「小学生が麻薬を摂取していた」から始まる、カリスマ俳優と刑事の捜査劇。最新ツールも加わった、行き先不明のミステリー【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/8/4

誘拐劇場
誘拐劇場潮谷験/講談社

 絶対に敵に回したくない相手がいる。頭脳明晰で、推理力抜群。どんな人にも化けられる演技力、そのうえ、どんな人の心も虜にしてしまう人心掌握力もある。もし、そんな相手を敵に回してしまったとしたら、どうしたら良いのだろう。しかも、その人物が、国家さえ味方にできる権力を有していたとしたら……。

誘拐劇場』(潮谷験/講談社)は、そんな巨大な権力をもつ男に立ち向かう弱者たちの物語。メフィスト賞受賞作家・潮谷験によるこのミステリーは、なんとも刺激的。予想外の展開に何度度肝を抜かれたか分からない。息つく暇も与えない展開、どんでん返しに次ぐどんでん返しに、ハラハラドキドキが止まらない1冊だ。

「小学生が麻薬を摂取していた」――まず、この物語は、序章の一文目から衝撃的だ。事件が起きたのは、2007年9月、滋賀県大津市の「水倉地区」にある小学校。ある日、5年2組の教室で、突然、女子児童が大声で歌い出したかと思えば、だんだんと発声が不明瞭になって白目をむき、また別の女子児童がそれに続くように歌い始め、さらに2人の男子児童が叫び声をあげて口から泡を吹いて倒れた。4人の小学生から検出されたのは、合成麻薬「バニッシュ」。児童たちは、ダイエット薬の試供品として置かれていたそれを摂取したのだといい、牧歌的な雰囲気さえあった水倉地区の治安は急速に悪化。麻薬をめぐる事件が立て続けに起こり始めた。そんな水倉の危機を救ったのは、大人気俳優・師道一正。市内の小中学校を回る薬物撲滅キャンペーンに協力した師道の影響力は絶大。捜査と並行して、この活動にも関わることになった薬物拳銃対策室の刑事・義永は、小中学生相手の講演会なんて私語は当たり前だと思っていたが、師道の力によって、子どもたちは真剣に講演会に参加し、さらには、師道は、探偵役としてバニッシュの配布元まで突き止めた。そして、一躍、師道はヒーローとなり、水倉地区は「師道の街」となったのだ。

 こんなに惹きつけられる序章が他にあるだろうか。ページをめくれば、小学生による麻薬摂取という前代未聞の事件に立ち向かう、俳優と刑事のコンビにすぐに心奪われる。俳優として類まれなる資質をもつ師道、市民のために力を尽くす刑事・義永。互いの能力を認め合う二人の姿に、胸が熱くなるのは私だけではないはずだ。こんなにも推せる二人は珍しいのに、このコンビの物語をいつまでも読んでいたかったのに……。続く第2章で描かれるのは、その15年後。俳優を辞め、国会議員になった師道は、政治家として圧倒的な人気を誇っている。だが、そんな師道に疑いを向ける人たちがいた。「師道は、かつての事件で、バニッシュのレシピ、もしくは現物を密かに手に入れたのでは」「水倉地区を舞台にしたスマホゲームを隠れ蓑にバニッシュを流通させようとしているのではないか」。そんな疑いをもつ仲間のうちひとりが、ある時、誘拐されて……。

「はじめまして。麻薬をばらまき、邪魔者の抹殺を目論んでいる大悪人、師道一正です」

 疑いの目を向ける者たちを前にそんな軽口を叩く師道は、序章で大活躍をみせたこの男は、本当に悪事に手を染めているのだろうか。だが、師道の態度はあまりにも怪しい。類まれなる才能をもつこの男を、まさか敵に回すことになるだなんて、弱者たちに果たして勝ち目などあるのだろうか。読めば読むほど、誰を信じればいいのか、何が真実なのか、分からなくなってしまう。そんな事件のキーとなるのが、位置情報ゲーム、一定期間で情報が消えるSNSなど今ドキのツール。これらが関わり、混迷していくこの誘拐劇は、どこに向かおうというのだろう。

 ああ、本当にこの物語はどこに連れて行かれるかも分からない。思いがけない展開に絶句。緊迫感で手に汗が滲みっぱなしだ。何ももたない弱者たちは、もたざる者として意地で、どこまで権力者に食らいつくことができるのだろう。強さとは、弱さとは何か。そして、事件の真相はどこにあるのか。ラストはあまりにも衝撃的。どんでん返しに次ぐどんでん返しの果てに待ち受けている、驚愕の真相を、頭脳戦の結末を、是非ともあなたも見届けてほしい。

文=アサトーミナミ

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