ベストセラー『メメント・モリ(死を想え)』から40余年、藤原新也が「死に満ちた現代」を語る。新刊『メメント・ヴィータ』をレビュー

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/6/12

メメント・ヴィータ
メメント・ヴィータ藤原新也/双葉社

 作家、写真家として「生と死」のリアルを伝え続ける藤原新也氏が新刊『メメント・ヴィータ』(双葉社)を上梓した。タイトルの意味は、ラテン語を用いた著者の造語で「生を想え」だ。1983年に藤原氏が発表した「死を想え」を意味するベストセラー『メメント・モリ』とは、対照的なタイトルとなっている。

■学生運動の「敗北」によって様変わりした社会

 藤原氏は文章、写真、書、絵画などによって時代と社会の深層を切り取り続ける表現者だ。東京藝術大学に入学後、1969年よりアジア各地を放浪した。『印度放浪』『東京漂流』など、代表作は多数あるが、特に『メメント・モリ』(1983年)は40年以上経った今でも読まれるロングセラーとなっている。インドで犬が人の死体を食べている場面に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉を付した写真をはじめ、“死”を見つめることで“生”を浮き彫りにする写真は80年代の若者たちに衝撃を与えた。

 新刊『メメント・ヴィータ』では新たに、語りという表現に挑んだ。ベースとなっているのは、コロナ禍でスタートした著者のポッドキャスト番組「新東京漂流」だ。文語ではなく口語ですすむ本書は、まるで、そばにいる友人や家族に語りかけるような構成となっている。

 扱うテーマは多岐にわたるが、その一篇のタイトルを冠した「メメント・ヴィータ」では、1969年に著者がインドへ渡って以降の、日本社会における変化を映し出す。

 1950年代の安保闘争をきっかけに広がった学生運動は、1969年に東大安田講堂の立てこもり陥落をもって敗北の局面を迎えたと著者は振り返る。それ以降、若者たちの意識は「社会」から「個人」へと変容していく。著者みずからが撮影した、1980年に神奈川県で発生した「金属バット両親撲殺事件」の犯人の自宅写真に象徴されるように、身近な共同体である「家族」すらも崩壊する時代へと移り変わっていった。

 その渦中で、行きどころを失った若者たちは次第にカルトや神秘主義へと傾倒していく。そのさなかでのちに地下鉄サリン事件などを起こす「オウム真理教」が誕生したのは、当時の象徴だ。

■オウム真理教事件と旧統一教会問題に浮かび上がる符号

 著者はかつて、雑誌連載の仕事を通じてオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の生家を訪ねるため、熊本・八代へと向かった。地下鉄サリン事件(1995年)の発生後だ。

 弟の松本智津夫の起こした事件により、故郷を追われて大阪に身を隠す松本家の長男と著者が向き合った場面は非常にスリリングだ。緊迫した対話の果てに、著者は長男の口から、幼少期に麻原が水俣病の患者として熊本県に申請を出したことがあったという事実を知る。

 しかし当時、申請は却下されたと振り返る長男は「水俣病として県に申請ば出しよったら、地元では白か目で見らるるったい。アカやとかそぎゃん風評が広がって、村では片身が狭うなるったい」と証言。「県に水俣病の申請を出したことによってアカの烙印を押されるということは、申請を出したことが外部に漏れたということですよね」と著者は念を押した。

 当時「自分の家ん壁にアカちゅう落書きが書かれちょって。智津夫も外に出ると後ろ指ばさされ、肩身ん狭か思いばさせてしもうた」と口にする長男。一連のやりとりについて、著者は「麻原の怨念の小さな芽吹きのようなものを感じゾクリとしました」と振り返る。

 ここまでは2006年に著者が上梓した『黄泉の犬』でも語られているが、本作『メメント・ヴィータ』には、その続きの世界が描かれている。2022年に起きた安倍元首相銃撃事件および旧統一教会をめぐる問題と、このオウム真理教事件の符号とは何か。著者が足を運び、直接対話をした人々によって紡がれていく、歴史の裏側を流れる深い川が垣間見える。

 のちに社会を揺るがす事件を起こした麻原が社会から認められていたのなら、未来は違っていたのか。そう、考えずにいられない本書の印象的な一節だった。

 本書ではこのほかにも、東日本大震災やコロナ禍など、現代社会で私たちが目にした様々な出来事へと切り込んでいる。深い洞察とともに「生を想え」というメッセージが、多くの人に届いてほしい。

文=カネコシュウヘイ