頑張りすぎの自分へ。泣きながらごはんを食べたあの日に届けたい、noteで話題の”かけてほしかった言葉”のすべて【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/6/18

心の中で犬を抱きあげたあの日、自分に優しくなれた気がした
心の中で犬を抱きあげたあの日、自分に優しくなれた気がしたフクダウニー / KADOKAWA

「この本はどんな時どんな場所でも頑張りすぎるあなたのために書いたから」。

 そんなまえがきから始まる『心の中で犬を抱きあげたあの日、自分に優しくなれた気がした』(フクダウニー/KADOKAWA)は、その言葉通り、疲れた心と身体を優しく撫でてくれるようなエッセイ集だ。noteで反響を呼んだ愛犬とのかけがえのない日々のエッセイを軸に、祖母や愛猫との思い出、“ままならない日常”への眼差しなどを綴った21編を収める。
 
 著者のフクダウニーさんは介護福祉士として働いている。仕事で指針にしているのは、尊敬する元同僚が言った「介護の仕事はいかに面白がれるか、そこに懸かっていると思うんだよ」という言葉。これは、仕事に限らずフクダウニーさんの生きる姿勢そのものでもある。

「(妄想で)自分宛にハッピーエンドを用意し続ける練習を繰り返すのだ。しあわせなんか、報われることなんか自分には似合わないと決めつけないで」「人間よ大志を抱け、それでも駄目なら米を炊け」「泣きながらごはんを食べたことがある全員で、いつか本当に大丈夫になろうね」——フクダウニーさんが綴るユーモアと優しさがにじむ言葉の数々に共感したり励まされたりする。そして、それは傷つき涙を流した「あの日の自分」にかけてほしかった言葉として読む人の胸に響くだろう。

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 描くテーマは、友達の家の犬に宛てた弔辞や、休職から退職、転職を繰り返した2024年の記録など幅広い。その中でも印象に残ったのは、認知症を患った祖母に宛てた手紙だ。祖母は「大切なものです、持っていかないで」と殴り書きした箱に、娘の母子手帳や孫の入園式の写真などをしまっていたという。必死に守ろうとした大事な記憶だけれど、ついには孫であるフクダウニーさんのことも分からなくなってしまう。「ばあちゃんが忘れていくかもしれないばあちゃんを私が覚えておくと決めた」と語り、祖母の癖や好きだったことがいくつも記される。

 その細やかな筆致からは、覚えておくこと、記録しておくことが最大級の愛情表現になるのだと分かる。切実な思いが込められた文章に、思わず目頭が熱くなった。

 大切な存在を失った人へ。自分自身の輪郭を見失いかけている人へ。自分のことより他者を優先してしまう人へ。生きづらさを抱えながら懸命に生きている人へ。本書は、たった一人の“あなた”に語りかけてくる。フクダウニーさんは綴る。「生活も、暮らしも、本来このささやかさとくだらなさの連続なんだよなと。変に大切にしようとしなくてもいいし、妙に愛でようとしなくても別にいいんだけど、本当は自分という人間はこういう色や形や質感や感性を持った人間なんだろうなとやんわり心の端っこ辺りをつかんでおくことがきっと必要なのだ」と。言葉で抱き締めるような、なんでもない日常を肯定してくれる一冊だ。

文=河波まり

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