ようやく家の近くにたどり着くも、町は平らになり真っ黒だった――/わたくし96歳が語る 16歳の夏

文芸・カルチャー

公開日:2025/8/11

※本記事には実際に体験した戦時中の描写が含まれます。ご了承の上お読みください。

 戦後80年を迎え、戦争体験者や被爆体験者の方々から直接お話を聞ける機会は年々貴重になっています。

 紹介するのは、8.5万人のフォロワーを持つXアカウント「わたくし96歳(@Iam90yearsold)」で日々の活動を発信している森田富美子さんが、戦争の記憶を語った書籍『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』。

 1945年8月9日、長崎で被爆した森田さんは当時16歳。戦後の人生において語ることを避けていた「あの日」の記憶を1冊にまとめました。

 本書は、「カタリベ」になろうと決心した森田さんと、長女の京子さんが書き溜めていた「著者の記憶」をもとに完成させた、カタリベの記録です。

※本記事は『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』(森田富美子:語り、森田京子:聞き手・文/KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました

【30日間無料】Amazonの読み放題をチェック >

『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』<br>
『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』<br>(森田富美子:語り、森田京子:聞き手・文/KADOKAWA)

鹿児島の女の子

1945年8月10日7時〜8時(原爆投下から21時間)

 男の子と手を繋いだまま、真っ直ぐに歩きました。私がいつも使っていた浜口町の路面電車停留場あたりでしょうか、「おねえさん」と声をかけられました。振り向いてゾッとしました。髪の毛が茶色く逆立ち、着ているものもボロボロの女の子が立っていました。「◯◯です」と名乗りました。隣町の工場で一緒だった14歳の女の子です。「鹿児島に帰りたい」と言います。どうにかしてあげたい、でもどうすることもできません。「長崎駅に行ってみたら」それしか言えませんでした。そう言って、長崎駅の方を指差すことしか。私自身もいっぱいいっぱいだったのです。

 ほんの数分歩くと浦上のグラウンドです。そこも爆風で全て飛ばされ何もありませんでした。竜巻が起きたあとのように、グラウンドの端の方には飛ばされた死体や瓦礫が寄っていました。グラウンドから我が家までは200メートルくらいです。それまでは家々が立ち並び、見えないはずの我が家の方までがスポーンと見えました。あたり一面、全てが吹き飛ばされて平らになり、真っ黒に焼けていました。海星の生徒とはそこで別れました。何か言葉を交わしたようにも思いますが、覚えていません。

 もう一度、家の方を見ました。家までは2分もかからない場所です。やはり、町は影も形もなく、全てがなくなっていました。家が見えたはずです。しかし、そこから目を背けました。家のすぐ向こうにある簗橋という橋に行きました。簗橋から手前3軒目が我が家です。しかし、そちらは見ませんでした。

 油木町に、町の横穴防空壕があります。浦上川にかかる簗橋を渡り、500メートルほど行くと、その防空壕です。家族はそこにいるかもしれないと思いました。

 簗橋の上は、下って来たあの川沿いの道以上に無惨な状態でした。膨れ上がった死体が数えきれないほど転がり、浦上川は水欲しさに下りた人たちの死体でいっぱいでした。

<第6回に続く>

本作品をAmazon(電子)で読む >

本作品をブックライブで読む >

本作品をDMMブックスで読む >

本作品をBOOK☆WALKERで読む >

あわせて読みたい