“私”はカルトを始めてみた――。村田沙耶香による挑戦的な11作品が、「正しい」世界にゆさぶりをかける【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/5/12

信仰 (文春文庫)村田沙耶香/文藝春秋

「俺と、新しくカルト始めない?」

 同級生の石毛からカルト商法に誘われた“私”は、そのビジネスで教祖役を務める斉川さんを案じて、彼らの計画に一枚かむことに。かつてマルチにハマった過去をもつ斉川さんは、意外なほどの教祖としての才能を開花させ、“私”のなかに潜む、ある切望に火をつける――。

 最新長編作『世界99』(集英社)が反響を呼んでいる村田沙耶香さん。デビュー以来、その独自のまなざしで世界を照射する物語を多数発表し、たくさんの読者を魅了してきた。2022年に刊行された短編集『信仰』(文藝春秋)がこのたび文庫化。ちなみにこの表題作は2021年、シャーリィ・ジャクスン賞(中編小説部門)候補作となっている。

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 主人公の“私”は「原価いくら?」が口癖の現実主義者。周りの人たちが、くだらないものにお金を使うことに我慢がならず、よかれと思って「原価いくら?」と忠告し続けてきた。その結果、友人も恋人も離れていき、妹からは「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね」と言われてしまう。

 物語は、冒頭に記したように、そんな“私”が石毛からカルトに誘われる場面からはじまる。石毛(と斉川さん)の編みだしたカルト商材は「天動説セラピー」だ。それはまさに「地動説」なる、自明の理とされている常識に、真っ向から疑問を投げかける視点ともいえる。彼らの説く信仰を敢えて信じてみることで、“私”は自分自身の『現実』への信仰を取り戻そうとする。

 ここで描かれている「信仰」は、けっして宗教的なものだけではない。もっと曖昧で、もっと根深く、もっと日常的なことごとだ。たとえば鼻の穴のホワイトニングや、これをもっていたら「間違いない」とみなされているブランドなど。私たちの生活のあらゆる場所に「信仰」は食い込んでいる。そして「正しい」とされるものを人は信用し、「間違っている」とジャッジされたもの(あるいは者)からは距離を置く。かくして信仰は強化され、異端者は迫害される。

 他者の目、社会の規範、言葉による定義――そうしたものによって編み上げられた「信仰」に、私たちは知らず知らず支配されているのではないか。「信仰」に身を浸すことへのおそろしさと、紙一重の恍惚。村田作品の特徴ともいえる世界への「ズレ」や「異物感」。かつ読む側の倫理、常識、思い込みにゆさぶりをかけてくる展開と、衝撃的な結末。この作家のうまみが凝縮された作品だ。

 単行本と同様に短編小説とエッセイが区別されることなく掲載されており、文庫化されるにあたって最近発表された3作品(「無害ないきもの」「残雪」「いかり」)も加えられている。

 小説もさることながら、ぜひエッセイ、とりわけ「気持ちよさという罪」「いかり」を、ひとりでも多くの方に読んでほしい。言葉のすごさを信じ、分かっているからこそ、言葉をもてあそぶ心地よさに気をつけなければならないという深い自戒が込められている。淡々とした筆致(それは小説でも同様に)がかえって読む側の心に迫り、突き刺さる。この一文など、まさに。

“本当に大切なことは、口に出さない。心の世界にしまい続ける。あるときから、私が決めていることだ。”(「いかり」より)

文=皆川ちか

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