額賀澪が考える「小説家の才能」とは? デビュー10周年記念作『天才望遠鏡』で描いた天才の光と影【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/8/28

「タスキメシ」シリーズや、『風に恋う』『沖晴くんの涙を殺して』、ドラマ化された『転職の魔王様』など、青春小説やスポーツ小説、お仕事小説を数多く執筆。迷いのさなかにいる10代や、夢に挑む人々の葛藤や成長を描いてきた作家の額賀澪さんが、デビュー10周年記念作『天才望遠鏡』を上梓した。区切りの作品で額賀さんが選んだテーマは、「天才」。その理由や、人の才能について思うこと、そして額賀さんを執筆に向かわせるものについて聞いた。

たくさんの才能から世間が見つけたものだけが天才と呼ばれる

――10周年記念作品で描くテーマとして「天才」を選ばれた理由は?

額賀 第1話の「星の盤側」を掲載した『オール讀物』が松本清張賞特集の号で、松本清張賞のOGとして将棋のお話を書きませんか?と声をかけていただいたのがきっかけです。当時の担当さんの提案で、ただ短編を1本書くだけではなくて、5本ぐらい書いて後々1冊にまとめられるように、将棋に加えてもうひとつ「天才」というテーマを決めました。そこから半年に1本ぐらいのペースで『オール讀物』に1編ずつ載せていって、最後の5話だけ書き下ろしました。「天才」は、デビュー以来、私が青春小説とかスポーツ小説を書く中で自然と書いてきた人だから、今回しっかりとテーマに据えるのもいいかなと思ったのもありました。

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――本作は、天才と彼らを「観測」する周囲の人を描いていますが、天才自身はあまり多くを語りませんし、天才は心情を理解しにくい存在なのかなと思います。額賀さんは、今までも天才を描いてきて、今回はさらにそこにフォーカスする中で、「天才」をどういう存在だととらえましたか?

額賀 才能を持った人って、実はいっぱいいるんですよね。でも結局、世間が見つけた人しか天才と呼ばれないんです。先日、『天才望遠鏡』について石田衣良さんと対談をさせてもらった時に、石田さんが「天才って事象だからね」とおっしゃっていたんです。私が何話もかけて書いていることを、石田さんは一言で言い表してくれて(笑)。私も小説を書いていて、「この人、天才なんだな」と思う人はいます。でも、作家の間では知られているけど、世間に見つかっていないから天才と認識されていない、ということがあるんですよね。そういうことを、今回、小説家をメインに据えた5話の「星原の観測者」でわりとはっきり書きました。

「才能」「センス」という言葉は安易に使っちゃいけない

――天才って、夢の象徴のような存在でもありますよね。

額賀 特に私がスポーツを観たり、書いたりしていると感じるんですけど、天才アスリートって、赤の他人に夢とか希望を託されて、だから恋愛や進学に口を出されたりしてしまうわけですよね。自分の好きな分野でただ頑張っているだけの人に自分の人生を投影して、わかりやすく言うと、消費している。一方で天才も、その消費に生かされているところもあって。だから、ある意味、循環の構図もあるなというのは、フィギュアスケート選手が登場する2話を書いている時に思いましたね。

 それに、天才って、天から与えられたものに光を当てすぎる言葉ですよね。無料学習塾を舞台にした3話(「エスペランサの子供たち」)では、いわゆる「親ガチャ」について書いたんですけど、子供にどんなに才能があっても、それを育んでくれる環境がなければ世に出ていけないということは、間違いなくあって。それと同じように、他者が人を天才と呼ぶ時は、才能ガチャというか、「私はもらえなかったけど、あなたは才能のアタリが引けて良かったね」という、ある意味、蔑むような目線も込められているのかなと思いますね。

――そう考えると、天才ってかなり取り扱い注意な言葉ですね。

額賀 そう思います。私は大学で教えている学生にも「安易に才能とかセンスっていう言葉を使うな」と話しているんです。才能の手前にある、修練で得たものや、本人の工夫で出力されたものを「才能」という言葉でくくってしまったとたん、ぼんやりしたものになってしまう。その人がやってきたことを否定することにもなるし、そこから自分が何かを吸収する機会も失ってしまうと思うんです。だから、才能とかセンスという言葉は、どうやっても分析できない、自分には手が届かないものに対してしか使っちゃダメだよ、っていう話をしています。ここ数年でそういう思いに至ったのは、この『天才望遠鏡』を書いていたからだと思いますね。

10年の作家生活でわかった「小説家の才能」とは?

