瀬尾まいこの“誰にも負けない子ども好き”が反映された小説。小学生の娘に「私が読む最初の“本”」と言われた『ありか』【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/5/26

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年6月号からの転載です。

 「これまでの私の人生を全部込めたと言い切れる小説を書きました」多くの読者に愛され、信頼されてデビュー24年目を迎えた瀬尾まいこさんは、最新作『ありか』への思いをそう語る。

取材・文=阿部花恵、写真=干川 修

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 「きっかけは水鈴社の社長が『瀬尾さんと娘さんの話を読んでみたい』とおっしゃったことでした。うちの娘、めっちゃ呑気で毎日楽しそうなんですよ。だから『なんでそんな楽しいんやろうな?』って不思議に思ってくださったのかな。とにかく、そこから血が繋がった親子の話をガチッと書いてみようと思いました」

 担当編集者であり、水鈴社代表を務める篠原一朗さんが、執筆依頼の意図を次のように補足してくれた。〈瀬尾さんがお嬢さんに大きな愛情を注がれている姿を目の当たりにしてきました。その等身大の姿を投影していただけるのは今しかないと思いましたし、『そして、バトンは渡された』や『夜明けのすべて』で人々の名前のつけられない関係性を描いてきた瀬尾さんが、血縁のある親子関係と真正面から対峙してくださったら、とんでもない作品が出来上がるのではないかと思いました〉

現実の世界にも優しい大人は大勢いる

 主人公の美空は、化粧品工場で働きながら一人娘のひかりを育てるシングルマザーだ。食事の支度をし、ひかりを自転車で保育園に送り、9時から6時まで働いた後はお迎えに行き、夕食を作って食べさせてお風呂に入れ……と毎日は慌ただしく過ぎていく。けれども、母娘の間には健やかでまっすぐな愛がある。
 「私も娘が3歳くらいまでは、毎日がわちゃわちゃしていて記憶がないくらいに大変でした。でも大変ではあったんですけど、未来の塊が目の前にいて一緒に過ごせるその時間は、幸せ以外の何物でもなかった」

 瀬尾さんの子ども好きは昔から一貫している。
 「子ども好きは世の中にたくさんいますけど、好きの熱量では私、負ける気がしません。“子ども好き”って言ってもちっちゃい子どもが好きなだけでしょ? 私は高校生から『ババア』って言われてもかわいいと思えますから! 中学教師になって担任を持てたときは、生徒たちに愛を注ぎ放題にできて幸せでした」
 『ありか』という物語を貫く軸は、愛を注げる誰かがいる幸福でもある。美空がひかりに注ぐ愛、ひかりが美空に注ぐ愛。親子の日常にはごく自然に愛がある。まだ20代の美空は自分の育児に自信が持てず不安だらけだが、それでも親子の関係は決して閉じていない。

 「子育ては親だけがするものだとは私はまったく思っていません。他人や親戚、誰でもいいから周りの人と一緒に子どもを育てていけばいい。そんな思いから出てきたのが“叔父”の颯斗です」
 颯斗は、美空にとって義理の弟、つまり離婚した元夫の弟だ。美空たち夫婦が離婚した原因は夫の浮気だが、姪のひかりを可愛がる颯斗は「兄貴が浮気性だからって、ぼくまで縁を切られるのは不条理だもんな」と主張、毎週水曜は自分がひかりのお迎えに行くと美空に提案する。さりげない優しさとほどよい強引さで、軽やかにハードルを越えてくる颯斗。ひかりには惜しみない愛を、美空には誠実な敬意を示す彼は、やがて母娘にとってかけがえのない大切な存在になっていく。

 「身内の誰かが結婚して親しい親戚が増えるのって、嬉しくなりませんか? 私はすごく嬉しくなるのですが、離婚によって繋がりが途絶えてしまうこともある。そういうのって淋しいなと考えていた時期だったことも、颯斗のキャラクターに影響したのかもしれません。『こんな親切な人は現実にはいない』と思う読者もいるかもしれませんが、颯斗には実在のモデルがいます。美空と同じ工場に勤める60代の宮崎さんもそう。私は学生時代にいろんなアルバイトをしていたのですが、どこへ行っても先輩のおばちゃんたちに助けられてきたんですね。『仕事、慣れた?』と気遣ってくれたり、おかずをくれたり、そういう世話好きな女性たちの言葉や優しさに、若かった私はすごく救われてきました」

