青山美智子『チョコレート・ピース』は女性の心の揺れにそっと寄り添う 変幻自在のチョコレートの物語【インタビュー】
公開日:2025/7/26
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年8月号からの転載です。

甘くて苦く、固くて脆い。カジュアルであると同時にスペシャルでもあり、毒にもなれば薬にもなる。さまざまな“顔”をもつチョコレートを題材に青山さんが小説を書こうと思い立ったのは、ずいぶん前のこと。
「チョコレートを題材に書きませんか、と『an・an』の編集者から依頼を受けたとき、スケジュールや体調の関係でお受けすることができなかったんです。それがあまりに悔しくて、誰に見せるあてもないチョコレートに関するエッセイのようなポエムのような文章を書き、いつかと温め続けていました。そして月日が経ち、改めて『an・an』から連載のお話をいただいたとき、最初の打ち合わせで編集者が持ってきてくれた手土産は、なんとチョコレート。おいしいだけではなく、歴史あるブランドとショコラティエの情熱が詰まっているのだと語るその方の姿に、これは書くしかないと心が決まりました」
学園祭で売るチョコバナナ。推しのアイドルが宣伝しているキューブチョコ。新婚旅行土産のマカダミアナッツチョコに、大人への憧れを象徴するシガーチョコ。連載されていた12話は、さまざまな年代の女性がチョコレートとともに「今」を乗り越えていく姿が描かれる。
「チョコレートって、変幻自在なんですよね。原材料のカカオは、色もかたちも似ていないチョコレートに自分がなるなんて想像もしていないだろうし、板チョコになるのかケーキになるのか自ら選択できないところは、無限の可能性を秘めながら思いもよらぬ人生を歩んでいく私たちと似ている。だとしたら、それぞれの年代で起きる心の揺れに、かたちを変えて寄り添うこともできるんじゃないかと思ったんです。基本的に私は、読者を限定しない書き方を意識していて、とくに連作短編集では老若男女を織り交ぜるようにしています。でも今回は、女性読者の多い『an・an』で、女性視点に限定した物語を書いたことで、これまで恥ずかしくて避けていた恋愛というテーマに真っ向から向き合うこともできました。意外と年配男性がときめいてくれたりもして、チョコレートと『an・an』に魔法をかけられて、新しい分野を切り開けた気もしています」
わかりあえなくてもそばにいてくれる人の尊さ
連載された12編を「BOX1」とし、続く書きおろしの「BOX2」では主人公と相対していた別の誰かの視点で物語がとらえなおされる。そこで、実はさまざまに思い込みやすれ違いが生じていたことも判明するのだが、それが悲劇につながらないのが、青山さんの小説の魅力。人と人との関係で大事なのは「完璧に理解しあう」ことではなく、むしろすれ違いながらもともに生きようとする心なのだと、しみじみさせられる。
「私たちはつい、わかりあえることをゴールにしてしまいがちだけど、わかってほしいと期待するほどに苦しさは募るのが現実というもの。勝手に頭のなかでつくったシナリオどおりに他人が動いてくれるはずがないのに、どうしてうまくいかないのかと腹が立って、やりきれなくなって、大切な人との関係を自分から壊してしまうこともあるでしょう。だけど逆に、自分がうまくやれなかったと後悔していたことで相手が救われていたり、同じ気持ちになれなくてもただそばにいるだけで支えられていたり、すれ違うことがプラスの効果を生むことだって、きっとある。相手に期待をしない、というとネガティブに聞こえてしまうけれど、たいていのことはダメ元だと思えばうまくいったときの喜びが大きくなるし、むやみに自分や相手を傷つけることもなくなるんじゃないかなと思うんです。なかなか難しいことだけど、できるだけ相手と「違う」ことを受け入れていきたいな、とも」
そもそも恋というのは、自分と「違う」一面に出会ったときに、落ちるものでもある。たとえば作中で、自分には苦すぎるからとチョコレートを箱ごと渡してきた恋人が「これ、あげる」ではなく「これ、もらって」と言ったときに惚れ直したように。
