75歳女性が落ちた「恋の沼」、相手は86歳の男性「あの方の肌に、触れたい」──ベストセラー『疼くひと』の著者がふくよかに描く円熟のかたち【書評】
PR 公開日:2025/3/20

若者の恋愛離れ、セックスレスや「プラトニック不倫」などという言葉が目につくようになった一方で、なんと元気なことだろう。「七十五歳になって、八十六歳のひとを好きになって、何が悪いの?」。『最後のひと』(松井久子/中央公論新社)には、老いてなお、恋愛を新鮮に楽しもうとするひとの姿が鮮やかに描かれている。
今年75歳を迎えた唐沢燿子は、ここのところ、世の中から「外れた」存在になっていると感じている。医療費の自己負担が減り、市営バスの無料パスがもらえるなどの恩恵は受けているものの、テレビドラマの脚本家の仕事にはめっきり声がかからなくなった。「もう歳だから」は禁句として、スマートフォンやインターネットバンキングを使いこなし、逗子に買ったマンションでひとり満足に暮らしている。とはいえ、肉体や周囲の変化に完全に抗うことは、難しいのも事実だった。
セックスといえば、気がつけば燿子自身も異性と肌を重ねる機会が皆無になっている。
あれは燿子がちょうど七十歳のとき。ゆきずりのように出会った十五歳も年下の、沢渡蓮という男と恋に落ちた。
歳とともに仕事の依頼が途絶えはじめ、それまでに味わったことのなかった不安な日々のなかで、SNSで接近してきたその男と、わずか一年足らずの短い恋愛に溺れたのだった。
沢渡との恋は、劇的な終わりを迎えた。しかしそれも、今となっては、燿子が意識下で求めていた「女性としての解放」を果たすためのできごとであったように思う。別れの直後こそ喪失感に苛まれた燿子だったが、結婚も出産も、育児も離婚も経験した末に、「女としての開花」まで経験できた。恋愛などという面倒なものは、もう自分には必要ない──そんなふうに考えていた矢先、燿子は出会ってしまったのだ。学生時代の友人が通う市民講座の壇上に立つ元大学教授、仙崎理一郎に。
仙崎理一郎と逗子駅で別れたとき、燿子はたしかに思っていた。「あの方の肌に、触れたい」と。自分よりも、ひと回りも年上の男の肌に。
我が子は自分の手を離れ、友人も鬼籍に入りはじめ、老いにともなう孤独はひそかに、燿子のもとへと忍び寄る。そんな中、燿子はついに「自分にぴったりな人」に出会えたのだった。燿子はそのよろこびを、心で、肌で、人生をかけて噛み締める。
私たちは、どこか「老いらくの恋」をタブー視している。まして恋愛や結婚でさえも、選択的に避けられる時代だ。燿子と仙崎の深く燃える静かな恋は、ある意味で、この成熟した社会における可能性を──老い方の多様性を示しているとも言えるのではないか。
ベストセラー『疼くひと』の著者が、ドキュメンタリータッチの筆でふくよかに描き出す、円熟のひとつのかたち。この物語に触れたひとは、みずから狭めてしまっていた人生の選択肢に、あらためて目を向けることができるだろう。
文=三田ゆき