小川洋子6年ぶり長篇小説! 声なき人や動物のために歌う少女の人生の物語『サイレントシンガー』【書評】
PR 公開日:2025/6/20

沈黙の中にだって、声があり、歌がある。声の大きい、うるさい人たちばかりの世の中だからこそ、この物語が深く心に沁み渡った。どこまでも静謐で、決して出しゃばらず、慎ましやか。ただ、気づけば、そっとそばにいる。ファンタジーのようでいて、すぐ近くにあるこの物語の世界に、否応なく惹きつけられてしまった。
そんな作品が、『サイレントシンガー』(小川洋子/文藝春秋)。小川洋子さんの6年ぶりの長篇小説だ。物語の舞台は、内気な人々が集まって暮らす“アカシアの野辺”。そこで暮らすひとりの少女の静かなこの物語を読むと、沈黙の中に、いくつもの言葉が、感情が、思いがあることに気づかされる。
“アカシアの野辺”は周囲からみれば謎に満ちた土地だ。そこは、宗教的施設でも、営利目的の会社でも、家族でもなく、ただ内気な人たちが集まった場所。彼らは広大な森を金網で覆い、小川のほとりを開墾して畑を耕し、入り口には重々しい鉄の門を設置し、頑強な鍵を取りつけた。主人公は、その土地のすぐ隣の家で暮らす少女・リリカ。たったひとりの家族であるおばあさんが“アカシアの野辺”で働いている間、リリカは赤ん坊の頃から野辺の老介護人に預けられて育った。黒い服を身にまとう内気な人たちは直接言葉を交わさず、十本の指を駆使した指言葉で慎ましく会話をし、やがてリリカも指言葉を覚える。そして、使い慣れない喉を鳴らしながら老介護が歌ってくれた、ささやき声と変わらないくらいに弱々しい子守唄も、リリカは確かに吸収した。野辺の行事で披露されたリリカの歌声は、どこまでも素直で、これみよがしでなくて、油断しているとすぐに空へ流されていきそうなのに、鼓膜に深く染み込んでくる生気があった。そして、その歌声は、彼女の人生を動かしていく。さまざまな人と出会いを引き寄せ、恋をも引き寄せる。
日当たりのよい放牧地。羊の毛刈り。森の斜面の湧き水。行方不明になった子どもが寂しくないようにとおばあさんが作った等身大の人形と、その人形が並べられた公園。角を絡ませあって死んだ二頭の羊。ひっそりと通り過ぎ、気づけばいなくなってしまった人、動物、物……。リリカとおばあさんのひたむきな生活は、どうしてこんなにもじんわりと優しく心に沁みてくるのだろう。
「人間は、完全を求めちゃいけない生きものなのさ」
「余分、失敗、屑、半端、反故、不細工……。そういう、不完全なものと親しくしておかなくちゃ」
おばあさんが語る警句にもまた惹きつけられ、それは内気な人たちの遠慮深い姿と重なりあっていく。読めば読むほど、あなたの胸の中にも、“アカシアの野辺”というかけがえのない場所が生まれるはずだ。
だが、“アカシアの野辺”は決して遠くにあるわけではない。やがておばあさんの勧めで、外の世界でボイストレーニングを学んだリリカは、野辺での仕事の合間に、時折、歌の仕事を受けることになる。おもちゃの人形に歌を吹き込んだり、アシカの代わりに歌ったり、死者のために歌ったり。そんな姿を見ると、“アカシアの野辺”と外の世界はすぐそばにあることが分かる。外の世界はいつだってうるさく自分勝手だ。だけれども、どの仕事でもリリカの「歌うことへの姿勢」は変わらない。「歌は分かち合うものだ」と唱え、左手の小指を喉の窪みにそっとあてがう「歌」の指言葉を捧げる。自分という存在を消し、無言を抱えた誰かの身代わりになって歌うのだ。
普通ならば聞き逃してしまうような声や、声にすらならないものがこの本では巧みに掬い上げられている。もの言わぬものたちの声となり、歌を歌うリリカ。そんな日々を追うにつれて、生きることの喜びと悲しみを感じさせられる。穏やかで温かいのに、ちょっぴりアンニュイでもの悲しい。読後もそんな気分が、内気な人たちの静かな暮らしが胸に残る。そんな人生の物語を、あなたの傍らにもぜひ。
文=アサトーミナミ