“アンパンマンのマーチ”には「死」のテーマが含まれている? 連続テレビ小説『あんぱん』で再注目、やなせ氏の生涯を梯久美子が語る【インタビュー】
公開日:2025/4/5
「ただ自分が知りたいから」ノンフィクション作家が評伝を書く理由
――梯さんご自身が評伝を書かれたり戦争について書かれたりするようになったのは、やなせ先生と過ごした時間が関係しているんでしょうか?
直接的には関係ないですね。逆に「やなせ先生の人生を書こう」「私が書いてもいいのかも」と思ったのは私が戦争に関する本でデビューしたからこそというのはあります。やなせ先生と対談したときに、先生がご自分の戦争体験をお話ししてくれる流れになったのは、私が戦争に関する本を出していたからなので。今ではよく知られている「アンパンマンが自分の顔を食べさせるのは、先生が戦地で飢えた経験があるからだ」という話もその時伺いました。
――戦争について詳しく調べられている梯先生だからこそ、やなせ先生も戦争体験をお話しになったんですね。
そう考えると、私は戦争のことを調べていなかったらやなせ先生の評伝を書かなかったかもしれないですね。評伝って自分が書く必然性みたいなものがある程度ないと「なんで私が書くのか」って思ってしまうんです。私が書いている他の評伝も、自分の中で自分が書く必然性みたいなものを感じられたから書いています。
これまで私は戦争の時に20代前後だった方々のことをたくさん調べて、書いてきました。この世代の方たちは青春時代が戦争と重なって、しかもたくさんの方が亡くなっているので「死んでしまった人たちのために自分は何をしたらいいのか」というのをずっと考えてきた。同時に戦後の日本を作ってきた人たちでもあります。そこが私のテーマになっているんですが、やなせ先生もその世代の方なんですよね。戦争の重さを背負っていた人という感じが全然しなかったので、近くにいる間はそのことに気付いていませんでした。
――今回の本もそうですが、評伝は執筆のために膨大な資料にあたらなくてはいけないしすごく大変な作業ですよね。そのモチベーションになっているのはやはりその方々の想いを伝えたいというところなんでしょうか?
実は、「伝えたい」という気持ちはあまりないんです。ジャーナリストの方は「これを伝えなければ」という使命感が仕事の根本にあって、本当に立派だと思うんですけども、ノンフィクション作家である私は、もっと自分本位というか、「私が知りたい」という気持ちがまずあるんです。
ただ取材ってすごく暴力的なことで、たとえばインタビューでも相手の方からしたらこちらに話す義務があるわけでもないのに、当事者ではない私が「その時どうでしたか」とかって聞くわけです。でもその時、私の中には「どうしてもこれが聞きたい、これを聞かないと私の人生が前に進めない」という気持ちがあって、それが伝われば答えてくれる人は答えてくれる。もちろん拒否されることもあって、その時は意を尽くして、「なぜあなたでなければならないのか」を説明しますが、それでも駄目ならあきらめます。
――梯さんご自身の心が動く瞬間みたいなものがあって、それが表れているからこそ評伝作品から伝わってくるものがあるんだろうなと感じました。
私自身これまで本を読んできて、自分と全然環境も違う話だけど「なんかわかるな」「励まされるな」と思うことがあったんですね。だから遠いところにボールを投げる気持ちで書くというか、作品の本筋が印象に残らなくても、意外なところで伝わったりすることもあるんじゃないかなと思います。
書いても本にならなかったり、最後まで書き終えられなくて命が尽きる、ということがあるかもしれない。でも文章にすべき出来事とか人物とか、そういうものがあると思うので、私は最期までノンフィクションを書いていたいと思います。
取材・文=原智香、撮影=文藝春秋写真部
■梯 久美子(かけはし・くみこ)
1961年熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、やなせたかしが編集長をつとめた雑誌『詩とメルヘン』の編集者となる。40代でノンフィクション作家としてデビューし、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞ほかを受賞した『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮文庫)など著書多数。ジュニア向けに書いたやなせたかしの伝記『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館)の内容が、小学校5年生の国語教科書に掲載されている。