誹謗中傷に加担した83人の“個人情報”を晒した――。「炎上」に狂わされた人々の人生を、社会派作家・塩田武士が描く【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/5/27

踊りつかれて
踊りつかれて塩田武士 / 文藝春秋

 有名人相手ならばどんな暴言を吐いたっていいのだろうか。その行為がどんなにおぞましいことか、誰かが死ぬまで分からないのか。有名人のスキャンダルが起こるたびに発生する炎上騒動。おかした罪以上に社会的な制裁が加えられる今の世の中に違和感を覚えている人は少なくないだろう。

 表面的な正義感で言葉の刃を向ける人たちは、ネットの匿名性を盾にしているに違いない。もし、SNSで誹謗中傷をくり返す人々やデタラメな記事を書いた記者のありとあらゆる個人情報が突如晒されたとしたら——『踊りつかれて』(文藝春秋)は、「炎上」に憤りを感じる、ある男の復讐を描き出す物語。社会派作家・塩田武士が突きつけるこの「現代のテロル」は、「週刊文春」連載時から話題沸騰。言葉が異次元の暴力になる今の時代を巧みに描き切った内容に、読めば読むほど、胸を締め付けられる。

「何が『人を傷つけない笑い』だ。」

 ああ、冒頭の一文から痺れてしまった。これはブログに書き込まれたある男の犯行声明文【宣戦布告】。その男の心には、いつだって二人の芸能人がいた。ひとりは、不倫を報じられ、SNSで苛烈な誹謗中傷にあった末に自ら命を絶った、お笑い芸人・天童ショージ。もうひとりは、週刊誌のデタラメに踊らされ、人前から姿を消した伝説の歌姫・奥田美月。彼らの人生を狂わせた人々のことがどうしても許せない男は、「重罪」と認定した83人の氏名、年齢、住所、会社、学校、判明した個人情報の全てを公開した。

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 ……なんだろう、この緊張感は。この本には、今の社会への、薄っぺらい正義感を振りかざす者たちへの怒りが漲っている。実際にこの事件が起きているようなリアル感に震えながら、個人情報を公開した男の主張につい共感している自分に気付く。天童の自殺現場で死者を笑い者にする動画を撮影した大学生YouTuber。「こういう頭と下半身にウジわいてる奴は生きてる価値ない」などと天童に執拗に暴言を浴びせかけた女性歯科医。SNSで複数のアカウントを使い分け、虚偽ツイートを投稿した、天童の中学時代の同級生。美月を挑発し、デタラメな記事を書いた元週刊誌記者……。公開された個人情報をもとに、多くの者たちがSNS上で、そして、リアルの場で、83人の日常を揺るがしていく。加害者側が追い詰められていくことを「自業自得」と感じる自分は間違っているのか。どんな顔をすればいいのか分からず、どうしてこんなことになってしまったのかと複雑な思いに駆られずにはいられない。

 そして、個人情報を晒した人物は意外とあっけなく逮捕されるのだ。とある63歳の男。多くを語らないこの人物は、どうしてこんな騒ぎを起こしたのか。天童の中学時代の同級生の女弁護士・久代奏は、その弁護を担当しながら、彼の胸のうちに迫ろうと奮闘する。その動向を追いながら、私たちも、世の中にはいかに見えないものがあるかということを実感する。週刊誌の記事が元となり「炎上」した時、天童や美月は何を思い、男は何を感じたのか。人間には人それぞれ事情がある。目に見えない人々の人生が無数にある。それを想像もせずに、一面だけをみて暴言を浴びせかけることは、どれほど浅はかなことなのだろう。

 この本を読み終えた時、ひとりひとりが考えずにはいられない。今の世の中をどうやったら変えられるかということを。どうすれば、SNSの先には必ず誰かの人生があるということを誰もが想像できるようになるだろうかということを。個人情報を晒した男の人生と、「炎上」に巻き込まれて人生を狂わされた人たちの人生。それを厳しくも優しい眼差しでとらえたこの作品は、今の時代こそ読まれるべき1冊。もしかしたら、この小説が世界を変えるかもしれない。そう思わされてしまうほどの力強さを持つこの作品を、今の時代に息苦しさを感じている、あなたにも是非。

文=アサトーミナミ

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