「私自身、人に言われたことを気にしすぎてしまうからこそ、素敵な言い回しに出会うと心を打たれるんですよね。自分にはない誰かの魅力をまねしたいと思うことで人は成長していくのだろうし、結果的にその“違い”が別れに繋がったとしても、その人が相手でなければ経験できなかった失敗もきっとあるはず。その年代ならではの焦りや体の不調にも向き合いながら、自分の人生を選択していく女性の心に、どんなチョコレートがぴったりなのか考えるのはとても楽しかった。使わなかった在庫シリーズがいくつもあるので、いつかまた別の物語に登場することもあるかもしれません(笑)」
今その瞬間生まれる感情の美しさと煌めきを届けたかった
人はどうしても、失敗や後悔のほうが胸に刻まれ、自分に自信をもてなくなっていく。けれど本作を読むと、希望が湧く。自分の知らないところで誰かがこんなふうに好意的に受け止めてくれていたかもしれない。誰かを好きになって、関わりあいながら生きてきた人生は、自分で思うほど悪くないかもしれない、と。
「リアルタイムでは苦しくて恥ずかしくていたたまれないような出来事も、ふりかえってみればすべて煌めいているんだってことを、この小説を通じて伝えたかったんですよね。私が若いころいちばん嫌いだったのは、年上の人から『時が解決するよ』と言われることだったし、もがきの最中にいる人たちに何を言っても響かないのはわかっている。だから、小説というかたちでそっと、今のあなたにしか生み出せない輝きがあるんだということを、囁きたかったんです。人生というのは車に乗っているようなもので、今見ている情景は、気づいた瞬間から過去になっていく。見逃しているものも多くあるし、何もかも手元にとどめておくことはできないからこそ、恥も後悔も越えて私たちは未来へ向かっていけるし、今この瞬間を愛おしく思うこともできる。だからBOX1は、各章をピースと呼んで、ミュージックビデオのように感情が生まれた情景を人生のかけらを。BOX2ではショット、人生の一瞬をカメラで切り取るようにして描きたいと思いました」
〈王道が最強ってことあるよ〉。本作で、残業中の主人公にキットカットを差し入れてくれた同僚の言葉だ。誰もが言われたい、言ってほしい。心に留めておきたい瞬間と言葉を、惜しみなく描いてくれるから、青山さんの小説はこんなにも響く。
「小説を書くときはいつも、心にピン留めしておきたい一行があるんです。その一行をお届けするために、私はきっと物語を書いているんだと思います。今作については、連載中添えられていた増田彩来さんの写真に触発されたところも大きかったかもしれません。たとえば手と手が触れているだけの写真から、明らかにお互いを意識しているんだけれどつきあっていない、その微妙な距離感と戸惑いがありありと伝わってくるなど、彼女の切り取る瞬間はあまりに美しく、心を動かされてしまう。私が小説で掬いとりたいと思っているものを、一枚の写真に凝縮して表現できる彼女に負けないくらいの小説を書かなければと、意欲をかきたてられたんです。結果、『チョコレート・ピース』は私のピン留めしたかった情景や想いに溢れた一冊になりました。誰かと触れ合う瞬間の積み重ねが私たちの幸福をかたちづくっていく。チョコレートとともに歩んだ道が、平和な日常をもたらしてくれる。そんな祝福が、読者のみなさんのもとにもどうか、届きますように」
取材・文=立花もも、写真=園山友基
あおやま・みちこ●1970年、愛知県生まれ。シドニーの日系新聞社で記者として勤務したのち、雑誌編集者を経て執筆活動に入る。2017年、『木曜日にはココアを』で小説家デビュー。『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』『リカバリー・カバヒコ』『人魚が逃げた』の5作が本屋大賞にノミネート。

『チョコレート・ピース』
(青山美智子/マガジンハウス)1760円(税込)
気になる男の子と一緒につくった、学園祭のチョコバナナ。苦い思い出の入り混じる、友達とのバレンタインでのお菓子交換。年下の恋人が用意してくれたバースデーケーキのチョコプレート。人生の岐路となる選択を後押ししてくれたショコラティエ。年代ごとに揺れる女性たちの心を、溶かすようにそっとそばにいてくれるチョコレートと大切な人との物語。