俳優・戸塚純貴と作家・くどうれいんがコラボ「掴めそうで掴めない危うさみたいなものが僕はすごく魅力的だと思うんです」
公開日:2025/1/29

作家として岩手の地でみずみずしい文章を創り出しているくどうれいんと、2024年の連続テレビ小説(朝ドラ)『虎に翼』でヒロインの同期・轟太一役を熱演し大きな話題を呼んだ俳優・戸塚純貴。作家と俳優という異なるフィールドで活動する2人が、写真とショートストーリーで交差する――。
『登場人物未満』は、写真集でもなく、小説でもなく、くどうれいんと戸塚純貴だからこそ生み出すことができた、「一人の人間の本当の姿」を探す挑戦的な一冊だ。
発売を記念して、今回は写真のモデルとして本作に出演した戸塚純貴さんにお話を伺った。
くどうさんのストーリーがついたことで
一枚の写真の見方がこれほど変わるなんて

――戸塚さんが各所で撮影した写真をもとに、作家・くどうれいんさんが執筆したショートストーリーの収められた一冊は、これまで触れたことのない形のコラボレーションになりましたね。
ひとりで何かしている人物を僕が演じ、その写真にくどうさんが物語をつける。すごく面白いコラボスタイルだなと思いました。『ダ・ヴィンチ』の連載企画でスタートしたものだったのですが、続けていったその先に、きっと何か凄いことが起こるんじゃないかという予感がしました。
――くどうさんが物語を書くことになったのは、「戸塚さんの面白さを他の人が書いたら悔しくないですか?」という「ダ・ヴィンチ」元編集長のひと言だったとか。くどうさんはその言葉を聞き、「よくわからないから捕まえてくれ」と言われているような気がしたと。ご自身が周りの方たちからそう捉えられていることをどう思いましたか?
「つかみどころがない」ってみんなから思われているんだなって。そしてそのことをちょっと面白がってくれてもいるんだなと。だから逆に捕まえられたくないなと思いました(笑)。
――“写真の中の戸塚純貴”、スタートは渋谷のスクランブル交差点で大ジャンプをしている人物でした。
どういうロケーション、シチュエーションで、どこにひとりでいるのが面白いのか。撮影チームで話し合っていくなか、僕が盛岡から上京し、初めて渋谷のスクランブル交差点に立ったときのことを思い出したんです。人の多さに酔い、少し気分が悪くなってしまったことを。
「東京ってこういう街なのか」という恐怖さえ覚えたあのときの記憶が巡ってきたとき、その交差点にひとりで立つの、ちょっと面白いかもと。東京らしさもあるし、街の中心だし、自分の人生のなかで新たなスタートを象徴するような場所だったので第1回目にふさわしいかなと。そして上京時のその時はきっと顔色が悪かったと思うけど、今回はあえてちょっとはしゃいでいる人になってみようと(笑)。
くどうさん、この写真からどんな物語を書いていくんだろう?ってワクワクしながら。「だんちゃん」という僕の想像を越えるストーリーがくどうさんから返ってきたとき、この連載の向かっていく先、そこから生まれてくる意味みたいなものがちょっとわかった気がしました。
――「だんちゃん」では、つかみどころのない妙に気になってしまう高校の先輩として、戸塚さんが描かれています。読んでみていかがでしたか?
なんかドキッとしましたね。いい意味で裏切ってくれたというか。くどうさんにはこういう風に見えているんだなって、なんだか覗かれているような感じがしました。写真が一気に生々しくなったというか、静止画なのに躍動感が現れてきたというか、ストーリーがつくことで一枚の写真の見方がこれほどまでに変わるのだと。
“戸塚純貴”の短編映画が15本
この一冊に収められている