 美空とひかりを支える周囲の人々の優しさには、恩着せがましさがない。「誰でもこれぐらいのことするから」とさっと助けの手を伸ばす。対価や見返りは誰も求めてこない。願望を描いているのではなく、現実の世界にはそんな人達が大勢いるのだから、それを物語に反映させたに過ぎないと瀬尾さんは語る。

 「娘の小学校のPTAで生活安全係をしたことがあるんです。といっても、私はただ通学路をウロウロするだけなのですが、そのときに実は地域の至る所に子どもらをそっと見守ってくれている大人がたくさんいることに気づいたんですね。それならば、さらに一歩踏み込んで親切にしてくれる人も絶対にいますよね?」

「育てた恩を返せ」なんて微塵も思いようがない

 一方で、本作にはもう1組の母娘関係が描かれる。女手一つで美空を育ててくれた実母と美空の関係だ。ひかりへの愛を実感するほどに、美空の心には陰りが生じる。
 「『自分が親になって初めて親から受けた恩がわかる』って世間ではよく言うじゃないですか。私も母子家庭で育ったのでそうなのかと思いながら生きてきたのですが、いざ娘が生まれて親になったら、まったくそうは思えなかった」

 未来の塊のようなひかりを育てながら、美空もまた不思議に思う。「この日々のどこに恩を感じさせるべきところがあるのだろう」と。ならば、なぜ母は私に「恩を返せ」と要求してくるのか。巡る季節の中で美空はひかりを育てながら、実母との過去にも向き合っていく。

 「自分の書きたくない部分をここまで小説に書いたのは初めてです。美空とまったく同じではありませんが、私の子ども時代も決して楽しいものではなかった。それでも小説にする上で、今回は触れたくなかった部分も書きました。執筆中は『かわいそうだったな私』と思うこともあれば、『ほんまに可愛くない子どもだったな』と思うことも。と同時に、親が抱いていた閉塞感やどうしようもなさも今なら理解できます」

 なぜ愛してくれなかったのか。いつまで一緒にいられるのか。誰かを大切にするとはどういうことか。人と人が関わり合っていく上で必ず生まれる問いと感情に真正面から向き合いながら、美空もひかりも、そして颯斗も少しずつ強くなっていく。完成した原稿を読んだ担当編集の篠原さんは、〈ただの「子どもかわいい」という話ではなく、「家族という病」とも言うべき親子関係の難しさにまで言及された瀬尾さんの集大成になった〉と力強く断言する。

 ラストシーンに咲く小さな幸せの光景は温かな希望だ。最後に、『ありか』というタイトルに込めた思いを聞いた。
 「探していたもの、欲しかったものは、ここにあったんだ。過去や遠くではなくて、自分の中や自分のすぐそばにある、在り処。物語を半分ほど書き進めた頃に、何かにハッと気づくように自然にこのタイトルが浮かびました。作品が出来上がったときはスッキリしましたね。ずっと書きたかったこと、今の自分が思っていることをこの作品で全部書き切れた気がしたので。読んでくれた人に少しでも伝わるものがあれば嬉しいし、それだけで十分に救われます。ひかりのモデルになった娘は小学生なのでまだ小説を読めませんが、彼女が実際に口にした言葉もちりばめているので『これが私が読む最初の“本”になると思う』と今から宣言しているんです。それも楽しみですね」

せお・まいこ●1974年、大阪府生まれ。2001年「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞して翌年デビュー。05年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、09年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、19年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞。映画化も話題となった『夜明けのすべて』、書店愛を詰め込んだエッセイ集『そんなときは書店にどうぞ』など著書多数。

ありか
瀬尾まいこ 水鈴社 1,980円(税込)
工場でパート勤めをしながら、一人娘のひかりを育てるシングルマザーの美空。何かと二人の世話を焼いてくれる義弟の颯斗や、さりげなく思いやってくれる周囲の人々との繋がりに支えられながらも、美空はふとした瞬間に過去を振り返り、実母に対する複雑な感情を反芻していた……。「私の人生を全部込めた」と力強く言い切る、瀬尾まいこの新たな最高傑作。