――5話にはふたりの小説家が登場しますが、ご自身が小説家として感じていることや、「小説の才能」とは何か?という思いが反映されているのでしょうか。

額賀 どうでしょう(笑)。でも、先日、寺地はるなさんとのトークイベントでも「作中で小説家の主人公に言わせてることって、自分の考えてることじゃないよね」と話していたんです。小説家だとストレートになりすぎるから、本当に自分の思っていることは、違う職業の人に言わせるだろうなと思います。でも、小説家の才能とは何なのかというのは、10年間小説家をやっていても、未だによくわからないんです。

「この人、才能の塊だな」と思う作家さんもいっぱい知っていますけど、当の自分はまったくそういう人間ではなくて(笑)。私は、勉強によって学びとれるもので書いてきて、10年前に降ってきたチャンスでなんとか作家になれたから、持って生まれたものはないと思っているんです。でも、10年作家を続けてきて、ひとつ作家の才能として言えることがあるとしたら――他の職業もそうかもしれないですけど、特にこういう自由業では、自分の職業を楽しむ才能だと思います。小説が面白いというのは大前提として、どんな状況にあっても作家業を楽しめる人は、めちゃくちゃ強いですね。

――額賀さんも小説家の仕事は楽しいとおっしゃっていますが、書いていて、苦しいことより楽しいことの方が多いですか?

額賀 でも……割合を円グラフで表すと、「あれ? 8割しんどくない?」って思いますよ。

――(笑)。時間としてはしんどい部分が多いんですね。

額賀 作家同士で集まっても世知辛い話ばかりしてしまうから、いつも「みんなで頑張って景気のいい話しよう!」って言ってます(笑)。でも、そういう状況も楽しめるぐらいに私は恵まれた環境にいるし、毎年、1年の仕事をふり返ると「楽しく仕事したな」と思えていますね。書きたいシーンが書けたら、「あぁ、よかった」って思えるし、そういう瞬間があるから、トータルで楽しく続けられていると思います。

小説を書くより楽しいことはない。この仕事は死んでも手放さない

――「エスペランサの子供たち」は、貧困などの事情から無料学習塾に通う子供たちが描かれていますが、彼らの明るさや強さも印象的でした。額賀さんは10年、若年層や子供たちを描いてきて、彼らの生きる環境や、額賀さん自身の子供に関する問題意識は変わってきたと思いますか?

額賀 年を重ねるとどうしても高校生くらいの時の自分とどんどん離れていってしまうんですけど、幸運なことに、今、大学で先生をやらせてもらっていて、20歳前後くらいの子たちと接する機会があるんです。ラスト子供時代のような時期を過ごしている彼らがいてくれるから、小学生や中学生を書こうとする時も、彼らの10年くらい前と思うと見えてくるものがありますね。

 彼らを見ていると、私の時と一緒だなと思うこともあれば、違う感覚を抱いているなと感じることもあります。たとえば、15年くらい前に私が就職活動をしていた頃は、会社に入ってなんとか3年働けば社会人としてのキャリアを積ませてもらえる保証のような感覚があったけど、今、インターンシップに行き始めているような学生は、会社が自分の人生に責任もってくれるわけじゃない、だから早く何者かにならなければ、というような危機感を持っていますよね。そういう彼らの根底にあるものは、20代前半くらいの人を書く時には、外せない部分だなと思います。

――テーマも異なる作品を次々と書かれていますが、今、額賀さんを創作へ向かわせる動機は何ですか?

額賀 やっぱり、仕事が面白いからだと思います。それに今のところ、作家の仕事以上に楽しいことがないんですよ、困ったことに(笑)。小さい頃から小説を読むことと書くことが好きで、書くことが仕事になって、すると必然的に読むことも仕事になって。趣味を仕事にできた私は、ガチャで言うところの、すごくいいキャリアを引けたと思います。友人には、私がもし今後、作家業を続けられなくなったらすぐ犯罪に走りそうだよねって言われます(笑)。運良く、しんどいことが多いわりにトータルで楽しいと思える仕事に就けたので、死んでもこの仕事を離さないっていう気持ちですね。

取材・文=川辺美希、撮影=川口宗道

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