45歳独身変わらぬ日常を過ごす女と、全裸で飲酒しながら在宅勤務する20代の女。金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』が描く「出会いの至福」【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/2/2

ナチュラルボーンチキン金原ひとみ/河出書房新社

 毎日同じものを食べ、友達と出かけることもなく、決まりきった生活スタイルを10年続ける45歳の女と、怪我で在宅勤務になったのをいいことに、部屋のバルコニーで全裸になって酒を飲みながら仕事をする20代の女。生涯関わることのなさそうな二人が出会ってしまったらいったい、何が起きるのか――。金原ひとみさんの小説『ナチュラルボーンチキン』(河出書房新社)は、出版社の経理担当である前者・浜野文乃(あやの)と、編集者の後者・平木直理(開き直りと同じ読みである)の物語である。

〈敢えてつまらないを選び取り、つまらないを志し、つまらないを極めている〉と浜野は言う。いったい何が楽しいんだ、そんな人生。と平木でなくとも言いたくなる波風の立たなさであるのだが、そのあとに続く〈つまらないだけが、私を傷つけず私を愛さずとも容認し、放っておいてくれる〉という言葉には少し、共感してしまう。平木のように、スケボーに乗って電話をしながら出勤していれば怪我をするのは道理だし、ホスクラにハマって切り崩した貯金はいつか借金に変わるし、感情のもつれに巻き込まれて傷つくこともあるだろう(まあ、平木はただの捻挫なのに3週間も在宅勤務を主張する豪胆な精神の持ち主なのであまり心配はないのだが……)。人と関われば、それだけで身も心も傷つく可能性が生まれる。現に、浜野がつまらない生活を選びとることを決めたのは10年前、離婚してから。心が切り刻まれるほどの激情に苛まれた過去があるからだということが、やがて明らかになっていく。

 そんな浜野が、平木と友達に似た関係を育んでいくことができたのは、歳が離れているからというのも大きいだろう。人生のステージがそもそも違うから、互いに嫉妬したり羨んだりすることもない。「オバサンが若さに嫉妬する」という表現を見聞きすることがあるが、現実には、歳を重ねるほどに若い同性には寛容になり、そして健やかに幸せに未来を生きていってほしいと願うことのほうが多い気がする。

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 平木との出会いによって、浜野の生活と感情は少しずつ乱れていく。最たる出来事が、チキンシンクというバンドに誘われ、かさましまさかというボーカルの男性に出会ったこと。〈自分でなんだかんだと理由をつけて挑戦とか新しい一歩とか踏み出さない保守的なタイプ、それこそナチュラルボーンチキンなんです〉という彼から、寄せられる穏やかな好意は浜野にとって心地いいものではあるけれど、恋愛なんて彼女の生活にもっとも邪魔な存在である。そんな浜野にまさかは、お付き合いをしていないという体でお付き合いしましょうと持ち掛けるのだ。付き合っていないのだから別れることもないのだという、ナチュラルボーンチキンならではの臆病な、けれど深い愛に、不覚にもぐっときてしまった。

 閉じた生き方なんてよくないと、浜野の選択を決して否定しない平木とまさか。多少のイレギュラーを受け入れながらも淡々とした日常を維持しようとする浜野の意志を尊重してくれる、彼らの存在が、愛しい。自分の「今」を、傷つかないための選択を守りながら、それでも一緒に生きていきたいと願う人たちに出会えることの至福を、物語のラストで噛みしめる。

文=立花もも

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