直木賞作家・一穂ミチ『光のとこにいてね』――惹かれ合う女性たちの物語。正反対な二人が特別な関係を築いた22年間を描く【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/9/5

光のとこにいてね
光のとこにいてね(一穂ミチ/文藝春秋)

 小学2年生のときに団地の片隅で出会った、小瀧結珠と校倉果遠。彼女たちの22年間にもわたる人生の交錯を描いた『光のとこにいてね』(一穂ミチ/文藝春秋)。

 著者の一穂ミチ氏はBL小説界で長年にわたって活躍したのち、短編集『スモールワールズ』(講談社)で一般文芸にも進出。本作『光のとこにいてね』で2024年度の島清恋愛文学賞を受賞し、同年『ツミデミック』(光文社)で直木賞を受賞。近年、BL界出身作家の一般文芸における躍進が著しいが、その中のトップランナーの一人といっていい。

 そもそもBLは、カップルとなるキャラクターとキャラクターの関係性を描くジャンルだ。結ばれるのが前提条件だとしても、なぜ自分はこの人にこんなにも惹かれるのか? この人でなければならなかったのか? そういった心の動きをいかに精緻に、説得力をもって描けるかに書き手の腕がかかっている。

 そういうジャンルで研鑽を積んだ作者だからこそ、この作品を生みだせたのだろう。というのも本作もまた、人と人の関係性を見つめた物語だから。

 裕福な家庭に生まれ育ち、抑圧的な母親に苦しめられている内省的な結珠。自然志向のシングルマザーにネグレクトに近い状態で育てられ、世間の常識からややはみだしている果遠。境遇も性格も真反対な彼女たちは、出会い、惹かれあい、離れて、また出会う。幼少期から少女期、そして大人になったときと、人生の折節で3度、邂逅する。

 とりわけ印象に残るのは2度目の出会いだ。結珠と再会したい一心で、果遠はアルバイトに勉強にと猛烈な努力を重ね、結珠が通うお嬢様学校の特待生となる。果遠の背景を知る結珠は、なぜそこまでして私に? と、驚きを通り越して空恐ろしい気持ちにすらなる。結珠同様にそう感じる読者もいるかもしれない。昔、短い時間を共に過ごしただけの相手に、なぜそこまで打ち込めるのだろう……? と。

 加えて、本作は彼女たちが交互に語る一人称形式をとっているにも拘わらず(いや、きっとだからこそ)、恋愛感情を彷彿とさせる言葉は周到なほど出てこない。もしも彼女らが「好き」とか「恋してる」「愛してる」といった言葉を――心の中だけでも――使ってくれていたら、読む側はどれほどすっきりできるだろう。ああ、これは百合、あるいはシスターフッドなのだな、と二人の関係性を規定できるから。

 だけど結珠も果遠も、そして作者もそうはしない。この二人の関係を、ありものの言葉で表していない。結珠も果遠も、どうして自分がこんなにも相手を案じて仕方ないのか、自分たち自身でも分かりかねている。その分からない気持ちこそが、彼女たち独自の関係性となっている。

 二人は再会するたびに、それぞれの人生に厚みや傷が積み重なり、周囲も巻き込んで関係はより複雑に、切実になっていく。人は他者とどう結びつき、どう離れ、どう思い続けるのか。そんな普遍的にして、人によって様々に答えが異なるであろう問いを、作者は投げかける。

 そして、結珠と果遠のだした答え(それもまた暫定的かもしれないが)に納得がいかない読者もいるはずだ。読んでいて、むしろそれが心地よかった。カップル(ここはもう、敢えてこう書きたい)の数だけ関係性はある。ありものの言葉では形容しがたい関係性を築いてしまった彼女たちは、きっとこうなるほかなかったのだろうから。

 最後にひとつ。題名にもなっている「光のとこにいてね」という呼びかけ。この言葉は、二人にとっては祈りのような願いのような、もしかしたら「愛」に近い言葉なのかもしれない。

文=皆川ちか

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