『THE SECOND』がなければマシンガンズは終わっていた?葛藤の時代からチャンスを掴むまでの軌跡を語る【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/2/5

 芸歴20年以上を誇るお笑いコンビ・マシンガンズ。1998年の結成後、2008年頃にネタ番組『爆笑レッドカーペット』などのショートネタブームでブレイク。しかし、約15年間の“くすぶり期”を経験し、2023年『THE SECOND~漫才トーナメント~(以下、THE SECOND)』の準優勝でセカンドチャンスをつかみとった。上梓した著書『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)では、その軌跡を追っている。

 今や、ゴミ清掃芸人としても活躍する滝沢秀一と、俳優業の評価も高い西堀亮の2人が、著書を通して振り返った思いとは。インタビューにより、伺った。

■若手芸人のネタを見て痛感「今の面白いの感覚とはズレてる」

――著書『もう諦めた でも辞めない』では、マシンガンズの歩みをコンビとお二人の視点からそれぞれ振り返っています。芸人仲間からの反響はいかがでした?

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滝沢秀一さん(以下、滝沢):どうなんだろう。本書でコンビで対談したガクテンソクの奥田(修二)が「本を出したいけど、おじさんが出しても仕方ないと思っていたらマシンガンズさんが先に出しちゃった」と言っていて。ニーズがあるのか?と思ったので、出版の話はビックリしましたね。

西堀亮さん(以下、西堀):帯を書いてくれたナイツの塙(宣之)もですけど、おじさんの周りにはおじさんしかいないんですよ。

滝沢:一緒に営業へ行くのも、おじさんばかりだよね。ナイツやウエストランド、サンドウィッチマンさんも。

西堀:若手芸人は年齢が離れ過ぎてて、ライブを見ても何やってるのか分からないんですよ。僕がもう50歳で、後輩が20歳だとすると30年も違うから、人生の共通項もない。

昨年11月に優勝賞金100万円のコンテスト『第7回のむシリカPresents お笑いJACKPOT』の決勝大会でMCに抜てきしていただいて、出場する若手芸人のネタを見ても、ワケ分かんなかったですね。僕らの世代は「今の面白いの感覚とはズレてるな」とは思って、若い人のネタは若い人が笑うし、年寄りのネタは年寄りが笑うんだなと痛感しました。もう、老害です(笑)。

滝沢:おじさんは基本的に嫌われるものだから。気持ちは若いんですけど、年齢が離れていると若手芸人も話しかけにくいと思うんです。

考えてみれば、オレが20歳の頃に50歳のおじさんとしゃべりたかったかといえば、しゃべりたくなかった。年齢が上の師匠たちが話しかけてくれるのも今はめちゃめちゃうれしいですけど、20歳の頃は怖かったしね。今では分かる、おじさんの魅力も当時は分からなかったわけですから。仕方ないけど、すり寄ってくることのない若手芸人をこっちも好きになれないし、「老害」と言われるのを見越して、はなっからコミュニケーションを遮断していますね(苦笑)。

――切実な問題で(笑)。さて、本書ではコンビの対談形式で歩みを振り返るパートの一方、お二人がそれぞれ独白で歩みを振り返るパートもあります。西堀さんは「滝沢のパートを読んで「こんなことあったな」とか、自分じゃ忘れていることもありました」とも述べていました。

西堀:コンビでくすぶっていた当時、色々な葛藤があったんだなと思いました。仕事がほぼなかったので金銭的な苦労もあったんですけど、オレは楽観的だったんですよ。ただ当時、たがいに語り合う機会はなくて。コンビとして仕事がなくて会わないのは絶望的な状況のはずでしたが、その現実とも向き合ってなかったです。

滝沢:そもそも、くすぶっていた時期よりもずっと前から、西堀はお笑いだけでご飯を食べるのをあきらめていたから。達観するのが早かったですね。

西堀:読者のみなさんもそう感じてくれたんじゃないかと思うんです。目の前に壁があったとしても、登ろうとする人間はその高さが分かるわけじゃないですか。外から見ていたら「なんで、登らねえんだろう」と思っても、当の本人は「無理、登れない」となるから。お笑いに対してはまさに「登れねえよな」と、だいぶ早い段階から思っていました。


■「お笑いで一発当てて、金持ちになってやろう」との思いが逆転

――くすぶっていた時期に、西堀さんは「お金はなんとかなる」と考えていた一方、滝沢さんは家族のためにとゴミ清掃の会社に就職されたのは、対照的と思いました。

滝沢:たしかに生き方は対照的かもしれませんが、どうなんでしょうね。ある程度は足並みを揃えないとやっぱり、コンビとして続けられないんですよ。相方を思ってネタを作りますし、長年一緒にやっていてお互いのスタンスに合わせてきたのもあるので。結成から20年以上で、大きなケンカをしたこともあんまりなかったよね。『爆笑オンエアバトル』の舞台袖で、顔を近づけて「お前のせいだ!」と言い合ったくらい(笑)。

西堀:他のインタビューでも答えたやつだ(笑)。至近距離で言い合ったんですよ。ただ、ケンカといっても前向きではなくて、めっちゃスベったから相方に言うしかはけ口がなかった。ああしろこうしろではなく、お互いの揚げ足をとってのケンカでしたし、今思えば恥ずかしいです。

――コンビではラジオ番組『60TRY部』に出演するための「1週間に1回ぐらい」しか、会わない時期もあったそうですね。正直、解散はよぎらなかったのでしょうか?

滝沢:生活がどうしようもなくて廃業する可能性はありました。ただ、子どもが生まれたし、それでお笑いを辞めるのは考えていた「芸人ライフ」とは違うとも思ったんです。清掃会社へ就職したのもお金さえ入れば「芸人を続けられる」と考えての選択肢で、はじめは「お笑いで一発当てて、金持ちになってやろう」と思っていたのに、逆転しました。

――滝沢さんの就職で、西堀さんは「終わったな」と思ったそうですね。

西堀:マイナスな感情ではなく、生活を考えたら「そりゃそうだよな」と納得しました。ただ、コンビとして賞レースに参加したり、第一線でやっていくのはもう「終わった」とは思ったんです。それでも、他にやりたいことがあったわけではなく、新しい何かに挑戦して地獄を見るよりは、住み慣れた地獄の方がいいと、割り切っていました。


――紆余曲折はありながら、2023年の『THE SECOND』準優勝で再び、大きなチャンスをつかみました。くすぶった時期もありつつ、ここまでコンビを続けられた理由をどのように考えていますか?

滝沢:全部、たまたまなんですよ。『THE SECOND』がなければ今でも、西堀と一緒に過ごす時間は限られていたと思っていて。幸いにも、準優勝してからは他の芸人とのツーマンライブを申し込まれたりと、周囲がコンビでいられる環境を作ってくれている感じなんですよね。最近では、ネタ作りの時間もまた設けるようになったし、楽しいですね。

西堀:『THE SECOND』なしで盛り返そうと思ったら、自分たちから何か仕掛けなければいけなかったし。エントリー当時は40代後半でしたけど、多少の努力はあっても、思うようにならなかった出来事の連続だったし、頑張ってはこなかったんです。ただ、お笑いで生きることにだけは全ベットしてきたし、芸人という逃げ道があってよかったです。

取材・文=カネコシュウヘイ、撮影=金澤正平

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