――連載の間、インスタには、くどうさんの書いたショートストーリーに呼応するような文章を書いていらっしゃったそうですね。
せっかく連載することになったので僕も何か文章を書かせていただきたいなと思って。くどうさんがとても面白い物語を書いてくださるので、そのアンサーを自分のインスタであげていこうかなって思ったんです。
――「登場人物超過」と題されたその文章は、この一冊にすべて収められています。短かったり、長かったり、ストーリーへのアンサー的なものもあるし、登場人物の視点で書かれたもの、そしてこれは戸塚さん自身のこと?思ってしまうエッセイに寄ったものも。どんな風に毎回、書かれていったのでしょう?
視点的なことは決めていませんでした。それこそ写真を見て、くどうさんが物語を作るように、自分もくどうさんの物語から受けたインスピレーションで書いてみようって。なので物語につながっているようなものもあれば、全く関係ないような内容にもなっていきました。
――“写真の中の戸塚純貴”15人のストーリーのなかで、特に印象的なものは?
それぞれ強い印象が刻まれているんですけど、黒い溶岩のなかに白い衣装を着た男が立つシチュエーションで撮影した「みゆ」ですね。故郷・岩手県の溶岩流が足元にいっぱいある場所で撮ったのですが、これはくどうさんに、本当に「申し訳ありません!」と思っていました。
この写真を渡されるくどうさんの気持ちを考えると、「何を書けばいいんだ?」と思われるだろうなと思っていたのですが、くどうさんから返ってきたのはまさかの恋愛もの。「この写真を恋愛に持っていくか?大自然の壮大な感じで、あえて恋を!」と衝撃を受けました。
――先ほど「静止画なのに、ストーリーがつくことで躍動感が現れてきた」とおっしゃっていましたが、まさに動画のように見えてくる。一冊を通して読んでいくと、戸塚さんの主演の短編映画を続けて観ているような感覚になります。
めっちゃうれしい! それ、すごく素敵な読み方ですね。
――この一冊は一見、戸塚さんのフォトブック、けれど読み始めると、すぐにそうではないことがわかってきます。ひと言では説明しがたい本になりましたが、「これはこういう本です」と言葉にするとしたら?
戸塚純貴の短編映画ですね(笑)。自分でもない、でもどこか見たことがあるような、そしてもしかしたら自分もちょっと入っている……そんな曖昧な、役のようで役ではない存在がそこにいるものが詰まっている。くどうさんと僕、双方向から思考を巡らせ、つくっていったこの企画は、「ものをつくる」観点でいえば、けっこう難解なことをしていたと思うんです。でも内容的にはすごく身近なもの。読んでくださる方にとっては、距離の近いところにあってほしい一冊だと思っています。
だから飾ってほしいパッケージにもしたんです。部屋に置いてあっても恥ずかしくない、戸塚のファンじゃない人も、飾ってみて、ちょっといいなと思っていただけるような。
「書く」ことは
何かをつなぎ止めること

――5年前のインタビューで「脚本を書いている」というお話を伺いました。この一冊のなかで「登場人物超過」、そして「はじめに」をご執筆されていますが、ご自身の表現のひとつとして「書くこと」とは?
5年前、僕が脚本を書いていたのは当時、あまり仕事がなかったから、表現する場所を自分でつくっていたんです。振り返ると、「書く」ことで自分が表現をすることをつなぎ止めたいと思っていたのだろうと。でも今でも「書く」ことは、僕にとって、何かをつなぎ止める力のあるもの。今回、文章を書いていた時もそんな感覚をおぼえていました。
――くどうさんがストーリーに書かれた曖昧な存在の人物、現実のなかをふわふわと漂っていくような物語をつなぎ止めたいという思いもあったのでしょうか。
そうですね。多分、くどうさんのお話だけで物語を完結させたくなかった、プラスアルファ、何かを添えられたら、ここからまた、何かをつないでいけたらいいなという思いがあったと思います。
――最後に収められている「あとがきにかえて 戸塚さんを捕まえる」という、くどうさんの書き下ろしエッセイは小説のような読み心地でしたね。
すごいよかったです。でもこっぱずかしかったです(笑)。分析されているようで。くどうさんから見た僕、誰かになっている僕の正体を、最後の最後に暴かれていくみたいな。
――このエッセイをくどうさんが執筆する際、お二人は初めてゆっくりお話しをされたそうですね。でも結局、くどうさんは「戸塚さんはわからなかった」と。5年前、「ダ・ヴィンチ」の取材で、戸塚さんはおすすめの一冊として中島らもさんの『酒気帯び車椅子』を挙げられ、「この主人公自体、何を考えているのか、その根底にある、らもさんの本性はどこにあるんだろう。そういう人ってすごく魅力的に見える」とおっしゃっていたんです。
わ! まるで伏線回収みたいですね。僕、そんなことを言っていたんですね。
――「わからない、ということはすごく魅力」だと。「わからない」ってきっと戸塚さんのキーワード。「わからない」はご自身でも探求しているものですか?
「表現には正解がない」という言葉をよく聞きますけど、僕自身も誰かを演じるとき、わからないまま始まり、わからないまま終わることがたくさんあって。その掴めそうで掴めない危うさみたいなものが僕はすごい魅力的だと思うんです。僕自身も、掴めそうで掴めない役者になりたいなと思っているので、やっぱりわからないものが好きだし、わかられたくないんです。
――この本のなかでは、読者の方にもご自身のことを捕まえてほしくはないですか?
たくさん捕まえていただきたいです(笑)。「でもそれは本当に僕かな?」というところでしょうか。「こういうことなのかな」というひとりひとりの解釈が、間違っていることなんてひとつもないと僕は思うんですね。その人がそう思ったことがすべてだと思うから。だから感じたままに読み、楽しんでいだたけたらいいなと思っています。

取材・文:河村道子、写真:冨永智子