑張れる」と言ってくれた感想が、そっくりそのまま自分の気持ちを表していた。
“自分の為”が、“誰かの為”にもなる―。そう確信できたことが、僕のモチベーションに繋がっていた。

2023年になり、コロナの影響がようやく沈静化し始めた。
この年、僕らのバンドにとって、とても悲しい出来事があった。

バンドメンバーの一人との別れだ。

このことを飛ばして話を進めていくのには相当無理があるので、今の気持ちを少しだけ話そうと思う。読むのが辛い方は、無理せずここで止めてくださいね。

まず、この出来事だけに焦点を当てて、言葉にするのはまだ難しい。というより、当分できないと思う。もしかしたら一生できないかもしれない。それでいいし、できてたまるかとも思っている。“悲しい記憶”とラベリングして、蓋をして進んでいくのも違う。大好きなメンバーで、彼も僕らのことを大好きだと言ってくれた。その記憶は忘れたくない。だから蓋は開けたまま、僕は今、自分のまわりにいてくれる人たちと目を合わせて、膝を突き合わせて生きていきたいと思っている。僕の想いは当時のラジオや取材などでひとしきり話したので、このことについて語る機会は当分ないと思う。

未来に向けて何ができるのか。
散々考えた結果、出会えた人とは、とびきりのハッピーエンドで人生を終えたい。
そして、それはできるだけ遠い未来であってほしい。そんな気持ちや願いが、一層強く芽生えた。

それ以降もいろいろなことがあった。
僕が喉を壊して2ヶ月間休んだり、メンバーの小川君が肺炎になって2ヶ月間休んだりした。
ファンの方々にはいつも心配ばかりかけて、本当に申し訳ない。僕はその度にまわりの人に助けられてきた。
音楽だけで生計を立てられるようになり、社会的に自立を果たしてからは、自分のまわりにはいい人ばかりだ。僕が考える“自立”とは、自分の意思で立って、自由に移動までできるようになることだ。気の合う仲間と繋がって、気が合わない場所からはエスケープする。僕らは出会う人や場所を、自ら選ぶことができる。
そして、同じ場所で共に生きていくことによって、“自分”と“大切な誰か”の境界線はなくなっていく。自分も誰かで、誰かも自分。文章にするとなんだか胡散臭くも感じるが、大切な誰かと共生することは、それほどまでに強い力を生む。
天文学的な確率で出会えたからこそ、出会えた誰かは大切にしたい。ここ数年、世の中でよく言われている「暇は敵」という考え。そこから派生した「暇潰しにネットを見ていたらネガティブな記事ばかりに気をとられてしまう病」にも、お互いかからないようにしたい。
なぜなら、僕らの人生は退屈している暇なんてなくて、感動することに忙しくしていたほうが人生は幸せなはずだからだ。いつもドキドキすることをしていたい。それは僕らだけの価値であっても一向に構わない。

数字は量を測るのに精一杯で、深度を測りかねている。それを測れるのは結局のところ、人間の目と心でしかない。好きな人と、好きなことだけするのに忙しい人生を送りたい。
それらの感情と人を繋ぐものとして、音楽は非常に優れている。時間だって楽々越えていく。
十数年ぶりに出会った人だろうと、今この瞬間に出会った人だろうと、音楽を介せばみな等しく一瞬で繋がることができる。“音速”は、物理的な速さだけではない。心の中に入ってくるまでの、測ることのできない速さも含まれている。これは結構すごいことだ。同等の速さと深さで人と繋がる方法を、僕はまだ音楽以外に知らない。

人と人の縁を結んできた音楽。
そしてこれからもきっと縁を結んでいく音楽。そんなものに大きな浪漫を感じている。
2025年現在、僕が曲を作る理由はそれです。
想像もできないくらいに楽しいことが、きっと僕らを待っている。
願望よりも、もっと確信めいた感情を抱きながら、新しいアルバムを聴き終えた。
春のはじまり。ドキドキしながら歩いていこう。

撮影=片岡健太

編集=伊藤甲介(KADOKAWA)

<第9回に続く>

あわせて読みたい

片岡健太
神奈川県川崎市出身。sumikaのボーカル&ギターで、楽曲の作詞作曲を担当。キャッチーなメロディーと、人々に寄り添った歌詞が多くの共感を呼んでいる。これまで4枚のフルアルバムをはじめ、精力的に楽曲をリリース。ライブでは、人気フェスに数多く出演するほか、自身のツアーでは日本武道館、横浜アリーナ、大阪城ホールなどの公演を完売。2023年には、バンド史上最大規模の横浜スタジアムワンマン公演を成功に収めるなど、常に進化し続けるバンド。