現実にはほとんど存在しないであろう『らんま1/2』のシャンプーとムースの関係/きみを愛ちゃん④

文芸・カルチャー

公開日:2025/9/5

きみを愛ちゃん』(最果タヒ/集英社)第4回【全6回】

 アニメやドラマに登場するキャラクターを高い熱量で愛し、生身の人以上に心を動かされことはないだろうか。本書は、中原中也賞や萩原朔太郎賞など数々の賞を受賞した詩人・最果タヒ氏が、さまざまなジャンルの32のキャラクターたちへ綴ったラブレターをまとめたもの。漫画から宝塚、アニメ、ドラマに童話まで、古今東西のキャラクターへの「愛」を磨き上げた、まるで宝石箱のようなエッセイ『きみを愛ちゃん』。その一部を抜粋してお届けします。

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『きみを愛ちゃん』
『きみを愛ちゃん』最果タヒ/集英社)

 シャンプーがムースの卑怯を止めようとすることを「もしかしてそういうこと……?」と捉えるのが私は苦手で、その理由が長くわからなかった。でもずっと、シャンプーはただ優しいんじゃん……と思っていた。その優しさをちゃんと勝手に捩じ曲げて受け取らずにそのままにするムースも本当にシャンプーを愛してるんじゃん……と思っていた。優しい人と愛が深い人が並んでも、結ばれないのだから、恋は素敵ですね、そう言いたくて、でも当時はまだそんなふうには説明ができなかったんだろうな。昔から私はこの二人の組み合わせが大好きで、いつまでも結ばれないでほしいと願っていた。

 人を好きになると、その好意だけが相手にとって価値があるように思えてならなくなるんだろうか。自分自身より相手の方がずっと優れて見えて、自分のことを知らせて、好きになってもらおうと願うことはどうしても難しくて、その人を讃える好意の気持ちをたくさん伝えた方が、相手にとっては価値があるとか思ってしまって。そうやって、好意を差し出し、自分のことをろくに見せないまま、愛されることを望むのかな。でも人は貰った好意に、恋ができるのかな。自分のことを好きな気持ちはどれほど伝わっても、どんな人なのかは伝わらないままじゃないのかな。愛してくれるという理由だけで恋をするほど、人は孤独で、さみしくて、自分を信じられないのだろうか。

 シャンプーは、ムースのことを信じているし、堕落せずに生きていけると思っているから卑怯な行為を止めるのだろう。そしてムースは、人として自分を見つめてくれるシャンプーの眼差しを、脈があるとかそういうことではなく、自分を信じる眼差しとして受け止めているから、自分の価値を捨て置くことがないのかもしれない。シャンプーをどれほど好きでも、その「好き」の強さでシャンプーが心を動かす義理はなく、そんなことに期待するほど、ムースは自分の価値を見誤ってはいない。シャンプーの、ムースを人として信じる態度は、ムースの好意を、ギブアンドテイクと関係ない次元にいつまでも据え置いて、そしてその横で彼女はずっと優しいままだ。

 こんなふうな関係性が現実にどれくらいあり得るだろう、と思う。きっとほとんど存在しないものなのだろう。シャンプーはなんだか、幼少期の、好かれることに恐れなんて抱かない子供の頃を思い出させる。そのまま育っていけるつもりだったのにな。今では私はシャンプーが好きで、シャンプーがとても稀有な存在であることを、強烈に実感してしまっている。ああはなれない世界が嫌だなってたまに思う。自分を好きな人も嫌いな人もどうでもいい人も、なんの問題もなく幸せでいてね。遠いところで。私は、それからやっと安心して生きていけるって思うから。

<第5回に続く>

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