43歳、自由を求めて離婚したのに犬が飼いたい。2度芥川賞候補になった著者が、様々な人間の様々な人生を描く『ノー・アニマルズ』【書評】
PR 公開日:2025/8/2

いずれ取り壊される古いマンションを舞台に、住人たちのリアルな生活と「欲」を描いた短編連作『ノー・アニマルズ』(鈴木涼美/集英社)。
全7篇の主人公たちは、「どこか満たされないそれぞれの人生」を生きている。
個人的に好きなお話は「403号室 四十三歳はどうしても犬が飼いたい」である。
主人公の鮎美はバツイチのフリーランスライターだ。収入はそこそこだが自由気ままで好きな仕事をしており、落ち着いた関係の恋人もいる。人生に不満はない。……はずなのだが、いつからか「犬を飼いたい」という衝動を抱くようになる。
犬を飼うには、今の格安で住めて恋人にも会いやすいマンションを引っ越さなければならない。また犬を飼えば、離婚までして求めていたはずの「自由な」生活は制限される。
鎖のない生活を選択した自分が、しがらみが欲しいと思うのは単なるないものねだりなのかもしれない。
そう彼女は語るが、それでも衝動は抑えられないのだ。
あまりにも自由で、「自分より優先すべきもの」――例えば子どもや配偶者――がないからこそ、しがらみを求めたくなる。何か自分を縛るものがほしくなる。
この話は個人的に自分の状況と似ていることもあり、感情移入ができ、また自分が言語化できなかった感覚を「犬を飼いたい」という欲望で鮮明にしてくれていると、そんな風に感じた。
一方で、自分とは全く異なる価値観の人生を送る女性が主人公の「204号室 二十八歳は人のお金で暮らしたい」も、かなり面白く読ませてもらった。
主人公の芹(せり)は、28歳のコンカフェ嬢。今の自分の人生は、学生時代の自分が想像していたよりも「下」なのではないかと、どこか晴れない気持ちを抱えている。
芹はフード系のプロデュースを手掛けるようなインフルエンサーになりたかった。(中略)SNSのフォロワーは多いがけして更新には命をかけず、流行りには敏感でセンスのよいものにはお金を惜しまないがけして下品な買い物はせず、そういう何をしているかよく分からない人になりたかった(以下略)。
むしろ自分の稼いだお金を一円まで好きなことに使うために、生活くらいは人のお金でしたかった。
彼女の考え方は、正直私には分からない。
でも、共感できる人もいるだろう。安易に一括りにしたくないが、若者には増えつつある「理想」なのかもしれない……などと思ったりもした。
他人を判断する時に服やバッグのブランドを基準にしているような描写が多く見受けられたのも、そこに彼女の人生経験で培われてきたであろう「常識」がある気がして、私には新鮮で興味深く読めた。
最終話「1階 二十六歳にコンビニは広すぎる」の意味合いも大きいように思う。
本作は登場人物同士が深く関わり合うことはない(交流がある人たちもいる)。一話一話で全く違った話が展開されるのだが、最終話での「まとめ」があるからこそ、タイトルの「ノー・アニマル」の意味にもハッとさせられるし、同じ著者が書いた短編をただ並べただけではなく、一冊の本として収録されている意義を強く感じられた。ラストにキリッと締まる感じが、読後感としても気持ちよかったと思う。
芥川賞候補に2回も選ばれた著者の最新作。きっとあなたにも「分かる」登場人物と、「分からない」登場人物がいて、そのどちらの人生も興味深く感じるはずだ。
文=雨野裾